白黒的絡繰機譚

そんな声は貴方のせい

ネプチューンプロデュースでウェーブがVチューバー的なことをしている現パロ。

『……はい、じゃあ今日はここまで。明日には流石にここクリアしたいかな。おしまい、みんなおやすみ』

ソフトやマイクを落として、息を吐く。もう結構回数を重ねたのに、ぎこちない。だって絶対、俺に向いてないじゃんこれ。最初からずっと、今だってそう思ってる。

「お疲れ様です」

楽しそうな、弾んだ声で労われる。くるりと高そうな椅子を回転させると、見慣れた奴がぱちぱちと拍手をしている。

「……いつも思うんだけどさ、本当にこれでいいの?」

所謂ゲーム実況を生配信するだけ。出来のいい、でも何故か俺と髪や目の色なんかが同じのアバターを使っての、そう、流行りのやつ。自分じゃあんまり見ないそれを、まさか配信側でやるようになるとか、誰が予想できたんだろうか。勿論そんなこと、俺が自分でやろうと決心してやり始めたわけじゃない。

「勿論です。今日も素敵でしたよ」
「……」

そりゃさ、声とゲームの操作以外は可愛いアバターだから素敵だろうな。唯一最大の問題点は、声と操作、つまり中の人が俺だってことなんだけど。まあ、多分コイツにはそれは引っ掛かりのないとこなんだろうな。なにせ俺にこんな事をさせてるのはコイツなんだから。




「――私と一緒に、お仕事しませんか」

バイトが休みの平日に、隣に引っ越してきた者ですとインターホン鳴らされて応対したらそう言われた。受け取った箱(結構いいお菓子だった)を突き返した方が良いのかなこれ、とか思ってる俺に、隣の奴は名刺と一緒になんか紙の束も差し出してきた。つい圧に負けて、ぺらりと中身を見てしまう。

「……これってもしかして」

3Dモデルの三面図?とかそういうのが目に入る。名刺に書いてある事務所の名前も、俺ですら聞いたことがある。いやいや、まさかね。とか思いつつ顔を上げると、

「ええ、是非うちでバーチャルアイドルとしてやっていただけないかなーと」

そう、言ってきた。これはなかなかにヤバい奴が引っ越してきたな……どうしようすぐ引っ越せるアテがない……とか俺が青ざめてるのに気づいてないのか、隣の奴はにこにこしながら色々セールストークらしきものを喋っている。残念ながら俺にそれを処理する余裕はないので、適当な相槌すら打ててはいない。いやなんでこの人こんなガッツリ俺にセールストークしてんの? こういうのって、男でも女でも声がいい奴がやるもんだろ。というか、わざわざこんなスカウトしなくても、今ってなりたい奴いっぱいいるんじゃないのか。なんにも分からない。

「どうでしょうか」
「……。……いや、ちょっと、無理です、無理」

どうでしょうかも何もあるんだろうか。これで即答OKする奴はだいぶどうかしていると思う。でも対面ゼロ距離のこの状況で、きっぱり断れる奴は凄いとも思う。俺には無理。
すると隣の奴はそうですか長々失礼しました、でも是非ともご検討ください……とか何とか、また長々と並べ立てた割には、あっさり引いていったので逆にびっくりした。扉が閉まると同時に長く息を吐く。残されたのは挨拶の品と名刺と企画書みたいなやつ。そんなのテレビで見るくらいで、俺はちゃんとしたの見たことないけど多分そう。さっきちらっと見た、モデルがしっかり載ってるページをつい、じっくり眺める。

