グラタンパイの契約
「あっれ、珍しい。今日休みか?」「ああ、そうなんだ」
虎徹がカウンターに立っていると、見慣れた濃い金髪頭がやって来た。
しかし、その首から下はというと、見慣れた制服ではなく、まだ数回しか見た事がないアメリカントラディショナルスタイルだ。
「じゃ迎えか。ご苦労なこって」
キースとイワンが付き合うようになってから、キースが時々ではあるがこうやって休みの日に迎えに来ることがあった。
イワンはそうやって店の一角を自分の恋人を待たせるのに使ってしまっているのが心苦しいようだが、虎徹からしたらそんな事は一切ない。寧ろ常連客が増えたのでありがたい事だ。
「イワン……イワン君は?」
「わりぃな、ついさっき休憩入らせたとこなんだわ」
「いや、気にしないで欲しい。私はイワン君の仕事が終わるのを待っているのであって、イワン君に会いに来たわけではないからね」
首を横に振って、気にしないで欲しいと告げるキースは、それでもやはりどこか寂しそうだ。
好きな人が、恋人が、伴侶がいないと死んでしまいそう――なんて、あながち嘘ではない事を虎徹は知っている。そしてそれが、あまり良い状態ではないという事も。
(ま、それでも幸せそうなら良いかー……って思っちまうんだよなぁ)
カウンターに肘をつき、休みであろうと変わらないメニューを頬張るキースを眺める。
どうにも虎徹は、完全に父親目線でいるらしい。どちらの父親かはよく分からないが。
「あー……暇だな」
そう、虎徹が呟いたのとほぼ同時だった。
「よーう、鏑木・T・虎徹」
「……な、お前っ!」
力任せにドアを押して店内に入ってきたのは、店に不釣り合いなほど派手なコートを着こなした、これまた派手な頭をした男だった。
キースはその容貌を見た瞬間、眉を顰めた。あまり人を見かけで判断してはいけないという事は分かっているが、男は、真面目な一般市民とは言い難い。
「何しに来たんだよっ。別に用ねぇだろお前はここに!帰れ!」
「そりゃ俺は要はねぇけどよ。でもクリームが『あら、シナモンロールを頼もうと思っていたのに忘れてしまいましたわ』って言うからよ」
「んなのメールで済むだろーが」
ぎゃいぎゃいと一方的に絡む虎徹を適当にあしらって、男はキースへと目を止めた。
矯めつ眇めつ、といった視線に、キースはきょとん、と頭に疑問符を浮かべている。
「あ、俺コーヒーな」
ぽい、と投げるようにコインを虎徹に差し出すと、男はキースの隣に腰掛ける。
何時もはカウンターを利用しているキースも、待ち時間が長くなる休みの日は、それでもショーウインドウに一番近い席を利用していた。
「よう、こんにちはキース・グッドマン巡査」
「私の事を知っているのかい?」
「この辺りでアンタの事を知らない人間はいないだろうな。それくらい有能って事さ」
「光栄だが、私はまだまだ……」
「かーっ、謙虚だな」
頭に浮かんだ疑問符の取れないまま、キースは男と会話を続ける。
男は格好こそ奇抜だが、頭の回転が良く、それに見合うだけの情報を備えているようだった。
「おーい、俺のコーヒーはまだかよ?」
「……」
一向に出てこないコーヒーに痺れを切らした男が、虎徹に呼びかける。
虎徹は答えないまま、奥へと引っ込んでしまう。
「あ、タイガー君!駄目じゃないか!」
「いやいや、ありゃ他の奴を呼びに行ったんだろうよ」
「他の?」
「ほら、すぐに来るぜ?」
キィ、と虎徹が出て行ったばかりの扉が開く。
そこから顔を出したのは、イワンだ。キースの表情が和らぐ。
「……!?」
が、イワンの表情は驚きで固まる。
「「よーう、イワンちゃん。待ってたぜぇ?」
ひらひらと手を振って男がイワンに猫なで声を出した。
「イワン、この方は君の知り合いなのかい?」
疑問を口に出すと、それはすぐ答えとなって帰ってきた。
「とう、さん」
(……とうさん?……父さん!)
