シュトーレンはジンジャーエールで
12月。店という店がクリスマス、という単語に染まる月。それはとある小さなドーナツショップも例外ではなく。
「バニーちゃんそれ、それとって」
「だから僕はバニーじゃありません……はい、これですね」
「店長、表終わりました」
「お、お疲れー。よし、じゃあこっち終わったら休憩すっか!」
ごきごき、と音がしそうな動作で腕を回すと、虎徹はイワンに笑いかけた。ぐるぐる巻きにされたマフラーの下で、イワンも笑い返す。
レッド・グリーン・ゴールドのモール飾りで覆われて。
天井に届くほど大きなクリスマスツリーも電飾で煌びやかに。
ガラスにもスノースプレーが吹き付けられ、決まり文句やスノーマンが浮かんでいる。
テーブル一つ一つにも小さなサンタクロースやトナカイ、スノーマンのぬいぐるみやスノードームが置かれ、額縁などの上には綿で雪まで表現してある。
小さなドーナツショップは、見事にクリスマスという侵略者に征服されていた。
「……ちょっと派手すぎやしませんかね」
制服のエプロンに大きなサンタクロースのバッヂを付けられたバーナビーがぼそり、と呟いた。
確かに、店の立地条件や主な客層、規模を考えれば少々不釣り合いだろう。
「いいんだよ、ネイサンがやれって言うんだし」
「オーナーが?……まあ、あの人らしいですけど」
呆れたように溜息を吐いたバーナビーだが、その口の端は笑っている。
口でどう言ったって、彼もクリスマスは浮かれるのだ。雪が降るのか、後一ヵ月も先の事と分かっていても。
そして、イワンだって――。
『イワン』
暖房がしっかり効いた部屋の中で、ひんやりと携帯電話を持った左手が冷えていく。
「……あ、分かりました。キースさんたら、そんな声出さなくたって、いつでも会えますし」
おどけながら、イワンは嘘を吐いた。
キースが、あまりにも泣きそうな声で『クリスマスは休めなかったんだ』と言ったから。
『でも、君と過ごす今年のクリスマスはもうないよ』
「来年があるじゃないですか」
『それは、そうだけど。イワン、私が言いたいのは』
「キースさん」
ごねられればごねられる程、イワンだって泣きたくなる。
今までのクリスマスは、いつだって両親の子供扱いっぷりに辟易して終わっていったが、今年からは違うと夢見ていたというのに。
「……」
ちらり、とイワンは自分の机の上を見る。
鎮座するのは、パラフィン紙に包まれた片手程の物体……が2つ。
イワンが今年のクリスマスを、どれだけ楽しみにしていたかが分かる、その証拠になるものだ。
手が冷える程落胆して、冷静になってしまえば、それがどれだけ滑稽なのか身に染みて、今すぐ窓の外にでもほおり投げてしまいたくなる。
『イワン……』
ぐすぐす、と本当に鳴き始めてしまったかのような音が耳に届く。
『私は、本当に駄目な大人だね。……うん、すまない。代わりの休みに、思いっきり楽しもう』
その頃にはもうクリスマスは終わって、値引きのケーキも買えないだろうけれども。
「勿論です。楽しみにしてますから、キースさん」
声だけは笑って、イワンはそうキースに告げた。
「――……どうしようかなぁ」
通話を終えて、改めて机の上を見る。
パラフィン紙を開けて出てくるのは、真っ白い粉砂糖に覆われたとある外国のクリスマスの定番・シュトーレン。
「馬鹿だよね、僕も。……毎日食べれないから、ってずらして作ってさ」
時間と共に変わる味を楽しみながらクリスマスを待つ、なんて事は、バイト先の逢瀬が殆どを占める二人には出来そうにもない。けれども、イワンは一度でいいからこれを二人で食べてみたかったのだ。――両親のように。
「ばーか、イワン。イワンの馬鹿」
座っていた椅子からベッドへと倒れ込む。少しだけ壁にかすった頭が痛かったが、そんな事はどうでも良かった。
「……」
机の上には、変わらずシュトーレン。
「ばか」
その言葉は、明日の自分へ向けられていた。
「――本当に、馬鹿だ」
キースと電話越しに話してから約二週間が経過した。
クリスマスイブの朝、イワンの机の上には、相変わらずシュトーレンがあった。2週間前の倍の数の。
自分で作ったそれを渋い顔で見つめてから、目を逸らして鞄に詰め込み、ドーナツ屋ショップに駆け込んだのは、朝8時。休日の出勤だとはいえ、あまり朝に強くないイワンの出勤時間としては奇跡に近い。
半ばやけくそでエプロンにはサンタとスノーマンのバッヂを、頭にはサンタ帽を被ってひたすら接客をした。
やけくそすぎて突っ込めなかったのか、それとも実は普通に見えていたのか、特に虎徹とバーナビーの二人に何か言われることはなかっただけは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。