「うわあ……」

よくこれで俺にあんなこと言ったな、と思った。いや、別に3Dの可愛さとか綺麗さと、実際の容姿は関係ないんだけども。髪とか目の色が何故か俺と一緒だから、余計にこう……比べて残念感がある、というか。当たり前だけど、作り物だから全部整ってる。これに俺の声とか絶対にアンバランスじゃないかと思うんだけど、どうなんだろうな。そういうのが良いってもの好きも万が一……億が一いるかも……いやいないか……。いないだろうに何で俺に声かけたんだろうなあの人……。
考えれば考えるほど何も分からない。というか、そもそも考える必要があるんだろうかとも思う。さっき一応無理って言ったし。でも、もし部屋の外でうっかり顔を合わせたらまた話を振られるかもしれない。悪い可能性がどんどん頭を埋め尽くしていく。なんで俺がこんなこと考えないといけないんだろう。段々腹が立ってきた。それと同時に、考えるのが面倒になってくる。
……隣に住んでるっていったって、多分普通に出勤退社する奴と、フリーターの俺だと生活リズムって違うだろうしそんなかち会ったりしないんじゃないだろうか。インターホン鳴らしてきたら居留守使えばいいし。それに、こういうのって普通オーディションとかするんだろ。多分、もし押し切られたとしても本当にこのモデルでなんか喋ってください、になるわけない、と思う。俺なんか連れてっても反対多数でご縁がなかったことで……になるに決まってる。きっと隣の奴がちょっとスカウトに向いてない感覚なだけだろ。うん、多分、大丈夫だろ。大丈夫であってくれ。もう考えるの本当に止めよう。
――後で思えば、ここでもうちょっと考えて、というか資源ごみの上に無造作に投げた企画書、いや名刺の方にちゃんと目を通しておけばまた色々違ったんだろう。でも無理だ。だって俺だから。




「いらっしゃ、……ま……ぇぇ……?」

ああ、また怒られる。どこか冷静な俺がそう思う。勿論そんなのは一瞬一欠片だけで、すぐ頭の中は「なんで?」でいっぱいだ。静かに開閉はしない引き戸を後ろ手で閉めた客・昨日の隣のやばい奴を、俺はつい伏せた顔を上げられないままテーブル席に案内する。カウンターに空きはあるけれど、どうせもうすぐ常連が来るから実質予約席だ。なんで、なんでコイツここに来てるんだ。俺がバイトしてるって知ってたのか? だって偶然にしてはちょっと出来すぎてるっていうか。

「会社のビル、近所なんですよ」

そんな俺の思考を読んだかのように言われた。このあたりに昼もやってる飲食店はそこまで多くない。なら、まだ、偶然っぽい……いやそんなことないか。のろのろと水のグラスを出して、ぼんやりと立ち尽くす。絶対に怒られる。注文が立て込んでるから、今すぐじゃないけど。

「中華そば一つ、お願いします」
「……あ、はい。……そば一丁ー!!」

半ばヤケクソ気味に叫ぶ。とりあえず出来上がるまでのほんのちょっとの時間は、怒られることはない。店の中は音量のでかいテレビと、調理音とカウンターの客のどうでもいいお喋りで結構うるさい。でもなんだかそういう音が全部遠くに聞こえて、まるで俺とコイツだけが別の世界にいるみたいな感覚になる。

「……」

そっと、目線だけ上げて奴を見る。がっつり視線が合う。なんか笑ってるのが、怖いしムカつく。こっちはアンタのせいで頭の中ぐちゃぐちゃにされてるってのに。そう叫びたい衝動に駆られるけど、一応ここでは店員と客だから、そんなこと出来やしない。

「お仕事、楽しいです?」
「……。普通です」

毎日怒られるし、時給も大したことないけど、クビにはなってないから、普通。……多分そこまで言ったら「普通じゃない」って100人中100人言われそうな気はしなくもないけど。でもここを辞めたりクビになったりしたら、もっと悪いことになるんじゃないかって、そう思う。だから普通。今が普通。別に変化を求める必要なんてない。

「そうですか」
「……」

さっくり、拍子抜けに会話は終わる。もうそろそろだな、とのろのろ出来上がった中華そばを取りに行く。俺を怒ってる間に伸びるから、まだ店長は俺を叱り飛ばしはしない。でも、これを置いたら。……ああ、何もかもが俺に無茶を言ってくる。そんな気がする。身体を引きずるようにして、丼を運ぶ。

「お待たせしましたぁ……」

丼を置いたから、待っているのは説教タイムだ。客がいるとかそういうのは全く関係ない。手が空いて、怒る怒られる理由がある、それだけ。ため息をつく気にもならない、いつものこと。だから、別に、

「全部人のせいにしてみません?」
「……は?」

なんとも、なかった、筈なのに。

「面倒も辛さも、煩わしいこと全部、私に被せてしまって、やっていきませんか」
「……。絶対向いてない、無理」
「勿論、最初から面倒も苦しさもないとは言えません。でも、今よりはずっと、絶対楽ですよ」