バッと勢いよく隣に座る男へと首を向ける。
どう見てもイワンとは似ていない。イワンが母親似、という可能性もあるが、それにしても似ていない。
けれど、イワンがそんな嘘を吐かないと言ったキースは、ただただ頭を混乱させるばかりだ。
「なんで、なんでいるのさ!しかも……キースさんと!」
「クリームが『あら、シナモンロールを頼もうと思っていたのに忘れてしまいましたわ』って言うんだぜ?仕方ねぇだろ」
「そんなの僕にメールすればいいじゃん!母さんだってそのつもりだっただろうし!」
「なんでもいいだろ?それともイワン、あれか?ここに俺が来ちゃいけない理由があるのか?」
「……」
イワンが押し黙る。
キースはただ、二人の間できょとん、としているしかない。
「ええと、イワン……君、その……?」
「……もう仕方ないんで紹介します。キースさんのお隣にいるのが、僕の父……ジェイク・マルチネスです」
「ウチのイワンが色々、とお世話になってるみたいで?」
にやり、と笑うその顔からは『全部知っているぞ』そう言われているようだった。
「ああ、よろしく……」
差し出された手をとり、握手をする。
その様子を、イワンはなんとも言えない表情で見つめていた。
「イワン君、どうかしたかい」
「……」
「黙っていては分からないよ」
「……」
「イワンはシャイだからな。ま、気にすんなって」
「……」
父親――ジェイクのこの風貌からして、なんとなく店に来てほしくなかった理由は理解できる。そして、彼がここに来た理由も、あの表情から感じ取ったそれが間違っていなければ、そういう事なのだろう。
「Mr.マルチネス」
ぴしり、と姿勢を正してジェイクへと向き直る。
「かってぇなぁ。……ま、何でもいいけどよ」
「私は……その、お宅のイワン君と……」
「ちょ、キースさん!」
「……オツキアイサセテイタダイテイマス。だろ?知ってるぜ?」
「ああ、やはり……」
やはり、そういう事だった。
では、とキースは考える。自分は色々と試されていたのだろうかと。
「では、単刀直入に聞こう。……私は、合格だろうか?」
貴方の息子の、恋人として。
「……」
ぽかん、とジェイクが口を開ける。
そして、すぐに破顔した。
「ひゃははは!アンタ面白いな!……ああ、合格だぜ?ま、満点には足りないがな」
「そうか!それは良かった!ありがとう、そしてありがとう!」
「……き、キースさん……父さん」
イワンだけが、状況が飲み込め切れていないように、立ち尽くす。
その頭を、ジェイクはぽんぽんと撫でる。
「イワンちゃん、俺帰るからシナモンロールとグラタンパイ頼むわ」
「……あ、うん……」
ふらふらとカウンターの中に戻るイワンを眺めるジェイクの表情は、あまり似つかわしくない。
父親、がこんなにも似合わないのも珍しい。
と、少々失礼な事をキースは思った。
「キースさんよぉ」
「なんだろうか」
「アンタは、アイツを捨てるなよ」
「……え?そんな事する訳ないだろう!」
「ま、だろうな。だから合格だ。欲を言えば――もうちょっと、稼いでくれねぇとな?」
「……善処しよう」
「アンタ、本当に面白いな」
息子から似つかわしくない紙袋を受け取ると、ジェイクはさっさと店を出て行った。
取り残されたように、キースとイワンだけが店にいる。虎徹とバーナビーは、恐らくそのまま裏で仕事をしているのだろう。
「イワン」
「……はい」
「いいお父さんだと、私は思うよ」
「そう、ですかね」
「うん」
力が抜けたように、イワンが笑った。
「……ちょっと、怖かったんです。父さんあんなんだから……昔はちょっと色々やってたみたいだし……キースさんと会わせない方が良いんじゃないかって」
「……」
「キースさん、ごめんなさい」
「いいよ。気にしていないよ私は」
「……」
「イワン」
『アイツを捨てるなよ』
その言葉と、異なる名字。なんとなく理解してしまった事は黙ったまま、キースは心の中で誓った。
「私は、何があったってイワンを愛している。手放す訳がない!」
それは、今更誓う必要もないのだ事なのだが。