ダージリン、休憩中
「お疲れ様です、先輩」「バーナビーさんも、お疲れ様です」
イワンが休憩室に入ると、そこでは少し早く休憩に入ったバーナビーが椅子に座っていた。その手には珍しく――バーナビーは基本的に、缶飲料を飲まない――紅茶の缶が握られている。
「先輩、どうぞ」
バーナビーが自身の隣にある椅子を引く。少し戸惑いながら、イワンはそこへ腰を下ろした。
年上で立場が上で、でもキャリアとしては自分より短い後輩――と本人が自称する――を、正直なところイワンは少し持て余していた。嫌いでも苦手でもない。しかし、どう接したらいいのか未だに分からない。
「あ、ありがとうございます」
「ついでに、これもどうぞ。冷めてしまいますから」
差し出されたのは、バーナビーが飲んでいるものと同じ紅茶の缶だった。受け取ったそれはまだ猫舌気味のイワンには熱いと感じる温度をしている。
どうして二つ?
そうイワンは疑問に感じはしたが、聞いて良いものなのかどうかは分からない。根拠がある訳ではないが、バーナビーはきっとこういう質問をされるのがあまり好きではないのではないだろうか、とイワンは思う。踏み込んだ事を良く彼に聞いている店長は、その度に嫌そうな顔を向けられていたので。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
開けたプルタブからふうふうと息を吹き込み、少しはマシになる様頑張ってみる。こくり、と飲んだ一口は、やはりイワンの舌には熱かった。
「あっつ……」
「……」
「……?」
じい、と見つめられている。バーナビーを見ると、視線を逸らされた。見てましたよね、なんて言える筈もないイワンは、また一口紅茶を啜る。やはりまだ熱い。そして同じ様に視線が刺さった。
その真っ直ぐな視線に、イワンは居心地の悪さを感じ、もぞりと身体を動かす。
「先輩は……小動物みたい、ですね」
「え?」
「やっと彼の気持ちが分かったような気がします」
「え?あの、バーナビーさん……?」
バーナビーの言葉を上手く飲み込めず缶と彼の間で視線を行ったり来たりさせているイワンを、バーナビーは酷く柔らかい笑顔で見つめた。
ああ、こんな風に笑える人だったんだ。ぽかん、と口を開けてイワンは思った。
「貴方みたいになれれば良かった」
「……え?」
ちゃぽん、とバーナビーの手の中の缶がら音がする。甘ったるいミルクティーを飲むバーナビーを、イワンは今まで知らなかった。
「……いえ、何でもないです。ああ、休憩時間が終わるので行きますね。先輩はごゆっくり」
「バーナビーさん」
「なんでしょう」
何時もと同じ、冷たい真っ直ぐな視線がイワンに刺さる。けれどその緑の瞳は、わずかに揺れていた。
「僕は……バーナビーさんみたいになれれば、と思います」
「……僕みたいになったところで、きっと良い事なんてありませんよ」
「あります。だってバーナビーさんは、僕が望んでる事を、本当にしちゃったじゃないですか」
「え?」
「知ったの、すごい最近ですけど。……ここで将来働きたい、って言ったらネイサンさんが、教えてくれたんです」
『イワンちゃん、本当にそれでいいの?アタシとしてはとても嬉しいけど、あの子――キースちゃんの為に将来を決めるような事、言っちゃ駄目よ』
『それもありますけど……でも、僕はここが好きなんです。ここでバイトしなかったら僕は、きっと甘やかされて逃げて隠れて、成長出来なかった。ここに来るお客さんの中にも、まるでちょっと前の僕みたいな人が、いるんです。店長がしてくれたみたいな事、僕も出来たらって思うんです。決してここにいたいと思う理由が、キースさんだけじゃないんです……』
必死に言葉を紡ぐと、ネイサンはくすり、と笑った。
『ホント、ここで働きたいっていう子ってどうしてそう良い意味でも悪い意味でも可愛らしい思考なのかしら!……ハンサムもね、同じような事言ってたわよ』
『え……?』
『両親と同じ道を歩むはずだったのに、馬鹿よね。でも、そんなお馬鹿さんだからこそ、アタシはこの店で働いて欲しいわ。アタシが望むのは、そんなお店だから』
だから、寧ろこっちから頼むわね。
ネイサンのその言葉に、イワンは少し涙混じりの返事を返したのだった。
「あの人は……」
「あ、ごめんなさい……。僕なんかが、聞いちゃって……」
「いえ、気にしないでください先輩。……でも聞いたのなら尚更、僕みたいになりたいなんて思わないんじゃないですか」
一口、バーナビーは紅茶を飲んだ。
普段飲まないそれを買った理由は単純明快、虎徹に頼まれたからだった。数枚のコインを手渡され、お前の分も買っていいから頼むよ、と言われたバーナビーは一言嫌味を言いはしたものの、断らなかった。
イワンにとってのキースのように、虎徹はバーナビーの理由の一つだったから。
だから、虎徹と同じ味を知りたくて、紅茶を二つ、買った。
「なりたいですよ」
イワンの紫の瞳が、バーナビーを見つめる。揺れるそれは、けれども真っ直ぐだ。
「バーナビーさんみたいに、迷わずに決断できる人に」
「……大丈夫ですよ、先輩なら」
そう言い切れる時点で、自分とは違う。
喉元まで出かかった言葉を、バーナビーは紅茶で流し込んだ。ああ、甘ったるい、そう思った。
「……おや、店の方が騒がしいですね」
「あ、本当ですね。何かあったんだろうか……」
ざわざわ、というかなんというか、二人にはどうにも騒がしく感じた。
普段が静かだというのもあるのだが。
「――イワンいるか?」
バン、と勢いよく休憩室のドアが開き、虎徹が顔を出す。
「わり、イワンちょっと店出てくんね?アレはお前じゃないと無理だわ」
「え……?あ、はい」
飲み終わった缶をそのままに、イワンが立ち上がって店へと戻って行く。それを見送った虎徹は、長く安どのため息を吐いた。
「何かあったんですか」
「あー……、ちょっとな。どう転ぶかさっぱりな組み合わせがご来店中でよ」
「……?」
「見りゃわかるよ。ま、見ない方が良いだろうけどな」
「……ってあー!バニーちゃん俺の紅茶は!?」
「さぁ」
バーナビーの弾んだ声が、短い返事をした。その表情に虎徹は一瞬ぽかん、とし、次の瞬間満足そうに笑った。
「な、なんですか」
「いやあ、久しぶりに笑ったなと思ってよ」
「笑った……?別に店ではちゃんと笑ってるでしょう」
「違う違う!あんな作り物っぽい営業スマイルじゃなくて!ちゃんと、バニーが笑ったなって」
「……」
バーナビーは自分の口元に触れた。それは何時も通り一文字に結ばれていて、虎徹が言ったような笑顔をしているとは到底思えなかった。
けれど、とバーナビーは思う。この人がそういうのなら、そうだったのだと。
よく分からないまま、店へと続く扉を開けた。
「……!?」
「よーう、イワンちゃん。待ってたぜぇ?」
「イワン、この方は君の知り合いなのかい?」
何時ものカウンターではなくテーブルに座っていたのは、キースと――。
「とう、さん」
――イワンの父、ジェイクだった。