遠くで、店長が怒鳴ったような気がした。でもまるで、俺とは全然関係ない世界のもののような、そんな風にしか感じられない。目線だけじゃなくて、顔を上げる。普通に中華そば食ってるのが見える。よく人に話しかけておいて普通に食えるなコイツ。そりゃ飯食うために来てるんだろうけど多分。

「なんで、そんな言えるんだよ」

コイツとは昨日会ったばかりで、でも多分あっちからはそうじゃないんだろうけど俺からはそうだから、全然分からない。俺はもしかしたらとんでもない詐欺とか、犯罪に巻き込まれるのかもしれない。それでも、確かに、

「私がそうすると、決めているからです。貴方の為なら、何でもしますよ」

今よりは良いかなって、思ってしまったんだ。




そんなこんなで今、俺はバーチャルアイドル「佐々波 流(さざなみりゅう)」をやっている。水色の髪に緑の目で、現実離れした衣装の、そういうの。バイトはなんか流れで普通に辞めれた。勿論大半は俺がどうにかしたわけじゃなくて、隣の奴……ネプチューンが、なんか店長と話してどうにかしてくれた。何がどうなってそうなったのか、全然覚えてない。とにかくあの後そのまま、裏から荷物取ってきて一緒にアパートに帰ってきたのだけは確かだ。
そこから色々……なんか色々あった。勿論その日から突然ヴァーチャルアイドルに本当になった訳じゃない。流石にボイストレーニングとかしたし。効果があったかは、よく分からないけど……。自分の配信動画を見返すなんて恐ろしくて出来ないし、そもそもビフォーアフターを一番よく知ってる奴は、

「本日も最高でしたよ」

みたいなことしか言わないから、殆ど参考にならない。褒めて伸ばすスタイル、とか言えばなんかいい感じだけど、多分俺自身にはそこまで関心ないんじゃないかな、という気がする。だって結局、こんなの見た目と声だろうし。俺の声のどこがいいのかはさっぱりだけど。

『――はい、どーもこんばんは。今日もお流さんが変わらずゲームやってくよー』

俺に似てるけど全く似ていない綺麗な誰かが、俺と同じように手を振っている。
……バーチャルな、二次元の存在とはいえ、一人称が名前にさん付けってのは酷いと思うんだよな。いや、なんでそうなったかって俺のせいなんだけど。なんか最初に貰った企画書的なのには、コイツの一人称は「私」って書いてあったんだけど、俺なんかが咄嗟に普段使ってないそれを使えるわけがない。勿論、やろうと意識して何回かリハっていうか練習みたいなのはしたんだけどさ、喋るのに意識割くとゲームがおろそかになるし、逆もしかり。それで提案されたのが今の一人称だ。「お」から始まるから、間違えかけてもリカバリーがしやすいだろうって。勿論提案したのはネプチューンだ。俺はほんとゲームしたり喋ったりしてるだけで、それ以外のことは全部コイツがやってるらしい。

『前回はなんとかボスっぽいのを倒したけど……これまだ多分すごい前半だよね? やっぱりお……お流さんこういうゲーム向いてないと思うんだけど……。いやみんな必死だなあ?!』

全部に目を通せない程度のスピードでコメントが流れていく。下手な他人のゲームプレイなんてそんな見たいものなんだろうか。今でも疑問だけど、流石に多分全部がやらせコメントってわけではないと思うから、俺に分からないだけで需要があるんだろう。

『時間はかかるけど、ちゃんとクリアするつもりだよ。……じゃあ、始めるねー』

ゲームは苦手だけど、やってる最中はそこまで他のこと考えなくていいのは楽だ。いや、コメントとかちゃんと見とかないといけないんだけど、そういうのはネプチューンに任せてる。反応しといた方がいい時は、カンペ出してくれるし。絶対俺一人だとグッダグダになりそうだから助かる。助かるけど、普通こういうのも一人でやってこそなんじゃないかな。俺一人につきっきりなんて、普通に仕事として旨くはないと思う。そもそも、今こうして配信してる部屋、俺の部屋の隣をわざわざ専用にしてるのもどうなんだろうな。あの日隣に引っ越してきたというのはそれなりに嘘で、実際は配信専用部屋として押さえた、みたいなのらしい。元々大家が爺さんで、自分が死んだら潰すかなんかするだろうと言ってたから丁度よかったんだろう。一応防音のあれこれはしてあるらしい。だから俺が、

