チョコレートチャンクの勲章
街というものは、人が集う。人が集えば、その人数に応じて犯罪発生件数も上がる。こればかりはどうしようもない事だ。
小さいものなら、普通に生活していても目にする機会がある。イワンがバイトをするドーナツショップでも、無銭飲食くらいなら年に数件は起こるのだから。
ハイスクールからバイト先へと向かう道は、人通りの量で言えば中の下くらいだ。バイト先も、それに見合う程度の客の量だと思われる。一度ぽつりと「あまり人が来ませんね」と呟いてしまった時、店長は「だな。だけどこれくらいの方が、猫舌の奴でもホットコーヒーが頼めるからいい店なんだよ」なんて軽く言っていた。
初めて出会った時にも思った事だが、イワンはそんな風に考える事の出来る店長が好きだった。イワンや特にバーナビーを困らせるような事もあるが、それでも大人として格好いい、そう思っている。
「……あれ」
珍しい人だかりが目に入る。ざわざわと断片的に聞こえてくる情報をまとめると、すぐそこのコンビニに強盗が入ったらしい。
幸い警察への連絡が早く、すぐ確保されたという。
隙間から覗くと、二人組の男がパトカーへと連行されているのが見えた。
「――あ」
不意に、男たちが警官を振りほどき、蹴り上げる。
「逃げた!逃げたぞ!」
イワンを含むただの見物人たちは、叫ぶばかりで動けもしない。蹴り上げられた警官はまだ動けない。
「待て!」
響く声が静止の言葉を逃げる背中に投げる。そちらに視線を送ると、パトカーから降りたもう一人の警官が、彼らを追っていた。
その警官の足は速く、手錠の所為でバランスの取りにくい男たちとの距離はするすると埋まっていく。
「くそっ!!」
先ほどの警官のように地に沈めてやろうとばかりに、二人が腕と足を振り上げる。
――が、次の瞬間地に沈んでいたのは、男たちだった。
「す、すごい……」
拳をかわし、足をかわし、反撃するのではなく、二人同時に抑え込む。
イワンが驚いている間に警官はテキパキと無線で連絡し、もう一度パトカーへと男たちを乗せる。
「……!」
パトカーが発進した瞬間、運転する警官の横顔が、一瞬だけ見えた。
それは紛れもなくキース・グッドマンであり――イワンの知らない表情が、そこにはあった。
真っ直ぐで真剣な目をしている人だとは思っていた。けれど、自分に向けられる表情ではないそれに、胸が酷くざわつく。
それが何故かは、イワンには分からない。けれどただ、走り去るパトカーから目を離せなかった。
――その日キースが姿を現したのは、いつもよりだいぶ遅い、閉店間際だった。
「やあ!こんにちはイワン君!」
まるで何も無かったかの様に、何時も通りの第一声を放つ。
それもそうか、とイワンはトングを片手に思う。ただの学生である自分にはあの光景は非日常だが、警察官であるキースにはあれが普通なのかもしれないのだから。
「お待たせしました。どうぞ」
砂糖を入れたホットコーヒーと、ブルーアイシングのドーナツ、そしてドーナツに寄り掛かるようにして置かれているのは、ごろごろとしたチョコレートチャンクの混ぜられたクッキーだ。
「……ん?今日はどうしたんだい。私は元気だよ?」
以前、疲れた顔をして来店したキースを気遣って(後日、彼の好物だと判明した)パウダード・ケーキが添えられていた事はある。
だが、今キースは疲れてなぞいないし、寧ろ一仕事終えてここに来る事が出来て、晴れやかな顔をしているはずだ。
「今日のはなんというか……、そういうのではなくて。迷惑じゃなかったら、貰ってください」
「よく分からないけれど君がくれるというのなら、私が断る訳がない!ありがたく頂戴させていただくよ」
にっこり笑って、キースはクッキーを齧る。
「ありがとうございます。……あの、ああいうのって何時もやってるんですか」
「ああいうの?」
「さっき、強盗を……」
「ああ!もしかしてあそこにいたのかい?」
「ええ、丁度ここに向かっていて」
「そういう時間だったね。私は同僚と二人でパトロール中だったんだが、その時丁度無線で連絡があって行ってみたら……ね。犯人が暴れた時は焦ったけど、何とかなって良かったよ」
もう一口クッキーを齧って、にっこりと笑う。
あの時とは違う真っ直ぐな視線がイワンへと注がれる。
「良かったです、本当に……。キースさんに、何かなくて」
警察官という、職業。
知らなかった訳でも、忘れていた訳でもない。ただ、キースという人物からそういう雰囲気がしなかっただけだ。
パトカーでやって来ても、制服を身に着けていても、イワンの前にいたのはドーナツが好きで、甘党で、自分に優しいキースだったから。
イワンの知らないところで犯人と向き合ったりしているなんて、思えなかった。
「大丈夫だよ、私は」
「でも……」
「ははは、心配性だね!でも、嬉しいよ。君にそう思ってもらえるなんて。このクッキーは、もしかしてその時活躍したご褒美みたいなものかな?」
「ご褒美、っていう言い方はちょっと違いますけど……。でもその、お疲れ様というかなんというか……」
イワンに出来る事は、心配する事とこうやってサービスをする事くらいしかない。
「イワン君」
向けられるのは、少しだけあの時に似た表情。
「ありがとう、そしてありがとう!」
「!?」
がたり、と椅子を倒して立ち上がったキースが、腕を伸ばしてカウンターの中のイワンを抱きしめる。
突然の出来事に、勿論イワンの体は動かない。
「誤解を招く言い方かもしれないが……。君がそう思ってくれるのが、私を労ってくれるのが、一番嬉しいんだ」
硬直したイワンが解放されたのは、閉店時間になってからだった。