白黒的絡繰機譚

お見通しシナモンロール

「あの、ここまででいいです」

自宅から一区画離れた角で、イワンは隣で車を運転するキースに声をかけた。

「ん?君の家はもう少し先だったような……」
「確かにもうちょっと先ですけど……。でも、ここまででいいです」
「遠慮することはないよ。君の家の前まで送って行かせて欲しい」

駄目かな?と優しく言われてしまえば、望まなくともイワンにそれを断る事は出来ない。
虎徹やバーナビーといった家庭事情を知る面々が一緒ならば、キースを宥めて説得してくれたかもしれないのだが。
何時までも隠せることじゃないというのは、イワン自身が一番よく分かっている。けれどまだ、キースに、そして家で待つ両親にお互いの存在を知らせる決心がつかないのだ。

「……」

断れない恋情と、決心のつかない現状がせめぎ合い、答えを口に出せない。
そんなイワンの様子に、キースは少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべ、アクセルを踏んだ。
少し前まではそうでもなかったのだが、付き合う中で段々と素……というか、取り繕っていた部分が顔を出してくる。キースが少し、意地悪な面もある品行方正なだけではない人だ、と知ったのはつい最近の事になる。

「ちょ、キースさ」
「悪いね。……無言は肯定ととってしまうから、次からは気を付けた方が良い」

目を細めて笑うキースの横顔を困ったように見つめながら、イワンは首を伸ばして自分の家を見た。残念な事に、電気がしっかりと点いている。もしかしたら、とも思ったのだが、もしかしなかったようだ。

「こ、ここです、僕の家……。あの、ありがとうございました」

ちらり、と明るい窓の方を見る。人影は見えない。

「良いんだよこれくらい。そもそも私の我儘だしね。……さて、お休みイワン。また明後日、かな?」
「はい、また明後日です」

明日はまだ平日で、イワンはバイトがない。付き合ってはいるものの、社会人と学生という年の差カップルは、ドーナツショップの仲介がなければ、まだ碌に会う事もままならなかった。

「イワン」

車から降りようとしたイワンの肩を、キースが掴む。

「おやすみ」

ちゅ、と小さな、けれど響く音と共に、キースの唇がイワンのをかすめる。

「あ」

自分の顔が染まっていく事実を、どこか冷静にイワンは受け止めていた。
どうしよう、これじゃあ家に入れない、と。

「お……やすみなさい、キースさん」

目を伏せて返事をし、イワンは家へと駆けだした。顔が赤いのは、走った所為にしてしまえばいい。この赤い顔のまま家に入るには、それしかない。
走るイワンが無事玄関をくぐったのを見届けると、キースは車を走らせる。会えない明日に、あからさまな溜息を吐きながら。



「……か、帰りました……」

玄関をくぐると、何時も通り味噌と出汁の良い匂いがイワンの鼻をくすぐった。

「おかえりなさぁい、イワンちゃん」

小さなイワンの声が無事届いたらしく、奥から若い女性の声が響いた。
この家に来て、イワンと声の主を見た人物は大抵こう言う。
『ご姉弟ですか?』と。

「ただいま……母さん」

リビングへと行くと、丁度イワンの若すぎる外見を持った母――クリームが、お盆に載せたミソスープを運んできたところだった。

「いやぁん、イワンちゃんたら。もうママって呼んでくれませんの?」
「……僕もう、18歳なんだけど……」
「18歳でも、私の可愛いイワンちゃんには変わりありませんわ」

お盆を置いたクリームがきゅう、とイワンを抱きしめる。ぱっと見だけではなく、肌まですべすべとしているクリームは、本当にイワン程の子供がいるとは思えない。実年齢的には、全くおかしくないというのに。
何時までも若々しく、美人な母親は自慢と言えば自慢なのだが、変わらない自身の様に自分の認識すら『子供』のままなのは、18歳としては複雑だった。

「あ、母さんこれ、朝言ってたやつ」
「まあ!ありがとうございますわ」

持っていた紙袋をクリームに手渡す。中身はシナモンロールが二つ。
時々クリームは、イワンのバイト先の商品をお土産に欲しいと言い出すが、大抵の場合、頼まれるのはこれだった。彼女の子供としてずっと生きてきているにも関わらず、イワンには食べ物の好みくらいしか把握をしていなかった。そういうところを、彼女の夫は好きだというのだが。

「ママはイワンちゃんのミソスープを用意してきますから、イワンちゃんはジェイク様を呼んできてくださるかしら。部屋でお仕事している筈ですわ」

ジェイク様、というのはクリームの夫、そしてイワンの父にあたる男の事だ。
結婚して20年近く経とうとかというのに、クリームはずっと様付けでジェイクを呼んでいる。昔はそれが気になって気になって仕方が無かったりもしたが、今はもうそれが普通で、寧ろそれ以外の呼び方をした日には何があったのかと問い詰めてしまうかもしれない。慣れって怖い、とイワンは思った。

「呼んできます」

とん、とん、とん、と階段を上って、目的地の扉を叩いた。
一応ノックはしたが、それはあまり意味をなさない。どうせジェイクは聞いてなんかいないのだから。

「父さん、ご飯だって」
「……んー?なんだイワンちゃん帰ってたのか」

部屋の中で複数台のパソコンを操作していたジェイクが、怠そうに椅子を回転させてイワンの方を見る。
いつ見ても、イワンにはジェイクの仕事が一体何なのか見当もつかなかった。今日はパソコンに向かっていたが、きっと明日は違うのだろうし、明後日はさらに違う事をしているのだろう。

「さっきね」
「そーかそーか。今日もバイトご苦労様ー」
「父さんもお疲れ様?」
「なんで疑問形なんだよ。ちゃんと仕事してたっつの。家族がいるんだからな」

椅子から立ち上がって、イワンの頭を撫でまわす。はねた髪が、更にはねた。

「……あ、そうだそうだイワンちゃん。お前何時の間に彼氏出来たの」
「……え?」
「いや、ちょっと前からクリームとありゃ彼女でも出来たなとか言ってたんだけどよ。まさか彼氏だとはなー流石にパパもちょっと予想してなかったわ。まあクリームは薄々そうじゃねぇかとか言ってたけど」

女の勘ってこえぇよなぁ。
と、軽く言う父親をイワンは開ききった眼で見つめる。

「さっきもお家まで送ってもらっちゃってよ。ありゃ年上か。いくつだ?稼ぎは?」
「……」

イワンは固まったまま動けない。
さっきまでは、イワンが帰ってきたことすら知らない様な事を言っていた筈なのに。
昔からそうだ。ジェイクは何時も、イワンが隠している事をすぐ見破ってしまう。

「……ジェイク様ー、イワンちゃんー。ミソスープが冷めてしまいますわよー」
「おーう、今行くわー」

階段の下から、クリームの声が響く。
ジェイクに引きずられる様に手を引かれながら階段を下りるイワンの頭は、未だ混乱したままだ。

「クリーム、やっぱ彼氏だったわ」
「うふふ、やっぱり」

楽しそうに笑う両親は、息子に彼氏がいる、という事実を極々普通の事の様に話している。
それはそれで心配の一つが消えるから良いのだが、多分……いや、恐らくきっと、面倒な事になる筈なのだ。
キースの性格、職業その他諸々。クリームはともかく、ジェイクに気に入られるとは思えない。

「イワン」

にやにやと嫌な笑みを浮かべた父親が、イワンを見下ろすように見つめる。

「今度連れてこいよ」

笑う両親に、イワンはただただ引きつった顔で笑い返す事しか出来なかった。







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