『……あっ、あ?! ぁ゙ーー?! なんでえ゙ーー?!』

こうして死角から湧いた雑魚にぶっ殺されて叫んでようと、外には聞こえてない、はずだ。もし聞こえて苦情がきてたとしても、多分俺に届かないようにされてるんだろうな。酷い声を出したと我ながら思うけど、これでコメントと同接数が増えるんだから、本当にわけが分からない。あとお金も飛んできている。誰だか知らないけど、多分もっといい金の使い道ってあると思う。勿論そんなことは口に出さないで、名前とお礼を言っておく。

『ぅ゙ぇー……。回避できたと思わせてこれとかさあ……。……コメント、これ既プレイ者でしょみんな。お流さんが引っかかって楽しそうだもん……』

視界の端からのカンペを基に、そんなことを言う。カンペ出してる本人も楽しそうなのがちょっと、いやかなりイラッとくる。こうしてプレイしてるゲームを選んでるのも勿論コイツだ。俺はあんまりゲーム詳しくないし。ジャンルが偏ってるのは、多分こういうのを期待してるんだろうなって段々分かってきた。さっきみたいに露骨に反応があるから仕方がない……だろうけど、やってるこっちとしてはもうちょっとどうにもうちょっとどうにかならないものかな、と思う。でもだからといって、他のジャンルのゲームで上手くやれるかって言われると自信ないけど。
言われたように全部が全部コイツのせいって言えるほど俺は図太くはないけれど、でも確かにあのままバイト続けるよりは楽だな、とは思う。一生これでやってけるわけじゃないってのはどっちも一緒だし。……でも、一つだけ楽じゃないことがある。人のせいにも出来ない、増えていくだけの苦しさが。慣れないゲームも、独り言に近いけど遠いお喋りも、続けていけば下手くそなりに慣れてはいく。でも、これだけは、慣れてなんていかない。どんどん悪化して、俺を苦しめる。

『……はい、じゃあ今日はここまで。明日には流石にここクリアしたいかな。おしまい、みんなおやすみ』

勿論、それは現実の俺の話で「佐々波 流」には関係ない話だ。俺がどういうものを抱えてようと、整った顔で笑ったりしながら手を振って配信が終わる。決まった締めの言葉を言って、今週はおしまい。

「……いつも思うんだけどさ、本当にこれでいいの?」

これ、が何を指しているのか正直俺もよく分かっていない。言われたままに、されるがままに。全部コイツのせいにしていいって、言われたからって言い訳してる。いくらそう言われたって、俺も子供じゃないしそれでいいわけがないのくらいは、分かってる。こういうのを口に出すのも、初めてじゃない。

「勿論です。今日も素敵でしたよ」
「……」

そりゃ「佐々波 流」のいつものゲーム配信としては、撮れ高もあっただろうし良いんだろうよ。でも、それの中身の、俺は一体何なんだろう? バーチャルの誰かが立ち位置を固めていくほどに、俺の方が分からなくなっていく。素敵という褒め言葉が俺をすり抜けて、パソコンの中に吸い込まれていくような、そんな気分になる。でも、だから、なぜか、どうして。

「…………ネプチューン」
「何でしょう。……ちょっと疲れてますか? ウェーブさん」
「大丈夫……」

コイツは、いつでも俺に優しくしてくれる。台本があってもロクに喋れないし、ゲームだってかなり下手なのに、それでも頑張った今日も素敵だと言ってくれる。テンションの低い声に、疲れてないかと気を遣ってくれる。分かってる、それがコイツの仕事だってくらい。分かってる。分かってる、のに。俺は、アンタと違って頭が良くもないし、自分を使い分けられないし、人間関係を上手く作れない。だから、だから、だから。

