×××後には、レモネード
※18禁描写有り※ 前半は「グレナデンシロップの顔とキス」あたりの時間軸です。
『今から、キースさんの家に、行っても良いです、か』
勇気を振り絞るようにして言ったその言葉が、予想以上の反応と共に肯定されたのは10分前。
現在はキースの車に揺られてやって来た、彼の自宅近くだというデリの中だ。
「どうしても普段は、デリで済ませてしまってね……」
あら今日は珍しく一人じゃないのね。じゃあおまけの量、昨日より増やしてあげようかしら?
そうキースへ親しげに声をかけたのは、一人でデリを切り盛りしているという女主人だった。
それにあいまいな返事をしながら苦笑する顔は、まるで悪戯が見つかった子供の様だ。
「……キースさん」
「なんだい」
「その……もしかして、僕がそれで呆れるとか、怒るとか思ってるんですか?」
う、とキースが言葉に詰まる。
付き合い始めてイワンが知った事の一つに、キースはどうもかっこつけである、というものがあった。ブラックコーヒーを無理して飲んだり、何かとイワンに対してお金を使いたがるのもそれに起因する。
今回もそれの一つであるようだ。イワンの前ではかっこよくて完璧な「キース・グッドマン」でいたいと、そう思っているのだろう。
「いや、その……」
イワンはわざと大きく聞こえやすい様にに溜息を吐く。わざわざ大げさなアクションまで付けて。
かっこいいキースが嫌いな訳はない。だが、それが無理をしていたり、見栄だったりするのは嫌いだ。そもそも、そんなのかっこよくない。
……という事をすっきりさらっと言えればいいのだが、生憎イワンにそんな会話スキルはない。
だから、伝えられるのはほんの少しだけだ。
「怒りませんよ。……大丈夫、ですから」
けれども、それだけ言えればキースは肩の力を抜いて安心するようなので、問題はないのだが。
少し買いすぎたか、と後悔する量の夕食を抱え、キースの車が辿り着いたのは、少し郊外に近いマンションだった。エントランスからカードキーでロックを解除し中へと入ると、エレベーターで部屋へと向かう。
「なんか、高そう……」
「そんな事はないと思うよ?」
恐らく、本当にそう思っていないのだろうとイワンは感じた。金銭感覚が崩壊しているという訳ではないが、キースはあまり頓着がない。お金は使うもの、そう思っているのだろう。
そういうのってどうなのかな、貯金とか大丈夫かな。
年下らしからぬ心配をイワンがしている間にも、エレベーターのランプとデジタル数字はどんどんとその位置と形を変えていく。チン、と軽い音が鳴ると、扉が開いた。
「さ、こっちだよ」
先を進むキースに連れられて扉の前に立つ。
カードキーで開いた先に、イワンは身体を固くした。
「……」
「どうしたんだい?」
「やっぱり……高いですよね、ここ」
「ああ、15階だからね」
「いや、そうではなくて……」
「?」
玄関から廊下、そしてその向こうに見える景色。
一介の警察官がこんなところに住めるのか?と疑いたくなる様な好物件だ。それでもなんとなく、キースならアリか、と思ってしまうのはイワンが盲目過ぎるのだろうか。
「ともかく、上がっておくれイワン」
「あ、はい……」
廊下を歩いて、リビングへとたどり着く。リビングにはあまり物がなく、テレビ前のソファでは、大きな犬がゆったりとその身を沈めていた。
「こら、ジョン!またソファで寝たね!」
抱えていた紙袋をテーブルに投げ出して、キースは犬に飛びかかる。じゃれ合う一人と一匹の様子は、まるで二匹の様だ。
ぽかん、と立ち尽くすイワンに、べろべろと頬を舐められるキースが、あ、と声をあげた。
「すまない、紹介が遅れたね! こいつはジョン。私の家族だよ」
ほら、と飼い主に促されると、大型犬はすぐに尻尾を振ってイワンの前に座る。かちん、と固まって犬を見下ろすイワンは、どうしたものか戸惑っているらしい。キースは笑ってそれを眺める。
恐る恐る伸びた手がそろり、とジョンの頭を撫でた時、キースは思わず吹き出した。
「な……っ!なんで笑うんですかキースさんっ!」
「い、いや……その……っふ、君が、その、凄い、可愛らしい……から、ふはっ」
