白黒的絡繰機譚

渇く舌

※18禁描写有り※「蹄の足」から続いています

口付けた。
その動作に、目の前の男は笑う。
その笑みは普段の温厚そうな表情からは想像し辛い歪みを湛えている。
――恐らく、本人すら気が付いていないだろう。それを知っているのは、世界できっとただ一人、自分――内藤馬乃介しかいないと踏んでいる。幼馴染で親友で同性の自分とこんな関係になるまでに、一体誰と付き合い身体を繋げたのかなど知りもしないが、これだけは確信していた。
他の誰も、猿代草太のこの表情を知らない。自分だけが知っている。自分だけが――彼のものなのだと。

「草太」

一体何度目になるか分からない程名前を呼んで、その度に口付ける。
じゃれあいの様な前戯から進まぬ事に草太は焦れもせず、ただ馬乃介の口付けに軽く身をよじる。あまりこの行為に興味がないのだろうという事を、馬乃介は知っていた。

「……さっきから足ばっかり。馬乃介、触らないようにするんじゃなかったの?」
「触ってねぇだろ。……足首には」
「そうだけど」

練習中に捻ったという、包帯の巻かれた左足首には触れず、露出した膝下にばかり唇を落としていた。
服を脱がす訳でもなく、ただただ唇を落とすだけの行為の理由など、きっと草太には理解できないに違いないと馬乃介は思った。
――いや、正しくは理解できない方が良いのだ。これは馬乃介の自己満足に過ぎない。

「……馬乃介は」

薄く開いた草太の目が馬乃介を見つめる。そこに潜むのは、普段の温厚で臆病な青年ではない。

「好きなの?……僕の足」
「……ああ、好きだな」
「知らなかったなぁ。馬乃介が足フェチだったなんて」

瞳に潜む支配者の影に、馬乃介はごくりと喉を鳴らす。
温厚で臆病な――馬乃介の知る猿代草太にはない、絶対的な支配者の影。それは馬乃介を責め続けている18年前の罪が彼に宿ったかのようであった。
あの日と同じくらい冷たく暗いそれが、草太の中から馬乃介を責めるのだ。お前の所為で、お前があんな事をしなければ、と呪詛の様な空耳が聞こえそうな程に。

『――馬乃介の事忘れる訳ないよ』

それは施設を飛び出し行方不明になった草太と偶然再会し、軽く『俺の事なんて覚えてないと思った』と言った時の返事だった。その時は昔と変わらず親友である彼の言葉に、子供の様に喜んだものだった。それを瞳に潜む影の言葉だったのではないか――と思い始めたのは、こうして草太を抱く様になってからだ。

「ちげぇよ」
「違うの?僕の足好きなんでしょ?」
「……お前のだからだっての」

その言葉に嘘はない。馬乃介が執着するのはこの世でただ一人、草太だけなのだから。
忘れる訳ないと言った草太の言葉の真意はともかく、馬乃介も忘れる訳がなかった。今も昔も、馬乃介には草太しか見えていない。

「僕も馬乃介だから、良いよ。……こんな事されても」

馬乃介よりも細い草太の腕が首に腕が回る。その動作の自然さや、体格差や髪の長さも相まって、この時だけはまるで女の様であった。
もしかしたら、と馬乃介は思う。ノーマルな嗜好の筈の――草太には己の盲目さが知られてないと思っている――自分の為にそうしているのかもしれない、と。

「こんな事とか言うなっての。乗り気の癖によ」

ぐい、と膝を押しつける。そこはもう熱を持ち始めていた。

「やだ、馬乃介」
「嘘吐け」

軽く胸を押す両手をいなし、膝だけではなく全身で割って入る。草太とて力仕事が多いので非力な訳ではないが、馬乃介には敵わない。
包帯が巻かれた左足を肩に担ぐ。こうしておけば傷つける事も無いだろう。