「もし何かあったら、すぐ教えて下さいね。まだ少し雑務があるのでここにいますから」
「……うん」

まるで自分がアンタに大切にされているみたいで、勘違いするんだ。




「……はあ」

自分の部屋に戻って、天井を見上げて溜息を吐く。確かに疲れてはいるけど、目は冴えてる。更に頭の中はぐちゃぐちゃだ。
優しくされれば男だろうと何だって良いのかよ、と天使か悪魔か分からない俺が呟いている。分からない。だって、他人にあんな風にされるのは初めてだから。友達もろくに作れない俺には関係のない世界だとばかり思ってたから、友情と愛情の区別なんかつかない。でも、多分、きっと。生身の俺を見てほしいって思うのは、そういうことなんじゃないのかなって、思うんだ。そんな無理を受け入れさせるだけの価値が俺にあるなんて、思ってないけど。

「……」

だらだら考えながら、ひたすら天井を見上げている。結論は分かっているのに、ただただそれをどうにか回避しようとする、無駄な時間。何回か深呼吸して、更に一拍置いて立ち上がる。窓をそっと開けて、隣を見る。カーテンは分厚いけど、真っ暗じゃない。窓を閉めて、更に深呼吸。

「よ、よし」

多分見れた顔、表情なんて作れてないけど、少し早足で扉を開けた。

「……おや」

戻った隣の部屋で、ネプチューンはまだパソコンに向かっていた。この時間に入ってくる奴なんか俺以外だと強盗くらいだろう。前者だったから、驚いてるようには見えない。俺に分かりやすいもの以外の他人の表情の差なんて区別つかないけど。

「やはり体調がすぐれないですか?」
「体調、ではないんだけど……」

本人を眼の前にすると、やっぱり言えそうにない気がしてくる。……でも、じゃあ、俺はずっとこのままの、酷い気持ちを抱えていかなきゃいけないんだろうか? こんな気持ちになったのは、結局アンタのせいなのに? 酷い八つ当たりの、責任転嫁だ。分かってる。でも、コイツはそれでいいって言ったんだ。そう、言ったんだから。

「ウェーブさん?」
「あ、アンタが言ったんだからな……」

一歩踏み出す。そのまま近づいて、ネプチューンの座る椅子の肘掛けに手をつく。

「全部、アンタのせいだ」

面倒で、辛くて、煩わしいものが心を占拠してる。俺にはこれを抱え続けたまま現状維持なんて出来ない。アンタにとっちゃ、俺はおもちゃの中の部品みたいなものだろうけど、それでも。

「あの、どういう……」

俺が配信中にやらかしかけても出さなかった、初めて聞く焦ったような声だ。そんな声を出すってことは、俺が何を言いたいのか分かっているんだろうか。……いや、考えても仕方ないし、まだその答えは聞きたくない。

「アンタは『佐々波 流』が成功するようにああ言ったって、分かってる」

勝手気まぐれにするより色んな奴らよりは、言われたことが出来るかどうかぐらいの俺は多分制御が楽だっただろう。そういう便利な、都合のいい中の人だったんだろうけど、

「けど、……『佐々波 流』じゃない、俺が、今のままじゃ、嫌だ」
「ウェーブさん……?」

最後の、深呼吸。頑張って覚えた滑舌で、絶対に聞き間違えなんてないように。

「アンタのこと、好きになったから。そういう意味で」

言い切って息を止めて、肘掛けから手を離して身を引く。言ったのに、瞬間的に伏せてしまった顔を上げるのが怖い。ここにいるのが怖い。逃げ出したい。でも、もう逃げ出せない。……例え俺がこう言うと分かっていても、実際言われるとキツいだろうな、と思う。どうなるんだろうか。違約金とか、俺は払えるんだろうか……なんて、ぶっ飛んだことを考え始めている。そうじゃないと立ってすらいられないから。

「あの」

ようやく声がする。いやどうだろう。時間はよく分からない。

「ありがとうございます」

ああ、アンタって大人だから、そうやって最初に礼が言えるのか。実際の感情はともかく、一応好意ってプラスの感情だもんな。

「……」
「あ、違いますよ。これはその、本当に感謝の気持ちでして……」

何が何と違うって言うんだろう。完全にでもごめんなさいの流れだろこれ。泣きたい。

「その、ちょっと、思考がまとまらなくて。……端的に、そう、結論を言わないと。つまりですね、私も最初から、同じ気持ちです。だから、はい、感謝が最初に出てしまって……」