「な、な……っ!」
瞬時に顔を真っ赤にすると、イワンは全速力でキッチンへと逃げだした。涙が出る程笑っていたキースはそれを追う事もままならない。愛犬が不思議そうに見上げている。
「怒らせてしまったね……。どうしようかジョン? でも私のパートナーは可愛らしかっただろう?」
「わう」
肯定とも否定とも分からない返事をすると、ジョンはまだ肩を震わせる飼い主を置いて、キッチンへと歩んで行った。
「……で、まだ私は許してもらえないのかな」
「……」
「イワン、ねえ。すまない、そしてすまない」
「……」
「イワン……」
ちらり、とキースを見るとすぐに視線を皿へと戻してしまう。
「イワン」
「……」
「すまないってば。ねえ、イワン」
「……キースさん」
「イワン」
最後の一口を口に入れ飲みこみ、ナイフとフォークを置いて、イワンがキースを見据える。
じとっ、ととした目線に、思わずキースは怯んだ。
「……怒っては、ないですけど」
「え?」
「次、あんな事したら、……帰りますからね」
「じゃ、じゃあ今日は泊まってくれるんだね」
「……はい」
もう帰れませんよ。
そういうイワンを、キースは乗り出して抱きしめた。
「好きだよ、イワン!」
「わ、わ……」
「さあ、食事も終わったしシャワーを浴びるかい? 君とソファに座ったら動きたくなくなってしまうからね!」
「えと、その……」
先程までイワンにあった筈の主導権は、もう既にキースのものになっている。
取り戻そうとはしないイワンだが、必死に口を開く。
「僕、シャワーじゃなくてお湯を張って入るので……キースさん、お先に」
「お湯を?張って?」
「ジャパニーズスタイルなんですウチ……」
少し恥ずかしそうにイワンが告げる。
その顔が可愛らしい、と思ったが、キースはその言葉を飲み込む。
「じゃあ今日は私もそれで入ろうかな」
ちゅ、とイワンの額に唇を寄せる。
「……どうだろうか。一緒に……と言ったら、君はまた怒ってしまうかな……?」
――ちゃぽん、と水音が響く。
「流石に狭いね」
「え、ええ……」
それなりに広さのあるキースの家の風呂だが、二人で入ると流石にぎゅうぎゅうだった。
イワンは膝を抱えて小さくなりながら、正面にいるキースをちらり、と見た。
(知ってはいたけど……、やっぱり、体格が違う……)
警察官という職業柄だろうか、キースの身体は鍛えてあり、厚みがある。
決して貧弱という訳ではないのだが、キースと比べるとイワンの身体は酷く細く見えてしまう。
今まで服を纏った姿しか見てこなかったが、こうやって無防備に身体の線を、筋肉を晒されると、イワンは目のやりどころに困るしかなかった。
「イワン君? 顔が赤いけど大丈夫かい?」
「だいじょうぶです……」
本当は全然大丈夫なんかではないのだが。
「そう?でも私は全然大丈夫じゃないけどね!」
「……は?」
がばり、と顔を上げる。
何時もと同じ、にこやかが笑顔がそこにはあった。
「だって君とこんな風にしてるんだよ?大丈夫なわけないじゃないか」
「……」
「さっき『我慢する』と宣言したのに、それを撤回したくなる」
「きーす、さん」
より強く、膝を抱きしめる。
ちゃぷり、と音がして、頬が熱くなって、キースの手が触れた事をイワンは理解する。
「君を襲ってしまう前に、私は失礼するよ。君はまだ、ゆっくりするといい」
私が、服を着るまではね。
そう言ってウインクすると、キースは盛大にお湯をこぼして立ち上がる。
残されたイワンはまだ、膝を抱えていた。
「……――れたって、いいのに」
ちゃぷん、とその声に合わせて水面が揺れた。
***
「――なんて、可愛い事を言ってくれた時もあったね」
ああ、勿論今も凄く凄く可愛いけど。
少し遠くを見上げながら、キースが呟く。ちゃぷりと水音がバスルームに響いた。
初めての健全な――ちゃんと我慢をしたのだから、健全と言い張っても良い筈――お泊りをしたのは、もう一年以上昔だ。
あの日からキースは、時間がある時限定だがイワンと同じ様にジャパニーズスタイルで入浴をするようになった。
それは沢山ある変化の小さな一つだ。一年という時間は、とても大きい。
