白黒的絡繰機譚

思い出パンプキン・パイ

イワンは、蹲った。

「……帰りたい」

そう死にそうな声で呟くが、どうしようもない。まだ彼の本日のバイトシフトは始まったばかりで、勤務時間は閉店まである。それまでにこの状況は変わるだろうかと考え、蹲った身体を更に小さくする。この状況は、きっと変わらない。

「おーい、大丈夫か」
「……」

イワンに声をかけたアントニオが黙ってバックヤードへ続く扉の向こうにいる虎徹に首を振った。付き合いの長い二人は、この状態のイワンの面倒くささをよく知っていた。

「おい虎徹、お前が表出ろよ」
「いやあ、それだと苦情が出るだろ」

通常であれば、こんな状態のイワンを接客に出す方が苦情が出て当然である。だが、この場に限ってはそうではない。寧ろ逆なのだ。

「ふむ……どの写真もとてもかわいい!そして似合っている!」
「ったりめーだろ、クリームが作ったんだからよ」
「もう、ジェイク様ったら……。ま、当然ですわ」

店の奥、きゃいきゃいとまるで女子高校生集団のように数冊のアルバムを見ながら盛り上がるテーブルが一つ。陣取っているのは奇抜な格好の男女、そしてフライトジャケットの似合う青年。つまりイワンの父母であるジェイクとクリーム、そして恋人のキースだ。
休日のキースは「散歩していたら偶然出会ったんだ」と言って夫妻を連れて来店してきた。が、店員三人は誰もが偶然という言葉を信じてはいない。そういう夫妻なのだ、彼らは。
彼らは随分と大きな声でやり取りをしているが、それに眉を顰める者はここにはいない。他のテーブルもカウンターも、今は綺麗に空だからだ。意図してそうなっている訳ではないのだが、まるで空気を読んだかのようにほんの時折テイクアウトの客がやって来る以外、誰も店に近寄らない。

「……帰りたい」

イワンがまた呟く。蹲ったまま、床に「の」の字を書き始める始末だ。アントニオが扉の向こうに視線を投げる。仕方がねぇなあ、と虎徹が溜息を吐いた。

「イワン、しゃきっとしろー。客商売だぞー」
「……はい……。分かってます、けど……」
「まー、今のお前の気持ちはわかる。俺もこの前楓に電話で『はあ?お父さんなんでそんな写真社員証に入れてんの?やめてよ!』って言われちまってさ……」
「お前の話は今どうでもいいだろ、虎徹」
「何だよ!……ああもう、分かったよ。ほれイワン、これ」

虎徹はイワンにトレーを差し出す。その上には新商品のパンプキンパイがどっさりと盛られていた。

「あそこに持ってけ」
「……でも」
「まーここでぐじぐじしてるよりお前が止めて!って言って来た方が何とかなんだろ。あと客いないからな。これ売りつけてこい」
「……はい」

虎徹からトレーを受け取って、のろのろと立ち上がる。そしてまた溜息を吐いてから、よろよろとテーブルへと向かった。

「……」

イワンの目の前のテーブル広げてあるアルバムには、沢山の写真が貼られている。どれもこれも、イワンの記憶にある写真だ。

「お、やっと来たかイワンちゃん」

ジェイクがイワンに向き直り、にひと笑った。その向こうでクリームもにこにこと笑っている。

「イワン、やあ!この仮装の数々、どれも可愛らしいね!」
「はあ……」

黒猫、プチデビル、魔法使いにヴァンパイア……凝った衣装に身を包む、小さなイワンの写真たち。
マルチネス家のハロウィンの記録たちだ。昔はそりゃ、お菓子が欲しかったし楽しかったが、この年となってしまえばもう恥ずかしいばかりだ。

(それをよりによってキースさんに!見せびらかすなんて!)

叫びたい気持ちもあるが、抑えてトレーをテーブルへ置く。ジェイクはそれをさっと手に取りばくばくと齧り始めた。

「今年も何かするのかい?」
「勿論ですわ! でもここ数年は、サイズを測るのも一苦労ですし、それにちょっとアイディアも尽きてきてしまっていて……」

悩ましいですわ、とクリームは溜息を吐いた。
ここ数年は、イワンとクリームの追いかけっこが続いている。逃げ切ったと思っても、何故かハロウィン当日にはぴったりのサイズの衣装が出来ている。

「ふむ……ハロウィン……ハロウィンか……」

キースが顎に手を当て、思案する。
何を言い出すつもりだろう、とイワンの心臓が跳ねた。

「……っと、イワンちゃん。お前はお仕事だ」

ジェイクがにやにやと笑いながら、イワンの手に紙幣を握らせる。

「そうですわね。当日までの、お楽しみにしましょ? 今年は折角ですから、この方の分も作って差し上げますわ」
「えっ」
「私のもかい?」
「ええ、折角ですから。何か二人でセットの衣装にしましょう?」
「それはいい! そしてグッドアイディアだ!」

思わず振り返ってカウンターを見る。虎徹とアントニオが揃って「諦めろ」といったふうな表情をしていた。
だが、

「イワン」
「はい」

楽しみにしているね、と3人の笑顔を向けられればもう、イワンに否定の言葉なんて出せないのだ。







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