羊は心酔する
触れることが、きっと至福の喜び。でも、恐れ多くてそんなことができない、そんな熱心な教徒のように君は、僕を。
「……」
沈んでいた意識が覚醒してから、ずっと僕は視線を感じを感じている。
その視線を送っている人物は分かっているから怖くも気持ち悪くもないけれど。
……いや、少しだけ怖いか。別の意味で。
だから僕は目も開けないで寝たふりを続けている。悪いと思いつつも、目を開けるタイミングを見失ってそのままだ。
「成歩堂……」
黒一色の視界の中、君のかぼそい声だけが響く。
声の主は僕が今横たわっているベットの本当の持ち主で、僕の友人。
……天才検事と呼ばれる男、御剣怜侍その人だ。
「……」
身動き一つしない僕に何を思ったのか、御剣は僕の左頬に手を添える。
そこから伝わる体温が、僕の感覚を支配していく。
……ああ、ヤダヤダ。僕は君のその仕草が嫌いだよ、御剣。
「成歩堂……」
そんなかぼそい声で僕を呼んで、君は一体何をしてほしいの?
ここで起きたらきっと、不機嫌そうな顔をするんだろうにね。
――頬にあった御剣の手が、少しづつ滑り降りて唇で止まる。
親指でゆっくり、ほんの少し撫ぜると、それは名残惜しそうに離れていった。
「私は、何がしたいのだろうな。成歩堂」
……ホントにね。
酔って寝てる男の親友の唇に触れて何がしたいのさ?
それも、そんな壊れ物を扱うみたいに、そっと触れるだけで離れていく。
どうせ満足できないくせにね、よくやるよ。
「君は……気づいているのかもしれないな」
『かも』だって?……今更じゃない?
「……でも、君は何時も変わらず私を友として扱ってくれる」
「とても辛いが……。とても嬉しい」
止めて。僕はそんな事聞きたくないんだ。
耳を塞ごうにも、寝たふりを続ける僕には出来やしない。だからひたすら、君の声を聞き続ける。
「私は、臆病者だ。本当は君と話す資格もない」
どうしてこういう時に限って睡魔はやって来ないんだろう。
今すぐ眠ってしまえばきっと、これは夢だったと思えるんだろうに。
「だからこうして……。寝てしまった君に馬鹿げた事を」
話して満足したふりをするの?
馬鹿だよね。解ってるとは思うけどさ。
「そうでもしないと、壊れてしまうだろう」
……それは君のこと?友情のこと?
それとも、僕の……こと?
考えると……とても、怖い。知りたくない。
「成歩堂……」
切なそうな声が降ってくるけれども、僕にできることはやっぱり、このまま眠ったふりをし続けることでしかない。
ああ、早く本当に眠ってしまえればいいのに。
閉じた瞼の下で僕は、君と一緒で『今』が壊れることを恐れてる。
でも、僕が今本当に恐れているのは……。
目を開けて、君の顔を見て、何かを確信してしまうことなんだよ、御剣。
BACK← →