イワンは、キースの強い勧めで大学へと進学した。
キースは、出世をして今はもう制服に腕を通す事もない。
お互いに忙しさが増して、すれ違った日々もあったが、今は概ね元通りと言えるだろう。
「あ、の時のキースさんは……、今みたいに、意地悪な事、しまっ、せん……でし、たね……」
「意地悪?心外だ、そして心外だ」
ちゅ、と音をわざと立てて、キースは腕の中の白い首筋を吸った。息を飲んで仰け反る反応が愛おしいとキースは思う。
約一年前と違って、今はもうキースは何も我慢する必要がない。イワンはもう学生といえど成人しているし、彼の両親だってこの関係に関しては認めている。とは言いつつ、歳の差故にまだどこか、罪悪感がぬぐえない部分がない事もないのだが。それでも、勝つのは何時も欲求だ。どんなに望んでも、尽きる事がない。
「君だってあの時、こうして欲しいと思っていただろう?私がそうしたいと思っていたように」
「……っひ、きーす、さん。もう、黙って……ああぁ!」
首筋から移動した唇が、イワンの耳元で低くねっとりとした声を出す。それから逃れようと身を捩ると、イワンの中に深く埋まったキース自身が、イワンの弱いところを掠めてしまう。
イワンが動いた事で少し抜けたそれを、キースは細い腰を掴んで再び埋め直す。あ、あ、あ、と切れ切れの声には、それでもたっぷりと快楽を感じている事が窺える。
「気持ちいい?」
「だから、しゃべら」
「ねぇ、イワン」
「ひっ……!」
少し浮かせてから、突き上げる。ぬるめだったお湯が少し冷たく感じる程、お互いの身体が熱かった。
するり、と頬を撫でて、また耳元でキースは囁く。
「私が、欲しい?」
最初は笑顔が、次は気持ちが、今は全てが欲しい。
次は一体何を欲しがるのだろうか、欲深い自身にはもう、キースは苦笑するしかなかった。
「きーす、さん……」
そろりそろり、といった様子でイワンがキースを振り返って見つめる。揺れる紫の瞳は、熱に浮かされているのに、真っ直ぐキースだけを映していた。ぞくり、と湧き上がる何かがキースを満たしていく。
「ほし、ほしい、です。……はやく、ねえ、お願い」
赤い顔を更に染めながら言葉を紡ぐイワンが、酷く愛おしく感じる。今すぐ絶頂に導いてやりたい気持ちをぐっと飲み込んで、キースは余裕――がありそうに見えるだけ――の笑みで言った。
「私の、何が欲しいんだい」
「……っ」
「イワン、私の、一体何が欲しいんだい」
笑顔か、気持ちか、それともただ苦しい今を開放して欲しいだけか。
「っあ……ん、なの……」
「そんなの?」
喘ぐだけで精一杯にしておいて、意味のある言葉を要求するのは酷だと、キース自身もよく理解している。
それでも、欲しがってしまうのはもうどうしようもない。
「ぜ、んぶ。ぜんぶ……はやっ、おねがい」
揺れる瞳が、震える声が、熱い身体がそう言えば、
「了解した。……すまないね、イワン」
「え……っ、ひ!あ……っ、やだ、ゆっくり、やめ……!」
湯船からざぶりと零れた湯よりも盛大に、キースはイワンへ全て、を与える事だけに集中した。
「……キースさんってホント、この一年で酷い人になりましたね」
ぐったりとソファに身を沈めたイワンが呟いた。
のぼせはしなかったものの、虐められるだけ虐められた所為で、すっかり体力を失ってしまっている。
「そうかい?」
「そうです」
キッチンから冷えたレモネードを注いだグラスを持ってきたキースが、小首を傾げる。
グラスを受け取るイワンは、溜息を吐いた。
確か最初泊まった時も、風呂上がりにはキースのお気に入りだというレモネードを貰ったような記憶がある。
「君が嫌がる事はした事ないと思うんだが」
「……嘘吐き」
「それは君だろう? イワン。君のこちらの口はよく嘘を吐く」
レモネードで濡れた唇をキースが吸う。
このキスも、一体あの日から何回しただろうか。もうお互い覚えていない。
「でも、そんな君が好きだよ。愛してる」
「……」
「イワンは?」
「……あ、当たり前でしょう……。好きです……」
キースは満足そうに微笑むと、イワンの手からグラスを取り上げる。
明日の予定は、どうも午前中の分は白紙に戻さなければならない様だ。