白黒的絡繰機譚

蹄の足

「草太お前、足どうしたんだよ」

出会い頭口をついたのは、異変を尋ねる声だった。
馬乃介を自宅で出迎えた草太の無駄のない左足には、先日まではなかった筈の包帯が緩く巻かれている。

「目聡いなぁ馬乃介は。ちょっと練習中に捻ったんだ」
「な……。大丈夫か?痛まねぇか?」
「大丈夫だよこれくらい。それよりも中入ったら?」

草太に促され、部屋へと足を踏み入れる。馬乃介の前を歩く草太は少しだけ足を引きずっていた。
持っていたコンビニの袋を机に置くと、草太は断りもせずに中を漁り缶を取り出す。お互いの家を行き来するようになってそれなりの期間がある。手土産に今更断りをいれる必要性なぞ、お互い感じてはいなかった。

「飯は?」
「んー、馬乃介が食べたいなら何か作るけど。僕は別に良いかなぁ」
「なら俺もいいわ」

袋から缶ビールを取り出す。あまり酒は好きではない、と言う草太とは違い、馬乃介は酒――特にビールが好きであった。
お互いの家を飲み場所とする事も多い為、草太の家には家主の飲まないビールが冷えている事も多い。今日はそれが尽きている事を知っていたので、こうして持参をしている。
まだ冷えているビールを煽る。染み込むアルコールが心地良い。

「……草太」
「何?」
「いや、その……」

馬乃介の視線は、殆ど草太の左足に固定されていた。言い淀む表情が、気になって仕方がないと告げている。
その様子を、草太は彼らしいと思う。――彼らしく、とても愚かで優しいと。

「別に気にするほどじゃないと思うけど。ちょっと捻っただけだから、湿布貼ってればすぐ治るよ」
「……そうだけどよ」
「馬乃介は心配性だなぁ」

昔から、そして再開してからも変わる事のない――寧ろ酷くなったのかもしれない――馬乃介の性分だった。
基本的に他人に情を見せない癖に、草太だけは例外らしい。些細な事にすら目聡く反応し、不器用に気遣う。

「悪いかよ」
「そうじゃないけど」

別に悪いとは思わない。ただ、うっとおしいだけだ。
自分を助けてくれた了賢以外の他人を信じる事の出来ない草太にとって、馬乃介の気遣いはどうにもうっとおしかった。時には、それが不快と感じる事すらある。
今更何を気遣うのか、贖罪のつもりなのか……と、そう思ってしまうのだ。

「僕なんかより、馬乃介は自分の事心配した方がいいと思うよ?ボディーガードなんてさ……怪我とか多そうじゃん」
「俺は良いんだよ。お前なんかよりよっぽど鍛えてんだから。それに怪我なんかしねぇよ」
「えぇー、でも馬乃介結構抜けてるとこあるからなぁ。心配だよ」

嘘だった。心配なんて本当は少しもしていない。
18年前のあの日から、ぐるぐると腹の中で憎悪が渦巻いている。それを隠して、親友面をする自分はピエロだ。しかし、その親友面に騙されている馬乃介はもっと愚かなピエロだった。

「俺の事なんて良いんだよ。お前はさ」
「……」

残りのビールを一気に煽って、馬乃介が空になった缶を置く。それを見て草太は身体を固くした。馬乃介がこれからどう動くかなぞ、分かっている。

「……っ」
「草太」

草太膝に割って入り、ふくらはぎに触れる。びくり、と少々大袈裟な反応をした草太を馬乃介はどう思っただろうか。
今起こっている事の全て――お互いの部屋を行き来する事も、草太が料理をする事も、馬乃介が草太に触れる事も、今に始まった事ではない。これ位どうってことない、そう思っている。しかし、身体はそれを拒む。
馬乃介も草太の反応を分かっているだろうに、触れた手を離す事はしない。それどころかゆっくりと撫でる様に動かしている。包帯の巻かれた足首にだけ触れない様にしているのが、変におかしかった。

