白黒的絡繰機譚

Day dream

ぱちり、とアシタバは目を開けた。白い天井が視界を支配する。
起き上がってきょろきょろと周りを見渡す。何の変哲もない自分の部屋だ。どうしてそんな確認をしたのか、アシタバには分からなかった。目を開ける直前まではそれを覚えていた筈だというのに。

「……何だったんだろ」

夢を見た、という事は覚えていた。けれど、一体どんな夢を見たのかという事は少しも思い出せないたかが夢の内容を忘れたことくらい、なんて事はない筈なのに、アシタバはそれが気になって仕方がなかった。元々気にしすぎる性質ではあるが、何か大変なものを忘れ去ってしまったかのように、もやもやとした何とも言えない不思議な気分を抱えていた。

「ま、まあ、いいか」

時計に目をやる。まだ目覚ましのアラームが鳴るまで時間がある。今日は休みだけれど、特に予定もない。二度寝するのも悪くないだろう。そう思ってアシタバはもう一度横になって目を閉じた。
――もしかしたら、夢をもう一度見る事が出来るかもしれないと考えながら。



********



ぱちり、とアシタバは目を開けた。何か白いものが視界を支配する。
起き上がろうとしたが、それは叶わなかった。誰かに身体を拘束されている。

「!?」

寝た時と違うその状況から、アシタバは逃れようともがく。しかし拘束しているその腕の力は強く、頭と腰を押さえる様な形のそれはびくともしない。それどころかアシタバの動きを押さえつける様に力が強くなる。視界を支配する白いものが、きゅうきゅうと額に押し付けられる。多分これは胸だろうか?そう思って、アシタバは少し考える。考えると、どうもこれは、随分とおかしな状況の様だった。心臓の鼓動がやけに五月蝿い。

(僕、は、裸で寝て……!? それにぼくを押さえてる人も……。それに、この人)

腕の力、少し伸ばしてみた自分の足に触れた相手の足の長さ、頬に当たる胸の感触。それらの身体的特徴が告げる答えは、男――それも大人――だった。
心臓の鼓動が更に大きく響く。先ほどまでは気にならなかった髪の毛を掠める吐息がやけに気になる。どうしようどうしよう、と答えの見つからない困惑だけが頭を駆け巡る。

「……郁?」
「!!」

頭の上から声が降ってきた。その声は聞き馴染みがあるものの、名前を呼ばれた事は今まで一度もなかった筈だ。
視界の端に映っていた腕に焦点を合わせる。そこには見慣れた、声の主にしかないひび割れがあった。
ああ、とアシタバは息を吐く。自分を拘束――いや、この場合は抱きしめていると言うべきか――しているのは、派出須逸人に他ならない。

「もう起きたの?」
「せ……」

先生、とアシタバは声を発しようとした。しかし、それにとても違和感を覚える自分がいる。
今呼ぶべきなのは「保健室のハデス先生」ではない、と。
よくよく考えればおかしいと気が付いただろう。けれどこれが――そう、間違いなく――夢であったからであろうか、アシタバはこの状況を自然に受け入れていた。先ほどまで戸惑い困惑していた事なぞ忘れてしまったとでも言わんばかりに。夢とはそんな、不条理に満ちたものではあるのだが。
アシタバの口が、自然と動く。

「逸人さん、おはようございます」
「うん。おはよう、郁」

腕の力が弱まり、やっとアシタバは首を動かす事が出来た。見上げた視界には、目を細めながら自分を見つめるハデスがいた。

「よく眠れた?」
「それなりに……」

ふぁ、とアシタバの口から欠伸が漏れる。

「でもちょっと、まだ眠いです」
「無理させちゃったかな」

ごめんね。
そう言ってハデスはアシタバの額に唇を落とす。触れるだけのそれがやけにくすぐったい。眠る前はこんな触れるだけの様な事はしなかったというのに。それどころでは済まない色々な事を、沢山した。

(……寝る前)

治まったと思っていた鼓動が、また音と速さを取り戻す。寝る前の記憶が脳裏に浮かんでは消えていく。

「ぼ、ぼく……」

きっと真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて、ハデスの胸に顔を埋める。けれどそんな事はお見通しだと言わんばかりに、ハデスは酷く優しい手つきでアシタバの髪を撫でた。それがまたくすぐったい。

「もうちょっと寝る?」
「で、でも今日は買い物に行こうって逸人さん言ったじゃないですか……っ」
「お昼からでも行けるよ」
「そうですけど……。何時もそう言って、一日無駄にしちゃうから……」

先週も同じような状況になり、殆ど二人でゴロゴロして休日は終わってしまった。

「うーん……。分かったよ。起きよう」
「逸人さん」
「ん?」
「本当に分かってますか?」

起きよう、と言った割にはハデスはアシタバを抱く腕の力を強くしている。離れたくないと言わんばかりのそれは、そのまま独占欲の強さに比例しているようで、悪い気はしない。

「分かってるよ」
「じゃあ離してください」
「……」
「逸人さん」

まるで子供の様だった。一回りも年上だというのに、ハデスは二人きりになると、こうやってべったりと甘えるような事をよくしてくる。

「郁」
「はい」
「好きだよ」
「……僕もです」

慣れたやり取りだった。
――不意にくらり、と瞼が重くなる。ここで寝たらいけないと思って必死に開けたままにしようとするが、それは叶わない。ハデスが自分をまた呼んだ様な気がしたが、その声は段々と遠く、小さくなっていった。



********



ぱちり、とアシタバは目を開けた。時計を見ると二度寝する前から10分も経っていない。
起き上がって身体を伸ばす。良く分からないが、何か良い夢を見た様な気がした。もうどんな夢だったのかという事は思い出せもしないが、それでも良い夢だったという事だけはぼんやりと覚えていた。

「……図書館でも行こうかな」

特に読みたい本がある訳でも何でもないけれども。なんとなく、このまま家にいる様な気分ではなかった。
もしかしたら会えるかもしれないと思ったのもある。

(……ん? 誰に?僕一体誰に会いたいんだ?)

またしても夢を忘れてしまったアシタバには、誰に会いたいのか分からなかった。
だが無性に、その分からない誰かに会いたかった。会えば思い出せる様な気がしてならなかった。
バタバタと部屋から飛び出して、顔を洗う。鏡を映った顔は、心なしか赤かった。
誰かに会いたくて、落ち着かない。まるで、

(恋してるみたいだ)

そう思った。







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