「……ん、まのすけ」

くい、と誘う様に、何かを求める様に草太の左足が動く。
その動きと向けられた瞳は、言葉こそ無いものの一つの事を馬乃介に要求する。
それに反発する理由も、屈辱だと思う思考も馬乃介の中には存在していない。ただただ言葉無き要求に従うだけだ。

「草太……」

担ぎ上げたばかりの左足を下ろす。地に付いたその足先を持ち上げると、馬乃介は目を閉じ、ゆっくりとそれに舌を這わせた。
薄く眼を開けると、草太は満足そうな笑顔で馬乃介を見降ろしている。

「ほんっ……と、好きなんだ。あし、ふふっ……」

指一本一本、甲、そして包帯の縁まで。拭き清めるかの様に丹念に、馬乃介は舌を這わせる。唾液に濡れた草太の爪がてらてら光った。

「……ああ、好きだな。お前の足も、何もかも」

だから身体を求めるし、差し出された足に躊躇なく舌を這わせる事だって出来る。
好意ゆえの行動。求められるならば何だってやる――そう思うほどに馬乃介は草太が全てだった。
だが時々、この足に噛みついてやりたいとも思う。皮を突き破って、血が流れるのを見たいと思うのだ。
しかし、それを行動に移せた事は一度も無い。そしてきっとこれからも無い事を馬乃介は知っていた。
何故なら、馬乃介にはその資格がない。あの日――18年前から、馬乃介は草太に逆らえないのだ。別に逆らうつもりがある訳ではないが。

父親の言葉に逆らえず、彼の手足を縛りつけた冬の日、そこから全てが始まった。二人とも親と記憶を失い、12年前までは寄り添うように生きてきた。12年前、草太が失踪し、それからしばらく経って父親の遺品を受け取った時、馬乃介は全てを思い出した。――自分が罪人だという事を。
誰が裁いてくれる訳でもないその罪は、被害者である草太の行方が知らない事も相まって馬乃介の心を酷く圧迫した。だから偶然の様に再開した時は、安堵と共にえも言われぬ恐怖を覚えた。自分と同じ様に思い出していたら?そして自分を責め、親友である事を否定されてしまったら?ただひたすらに怖く、しかし彼が無事であった事に喜んだ。
そして、まるで12年の歳月を埋める為と言わんばかりに、馬乃介の心は草太を求めた。罪悪感に苛まれつつも、止める事の出来ないそれを打ち明けた時、草太は笑って言ったのだった。

『いいよ。他の誰でもない、馬乃介だからね』

酷く救われた気持ちになった事を、馬乃介は覚えている。
嬉しさに浮ついた日々を過ごし、初めて身体を繋げた時は幸せの絶頂にいたのではないだろうか。勿論、今だって幸せだ。しかし、今頃になってずっと抱えてきた罪悪感が日に日に大きく育っていくのを感じるのだった。

「俺が誰よりも、お前の事を好きなんだ……」

罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、それでもまだ草太の事を愛している。
だから、馬乃介は彼の為ならば何でもしようと心に決めていた。一度も記憶について追及しない草太が、どこまで思い出しているのか馬乃介には分からない。思い出していたとして、馬乃介の事をどう思っているかも分からない。
例え何と思われていようとも――馬乃介は、草太の為だけに、彼の言葉に逆らわない。逆らう意思の欠片すらない。それが馬乃介に出来る全てだった。全てを打ち明ける事も、掴んだ幸福を手放す事も出来ない、臆病な馬乃介に出来る、全てなのだ。

「うん……っ。馬乃介は好きだよねぇ、僕の事……すっごく……」

草太の頬が少しずつ赤く染まっていく。段々と高まっていくお互いの体温が近づく限界を教えてくれていた。
草太のズボンに、手をかける。

「ここじゃ嫌だなぁ……。運んでよ、馬乃介」
「仕方ねぇなぁ……」

仕方ない、と言いつつも馬乃介の口調にはこれからに対する期待が入り混じっていた。
――明日は公演があるから、などと理由をつけてここまできながら拒否される事も少なくはないのだ。
己に比べると大分軽い身体を抱き上げる。慣れた足取りでベッドへと向かうと、まるで壊れ物を扱う様に丁寧にその身体を下ろした。
少々性急に服を剥ぎ取ると、露わになった身体に口づける。

