狂信徒の反乱
ああ、今すぐ君を骨が砕けるほど抱きしめて、窒息するようなキスをして――。――気が狂うほどに犯してしまいたい!!
……酷い妄想だ。けれど、それを夢想した私は、たしかに居た。
最近、私は私でなくなってゆく気がする。
心に蓋をしていたはずの想いが、どんどん漏れ出しているのだ。
それは快楽にも似た甘さを私にもたらすが、同時に殺される瞬間のような恐怖をも与えてくる。
そう、それは、たった今も変わらずに。
「御剣、何ぼーっとしてんの?」
ハッ、と下げていた視線を上げると、すぐ近くに君の顔がある。
「い、いや……。その、すまない」
「まぁ随分待たせちゃったしね。で、今日はどこ行くの?」
今日こそはちゃんと割り勘にしたいから、あんまり高くないとこにしてね、と君は笑った。
――そうだ、今日こそは君に……駄目だ、それだけは駄目だ。一体何を思おうとした?
無二の親友関係、それ以外に何を望むというのだ御剣怜侍。
「うム……。実は特に決めていないのだ。成歩堂、君はどこに行きたい?」
「え? うーん……あ、前の前に行ったトコが良いな」
「承知した」
君を助手席へと座らせ、車を動かした。君と会話を交わした筈だが、どれも記憶に残っていなかった。
そんな浮ついた運転で車を走らせ着いた先は、創作和食の店。
小さいが、落ち着いた雰囲気で料理もかなり美味しかったのを記憶している。
中に入ると、前回と違いカウンターは満席で個室へ通された。
「今日は個室かぁ」
「そうだな……」
「あれ?御剣何か元気ないよ。大丈夫?」
「う、うム。勿論だ」
悟られてはいけない。
気持ちをすべて押し殺して、親友という嬉しくも残酷なポジションの仮面を被り続けなければ。
迎えに行った事務所でも、車の中でも、この個室でもその仮面の下にはずっと渦巻く黒いものを、隠し続ける為にも。
「そっか。安心したよ」
あの時から変わらない、真っ直ぐで優しい笑顔。
……今では毒でしかないそれを向けられる度に、仮面を突き破ろうとする想いがある。
(私は、君を、今すぐにでも)
ああ、今すぐ君を骨が砕けるほど抱きしめて、窒息するようなキスをして――。
――気が狂うほどに犯してしまいたい!!
……そう思っている様な酷い男だ。後生だからそんな私に笑顔を向けないでくれ。
分かるだろう?見ろ、先ほどからたった30分でここは料理も全て運びこまれ、呼ばない限り誰もこない密室となった。
そして目の前にはアルコールが回って、意識の少し怪しくなった君がいる。
だからだろう。アルコールを摂取していない筈なのに、頭の中でこんな声がするのだ。
『チャンスではないのか?』
そう、私と良く似た――いや、私自身の声が。
「成歩堂」
「ん?なにぃ?」
呂律が少し怪しくなっている。
「……少し、飲みすぎではないか?」
実際、成歩堂の頼んだ酒類の量は何時もよりも多かった。
今思い返してみれば、だが。
「そんなことないよー?御剣が飲んでないからそう思うだけだって」
ヘラヘラ笑いながら、私の空のグラスを自分の中身の残っているグラスと取り換えようとする。
それを防ぎ、私は自分と成歩堂の上着と鞄を持って立ち上がる。
「私が飲んだら帰れないだろう。いい加減にしろ」
「え~?まだいいじゃんか」
「先週のようになるのは御免だ。帰るぞ」
先週、今日のように早々に酔いのまわった成歩堂を自宅に連れ帰り寝かせた。
先週はそれだけだったと言って良いが……今回も同じで済む自信は、残念ながら持ち合わせていない。
「アハハ、悪かったよ。でも今日は大丈夫だから!」
そんな根拠のない自信はいったいどこから来るんだろうか?
『今なら何をしても大丈夫だろう?』
こちらはこんな風に頭の中で響く声と必死で格闘しているというのに。
「信用ならない。行くぞ」
「ちぇ、御剣のケチ」
この想いが暴走して、君を傷つけるくらいならば、
「ケチで結構、だ」
――フラフラ歩く成歩堂をどうにか車に押し込み、彼のアパートへと走る。
助手席の成歩堂は睡魔に無駄な抗いをしているようで、時々口の端から声が洩れる以外、車中は驚くほど静かだった。
「着いたぞ」
「んー……」
生返事だけで成歩堂は動こうとしない。
仕方がないので車を降り、助手席のドアを開ける。
シートベルトを外してやる時に耳に掛かる、アルコールを含んだ吐息。それは酷く熱かった。
『どうした?何を我慢している?』
止めろ。
声を無視して成歩堂の肩をゆする。
「成歩堂、起きろ」
頼むから。
私のために、君のために、頼むから起きてくれ。
『我慢して何になる?どうせ手に入らないのだろう?ならば一瞬でも手に入れれば良いじゃあないか』
黙れ、煩い、煩い!
『親友なんて肩書にしがみついて何になる?お前の望みは何一つ叶わないのに』
そんなことはない!
『成歩堂龍一の笑顔が大事か?頼ってくれる間柄が安心か?それらは不変と言い切れるのか?』
そ、れは……――。
『言い切る自信がないくせに、なぜそこまで執着する?』
それは……成歩堂が……。
『成歩堂がそうだと思ってくれてるから?だからなんだ?そんなもんに甘えていたら一瞬たりとて手に入らないだろうな』
「成歩堂……起きろ……起きてくれ……」
この声が、私の心の奥から残酷な未来予想を引っ張ってくる前に。
「成歩堂、起きろ……早く……」
それが私のすり減った理性を切る前に、どうか、どうか。
――まだ頭の中で、声が延々と響いてる。
聞きたくないと訴えても、それをかき消す程の声がするのだ。
残酷な真実を牙にして、私の僅かな理性を噛み切ろうと口を開けながら。