「……っ、馬乃介、止めてよ……」
「……」
「ねぇ、馬乃介……」

触れられるのは好きではなかった。他人が自分に触れる理由なんて敵でないと存在しないのだから。馬乃介は敵ではないが、味方でもなかった。
今や彼は草太の駒の一つでしかない。親友面をするのも、その為だった。

「なあ、どうして捻ったんだよ」

触れるか触れないか、馬乃介の手が包帯を撫でたのはその程度だった。しかしそこから感じる熱は、体温以上の何かを含んでいる。それが何か、というのはお互いに理解している。

「……ルーサーがさ、ちょっと悪戯して。それでこけただけだよ」
「……そうか。なら良いんだ」

例えば、ここで上司が原因だと言ったなら。きっと馬乃介はこう言っただろう。『ソイツを殺してやる』と。
馬鹿みたいな想像だが、草太には確信があった。
執着、依存、独占欲……そんな名前の感情を自分に向けているのだこの男は。流石に万物の全てに嫉妬をする程ではない様だが、そうなるのも時間の問題ではないかと草太は思っていた。

「馬乃介、だからもう止めてよ……」

包帯をなぞる様に触れてくる手が、抱きこむ様に腰に回された腕が、親友の時間は終わりだと告げている。
今から始まるのは滑稽極まりない――恋人の時間、だ。
愚かなピエロを効率よく扱う為に選んだ、もう一つの関係。草太にとっては執着と依存と独占欲を満たしてやり、盲目的な信頼を植え付ける為だけのもの。それ以上の感情も目的もありはしない。

「……嫌だ」
「馬乃介は明日休みかもしれないけどさ……、こっちはそうじゃないんだよ」
「公演はないんだろ」
「なくても餌やりとかあるし」
「課長にさせとけよ」
「か、課長に……!?ムリムリムリ!そんなことさせらんないよ!」

恐らくそれ位で揺るぎはしないだろうが、今の拠点に不信感を与える様な事は出来ない。動物の相手など面倒ではあったが、人間よりははるかに楽だ。少なくとも、この男よりは。

「だからさ、お願いだよ」
「嫌だっつってんだろ」
「怪我してんのに?」
「触らねぇ様にするし」
「……その割にはさっきから足ばっか撫でてるじゃん」

ふくらはぎを堪能した、とでもいわんばかりに馬乃介の手はズボンの隙間から中へと侵入している。戯れの度を越し始めたそれに、草太は苦言を漏らさずにはいられない。

「良いだろうが別に。……お前の足、綺麗だし」
「……そういうのは女の子にいえば良いのに。馬乃介、結構モテるんじゃないの?」
「別に……。何だよ、さっきから……」

ああ、流石にやりすぎたか、と思い、草太は馬乃介の首に腕を回す。本当は誰にも触れずに生きていけたら良いと思うけれども、それはまだ叶わない。叶わせる為に、触れなければならない。

「ごめんって。風呂入った後湿布貼って包帯巻いて、あと朝起こしてくれるならさ、良いよ」

僅かに開いた隙間を埋める様に身体を寄せる。

「分かった」

どれも演技なのに、疑いもしない。今日も草太のピエロは、草太の一番近くで滑稽に動いている。
――それに抱かれる草太自身もピエロなのかもしれないが。

「馬乃介……」

名前を呼んで、熱を込めた吐息を吐く。痛めた左足が、じくりと疼いた。

「草太……」

草太の名を呼ぶ馬乃介の瞳は、獣の光を宿している。馬乃介の事はどうでも良いと思っているが、この瞳だけは草太のお気に入りだった。だから、彼に抱かれるのかもしれないと思わなくもない程度には。

「好きだよ」

そう嘘を吐く己の方が獣よりもよっぽど性質の悪い事は今日も知られぬまま、ただ獣じみた行為の始まりが唇同士によって告げられた。







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