「やだ、やめてよ」
「痕つけてねぇから」

草太は痕を残されるのを嫌がった。仕事で着替える事も多い身としては、当然の事だろう。
残したい気持ちを押さえつつ、ベッドサイドに投げ出されたローションの瓶を手に取る。冷たいそれで草太の中解すしていく。縋りつく様な草太の爪が馬乃介の背中に刺さったが、気にもならなかった。寧ろそれを嬉しいと思ってしまうのだが。

「も、いいよな……」

濡らし解したそこに、自身を押しあてる。狭いそこを無理矢理に押し入っていく様に、草太の身体が引きつる。

「っ、あ、まの、すけ……っ!」

『やめてよッ!馬乃介!』

「――っ」

この瞬間、どうしてもあの時の声が脳裏に蘇る。
あの時とは何もかもが違うにも関わらず、どこかが重なるのだ。欲を高め放つ為に繋がりたいと願っている筈なのに、その瞬間それが冷えていく様な錯覚に襲われる。
――実際はというと、身体はその錯覚すらも欲へと昇華してしまうのだが。草太と繋がれば繋がる程、馬乃介の身体と心が剥離していく様だった。

「は、ふ……っ」

肩で息をする草太を見つめる。乱れた髪の間から覗く顔は、酷く扇情的だ。
普段の貼りついたような笑顔とも怯えた様な顔とも違うそれは、見下ろす様な笑顔と並んで馬乃介のお気に入りだったりする。
どちらとも、自分だけが向けられる表情だと知っているからかもしれない。

「動くぞ」

一刻も早く、放ってしまいたかった。その理由が自身の欲によるものなのか、罪悪感によるものかは馬乃介には分からない。考える余裕も無い。ただただ、熱くて苦しくて必死なだけだ。

「や、まだ……」

頭の片隅で怒られるのだろうと覚悟しながら、言葉を無視して腰を動かす。その動きで反った喉に噛みつきたい衝動に駆られた。勿論、実行できる訳がないのだが。ただ、ひたすらに草太を貪る。彼が自分の中心に居座って離れない 。もう何を思おうと何を思われようと、馬乃介には草太だけなのだ。だから、欲しい。同性同士の身体を無理矢理繋いで得る快感ですらも。渇く身体が、それを求める。

「っひ、や……!まの……、い、ぁ……」

単語に成りきらない声ばかりが草太の口から漏れる。それを封じる様に口付けながらただ貪り、奥に精を放った。

「……」

繋がったまま、草太を見降ろす。放つと同時に意識を手放した為に閉じられた目からは、何も読み取る事が出来ない。
のろのろと重い身体を動かすと、馬乃介は草太の力の抜けた身体を抱きしめ、また左足に口付る。まるで抱いてしまった事の許しを乞う様に。

「……草太」

何度名前を呼ぼうとも、何度身体を繋げようとも、何度愛を囁こうともまだ草太を欲しいと願ってしまう。18年前から続く罪悪感を自覚し、怯えながらもやはり願うのだった。
二つの決して癒えぬ渇きと罪悪感を抱えたまま、馬乃介は草太を求める。きっと一生そうなのだろう。そうであれば良いとすら思う。馬乃介にはもう、草太がいてくれるなら何だって良いのだ。行方が分からなかったあの日々は、もう味わいたくない。

「草太、お前されいてくれれば……」
許しを乞う様に、そして己の立場を確認する様に舌を這わせながら、また一瞬満たされた筈の欲望が渇き始めたのを感じた。







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