……今、コイツ、なんだって?
聞き間違いじゃないだろうか。いや、勘違いするような単語はなかった。多分。だって今、俺の耳はコイツの言葉しか届かない。

「さいしょ、から?」
「……普通、隣の一般人をいきなりスカウトかけたりしないでしょう?」

それはそうだけど。でも、俺は普通なんて知らないし。

「貴方は全く覚えていないでしょうけど……私は、貴方がずっと叱られて、怯えて、泣きそうな顔をしているのを、どうにかしてあげられないかと、思っていて」
「……」
「その為に、作りました。ビジネス的には『佐々波 流』が本体ですが、私個人にとっては逆、ウェーブさんが、大事です」

馬鹿みたいな話だ。……馬鹿みたいで、本当に。
顔を上げる。少し気まずそうに、でも真っ直ぐネプチューンは俺を見ている。

「……怒ってます?」
「ちょっと。いや結構。でも、まあ、いいかな」

だってここからは、多分ゲームオーバーはないんだし。




『――はい、どーもこんばんは。今日もお流さんが変わらずゲームやってくよー』

今日も変わらず、俺とは似てない綺麗な誰かが、俺と同じように手を振っている。ゲームは相変わらず下手だし、喋りも上手くない。でも、最近ちょっと性格変わったってコメントされてる。まあ、このモデルに変なマイナス感情を持つ理由がなくなったから、だろうな。それも全部全部、アイツのせい。
バーチャルアイドル『佐々波 流』は、今日もこっそり二人体制でゆったりやっている。……勿論、誰にも内緒で。











――他の店にすれば良かった。年季の入ったテーブルでそう思う。けれど、もう注文してしまったので立ち上がる訳にもいかない。恐らく、私が出ていったら余計酷くなるだろう。結構な大音量のテレビよりも耳を刺激する、この怒声が。

「すいませんでした……」

怒声の合間に、か細い謝罪が合いの手のように挟まる。伏せた横顔の半分はバンダナに入り切っていない青い髪で隠れてしまっているので、こちらからは見えない。20代くらいの、アルバイトらしき青年だ。その正面にいるこの店の店主らしき老人は、只管青年を叱っている。いや、罵っているの方が正しいだろう。前時代的な、けれど老人の人生では正しかったのであろう行動。常連と思しきカウンターの客達は、よくもまあこれを聞きながら食事が出来るものだと感心する。全く真似したいと思わないが。
漸くその怒声が収まると、青年が丼を持ってこちらにやって来る。あれだけ怒声を張り上げつつ、手元はちゃんと調理をしていたとは、変に器用な店主だな、と思った。やはり真似したいとは思わないが。

「お待たせしました……。中華そば、っす」

眼の前に置かれた丼にではなく、私は視線を青年へと向ける。盛大にびくりとさせてしまったので申し訳なくなった。だが、それでも――見て良かったと、そう思った。
黄緑色の目が涙で濡れ、目元と鼻先は赤くなっている。あれだけ怒鳴られればこうもなろう、という顔だ。それ以上に特筆すべき特徴はひと目では分からない、極々普通の青年なのだが、私は何故か目が離せなかった。

「っ、その、ごゆっくり、どうぞ」

一体自分がどのような表情をしていたのかは分からないが、青年は少々上ずった早口でそう言って足早に厨房へと戻っていく。一瞬呼び止めようかと思って口を開きかけたが、思い留まった。もしそんな事をすれば、きっとまた怒鳴られるのだろう。青年に少しも比がないとしても。
とりあえず目の前の中華そばを啜る。中の上くらいの味ではあるのが、少々腹立たしかった。黙々と食事をしながら、青年の事を考える。
どうにか、彼を今の境遇から逃してあげられないだろうか。哀の表情が、喜や楽になるのを眺められないだろうか。本人の口から逃げたいと言われたわけでもない。酷いお節介の押し付けの思考だというのはよくよく分かっている。何故先程出会ったと言える程の接点しかない彼に、そんな事を思うのか? 問いかけなくても、私の中に答えはある。
丼を液体だけにし、また怒声を聞きながら立ち上がる。頭の中はこれからするべきタスクでいっぱいになっていた。時間はかけられない、彼を出来るだけ泣かせたくない。
――全ては私が勝手に、独りよがりでする事。彼には余計なお世話かもしれない事。
けれど私は、彼が泣かずに、笑って日々を過ごす姿が見たいと、そう思ったのです。







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