「イワン、お疲れな」
「先輩、お疲れ様です」
18時きっちりでバイトを終え、ロッカーから取り出した鞄の中身にまたシブい顔をしつつ、二人に頭を下げたイワンは帰路についた。
真っ直ぐ帰る気はなかったが、かといってカップルに溢れる街は居心地が悪い。
「どうしようかなぁ……」
とりあえず、と飛び込んだファーストフードチェーンのカウンターで頭を抱えた。膝の上の鞄が重い。
もしかして、と確認しても、携帯画面は待受から動く事はなかった。
「……帰ろ」
ぐだぐだするのも1時間が限度で、冷たくなったカフェオレを無理やり喉に流し込んで席を立つ。
「さむっ」
暖かい店内から出れば、外は極寒に近かった。
ぐるぐる巻きのマフラーの中に鼻から下を収納して、イワンはとぼとぼと歩き出す。
(キースさん)
電話をしたあの日から、会えたのは片手程しかない。
(キースさん)
鞄の中で、がさがさとパラフィン紙が音を立てる。
(キースさん)
「イワン」
耳が冷たい。今日はうっかり、耳当てを忘れていた。
(キース……)
「イワン!」
「わっ!」
ぐるり、と勢い余って回転しそうな勢いで振り返る。
そこには、きっとイワン以上に耳が赤いキースが、この寒い中コートの前も留めずに立っていた。
「キースさん……?」
「イワン」
「どうしたんです、か」
「イワン、私は」
「キースさんもしかして」
「私は、君に」
「駄目ですよサボりは!!」
「……違うんだけども」
はふ、と白い息を吐いて、キースがくしゃりと笑った。
そのままイワンの手を引いて、近くに止めていた愛車へと引き入れる。
「大丈夫、ちゃんと勤務後だよ」
「でも」
「君の恋人は、愛の為ならうず高い書類の山だって倒して見せるのさ」
キースのウインクに、やっとイワンの表情が和らぐ。
「……キースさんって」
「馬鹿だろう?」
「大馬鹿ですね」
「それは酷いな」
顔を見合わせて、お互いを見る。
まともにこうやって視線を合わせるのは、何時ぶりだろうか。
「とりあえず、飛ばすよ。私の家に行こう?」
「……はい」
軽く唇を合わせてから、キースはアクセルを踏み込んだ。
「久しぶりですね、キースさんの家も」
「うん」
二人でコートも脱がず、ソファに腰掛ける。
「会いたかったよ」
「……僕もです」
「もう君に会う事しか考えてなかった。……だから残念だけど、クリスマスイブなのにディナーになりそうなものがない」
しゅん、とキースがしょぼくれる。
それとは裏腹に、イワンの気持ちが跳ねた。
「あの、キースさん」
「何だい? あ、ピザでも頼もうか。混んでるから時間がかかるかもしれないが……」
「いえ、その……ディナーにはならないですけど、これ……」
鞄から、パラフィン紙の包みを4つ取り出す。
「これは?」
「シュトーレン、です……。ウチの両親が、その、昔よく二人で食べてたって聞いて、それで……」
もごもご、と言葉を濁す。
口に出してみれば、これほど恥ずかしい理由もない。
「それは素晴らしいね!イワン、私は今最高のクリスマスを迎えていると確信したよ!」
ぎゅう、とイワンを太い腕が抱きしめる。その温かさが、酷く懐かしい。
「さて、では私もとっておき、を出さないとね?」
「とっておき?」
キースが立ち上がって、キッチンへと向かう。
とっておきとはなんだろう、と首を傾げながら、やっとイワンはコートを脱いだ。
「はい、まずは君にこれを」
「あ、ありがとうございます」
キースの左手から、パンナイフを受け取ると、イワンは4つのシュトーレンを2切れずつ切り出した。
そして、右手にシャンパングラスと一本の瓶を持ったキースが、イワンの隣にまた腰掛ける。
見た事はあるが縁遠かった琥珀色の炭酸水が、少し芝居がかった動作でグラスに注がれて――そこで、イワンは思わず吹き出してしまう。
「……なんでジンジャーエールなんですか?」
キースが恭しく注いで、イワンに差し出したのは、シャンパンではなく、ピリリとした生姜の味がアクセントのノンアルコール。
勿論それは、イワンが普段行くスーパーマーケットで安売りしているようなものとは、質が違うのだが。
「ん? 君はまだ学生だからね。アルコールは早いよ」
「理由、本当にそれだけです?」
「……。……酔った君なんて見たら、私の理性が危ないからね」
「そう言うと思いました」
くすり、と笑って、イワンはジンジャーエールの注がれたグラスを持ち上げる。
ちん、と音を鳴らしてから、二人は笑った。
「愛しているよ」
「愛しています」
その言葉を、寝床の愛犬だけが聞いていた。