白黒的絡繰機譚

狂信徒の反乱 2

「……うぁ、ゴメン御剣。僕、寝ちゃってたね」

本当はどこかで起きなければ良いと、やはり思っていた。
それを隠し苦笑を浮かべながら肩を貸し、狭い階段を上がった。
手渡された鍵で扉を開ける。

「御剣、もういいよ。ありがとう」

私の肩から手を離し、フラフラと靴を脱ぐと部屋へと入っていく。
数歩歩くと、それまでとは違うやけにはっきりとした足運びで私の方に振りかえり、言った。

「ん、ちょっと、あがってく?」

その言葉に肯定の意思を表してしまった私は、とても愚かな男と言えるだろう。
私の頭の中では、馬鹿にしたような笑い声が響いていた。

『馬鹿な男だよ、お前は』

……否定なぞ、出来る訳も無かった。

「汚い部屋でごめんね。とりあえずその辺座って。なにか飲み物持ってくるよ」
「いや、結構だ。もう遅いし、私は帰らせてもらう」

本当はただ逃げたいだけだ。
些細なことや嘘を理由に仕立てて、ここから逃げ出してしまいたい。

「えー、明日は休みなんだろう? アレだったら泊まっていけばいいよ」

ね、だからもう一回飲も?
そう言って発泡酒を手渡されてしまったら、情けないことに、私は、

「……うム」

小さな声でそう呟き、僅かながら首を縦に動かしてしまった!
ああ、また頭の中で高笑いが聞こえる。
しかしもう私にその声に反論する余地はない。
結局のところ、その声は紛れもなく私の『とても正しい』心を代弁しており、私はその声の言う通りのことをしているのだから。

「んじゃ、ホラ。早く飲もうよ御剣」
「うム……。そうだな」

空いてなかった私の発泡酒のプルタブは勝手に開けられ、私達二人のささやかな飲み会が始まった。
軽く缶を合わせ、喉に流し込む。味は、正直良く分からない。今の私に、それを感じ取るだけの余裕がないのだ。
少し前ならきっと、こういう時間が何よりも幸福だったのだろう。
なのに、……どうして私は、今この瞬間を心から楽しむことができなくなってしまったのだろうか。
辛い。そう思った。
喉を焼くだけのアルコールは、何も解決してくれない。寧ろ私を煽っていく。
なあ、成歩堂、私は今君の話に笑っているのだろうか?

「みつるぎぃ、聞いてる?」
「うム……」

自分でも呆れるくらいの生返事だったと思う。
だが、それでも何とか返事をした自分を褒めてやりたいくらいだ。
口を動かすことさえ億劫なほどに、私は切羽詰まっているのだから。

「ホントー?」
「うム……。な、成歩堂、すまないが……私はもう、眠くて仕方ないのだが……」

逃げなければいけない。
眠ることなど到底できそうにないが、それでもきっと向かい合っている今よりはマシなはずだ。

「ん? あー、そっか。御剣そりゃ疲れてるよね。うん、じゃあ布団敷くから使ってよ」
「いや、泊めてもらうのだから私は別にそんな……」

眠れない事が分かり切っている私よりも、明日二日酔いになることが確定している君が寝るべきだろう。
……というのは建前でしかないのだが。自分でも情けないが、君が普段使っている布団を使って普通を保てる自信が無いのだ。
……けれども、

「あはは、いいっていいってー。僕はどこでも寝れるからね。大丈夫だから」

そう笑って言われてしまっては、もうそれ以上断ることなど、出来はしない。
私はなんて、単純で愚かな男なのだろう。

「……」

案の定、私は眠れない。無駄に寝がえりを繰り返し、遅々として進まない時計を睨みつける。
少し離れた場所では、酔っぱらいは幸せそうに眠っている。

「人の気も知らず……」

まあ、知られていたらそれはそれで困るのだが。
……この想いは、隠し通さねばならないのだ、絶対に。
けれども、その誓いもこうしていると容易く揺らぐ。
君と同じ空間にいるだけで、君と同じ時間を過ごしているだけで、いとも容易く。
そう、このように――私だけが、動く事が出来るだけで。

『我慢なぞ、しなくたって良いだろ?』

……私は、自分でも嫌になるほどの、弱い人間なのだ。
君が確実に寝ていると分かるから、出来る。
そうでなかったら何も出来ない癖に、こうやって囁くのだ。

「愛している、成歩堂」

そして欲望を表す、とても軽い、触れるだけの口付けを落とす。刹那のそれだというのに、私の身体と精神は高揚と罪悪感で満たされていく。
これが私の、精一杯の譲歩と反乱だ。何もしない事も、何かをしてしまう事も出来ない私に出来る、ギリギリのライン。

『本当に、愚かな男だよ』

その声に、反論はできる筈も無かった。