Qステップでもお任せを
「……遅い」用意された控室のソファにふんぞり返りながら低い声で呟いたのは、俺の雇主だ。この控室に通されたのはもう二時間は前の話で、低く不機嫌な声が出るのも致し方ない。それも、こちらに落ち度があるわけではなく、共演者側の都合だというのなら、尚更。
そんな不機嫌な男の秘書である俺は、彼を宥めることもせず、ただただソファに座っている。だが、もうそろそろ本気で彼を窘めないといけないかもしれない。彼の左腕は、俺の背中を回って腰を抱いている。このままだと、イラついたままに押し倒されかねない。いつ撮影スタッフがやって来るかも分からないのに。
「ライアン」
「何」
見上げながら名前を呼ぶ。イラついた瞳は揺れている。
「立ってください」
腰を抱く掌をやんわりと外して、立ち上がる。控室は十分……いや、正直無駄なほど広い。飲み物や雑誌など、彼が暇を持て余すことがないよう色々と手配はされているが、どれも無駄に終わった。
「何、俺今なーんにもしたくない気分なんだけど」
「俺は何かしていたい気分です。貴方のその、ぴりぴりした空気に中てられるのはいい加減限界だ」
「……言うようになったねぇ」
仕方ないな、という風に彼が立ち上がる。そのまま俺はソファの後ろのスペースへと進み、振り返る。何をするんだ?という風に彼が首をかしげていた。
「……では、一つ目から」
「は?」
「一つ目。通常のパターンからです。音楽がないと駄目ですか?」
今日の仕事は、とあるブランドのCM撮影だ。男女二人で様々なステップのダンスを踊る、簡単に言ってしまえばそれだけのものだ。隣り合ってステップを踏むだけならば、別撮りもできるのだが、やや密着が多いためそれも難しい。なので、こうやって待ちぼうけを食っている。
「いや、俺は踊れっけど……」
「では、スリーカウント後に。1、2……」
する、と彼の正面に立って、右手を握る。彼も一瞬戸惑った後、ポーズを取った。そこから一歩踏み出して、引いて、ステップを踏んでいく。
自身を天才肌だから、と言う彼は、勿論ステップを間違えて俺の足を踏んだりはしない。きっとスタッフや共演する女優には、ちっとも練習をしていない風を装うのだろう。それがゴールデンライアンというヒーローのキャラクターなのだから。けれども、俺は知っている。リビングのプレイヤーにはいつも振付のDVDが入っていたし、曲だって聞き飽きてしまうほど聞き倒していることを。
きっと世界で俺だけが知っている。
そんな事を考えながら、ステップを踏んで、まるで共演女優のように彼を見る。
「やべー、まさかアンタとダンスする日が来るなんて思ってなかった」
てか、踊れるなんて思ってなかったし。そう、彼が言った。
「貴方の隣で一体何度見たと思っているんです」
「でも普通、見ただけじゃ踊れなくね?」
もしかしてちょう練習した?とライアンが茶化す。流石にそんな事はしていない。理由もない。けれども。
「俺は、貴方の自慢の秘書ですから」
勿論、彼はその後に「兼恋人ね」と付け加えた。