白黒的絡繰機譚

星を呑んだ 壱

木星旋回+水晶

それは、星を呑んだ鳥だった。
遥か昔、夜の空を尾を引く星が埋め尽くした時に呑んだのだという。
元々古い鷹として生きていたそれは、鷹の身でいることを飽いて、疎んで、不遜にも更に翼の大きいものへと成りたかったのだ。だから、星を呑んだ。
星を呑んで、何よりも大きな翼と鉤爪と嘴を手に入れた。鳥の腹の中の星は、その羽ばたき一つで雷を呼ぶ。鳥は何も恐れない。羽根の中に収めた土地に住まう全てを、己のものとした。
住まう全ては、鳥の言うとおりに生きねばならない。生も死も、すべて、すべて。
鳥は君臨していた。まるで、神のように。




「――そんな苔むした与太を俺に聞かせて、どうしようと言うんだ」

不機嫌そうな声を上げたのは、痩せた若い男だった。
如何にも旅人であるという装束をしたその男は、睨めつけるように目の前の人物を見ている。

「貴方には、この鳥を退治して頂きたいと思いまして」

白い着物と境目が分からぬような肌をした、まるで作り物のようなものであった。浮かべる表情も柔らかく作っているが、全体で見ると固い。
今通されている場所――神社の本殿らしき建物――といい着物といい、恐らくこの里の巫女なのだろうと男は思う。

「俺は術士でも武士でもない」
「でしょうね。貴方に呪力はなく、武士でもなさそうだ」
「ならなんだ、神輿に乗せて引き渡すつもりならもっと上手くやれ」
「けれども貴方、風に好かれるでしょう」
「風に好かれる……?」

巫女は頷くが、男に心当たりはない。
術士でも武士でもなく、只何処にでもある豊かではない山村に生まれただけの男だ。それ以外では決してない。

「心当たりがなくとも、貴方には風を惹き付ける相がある。だから、鳥に勝てる」
「そう断言されても、だから俺は術士じゃない」
「貴方が例えば術符で風を操る必要はありません。ただ、鳥と相対すれば、全ては風が吹き飛ばしてくれるでしょう」
「……」

胡散臭い言葉だと男は呆れるしかない。唯一夜の宿を求めたばかりになんという外れ籤を引いてしまったのか。
それの為にこんな要領の得ない話を鵜呑みにしてわかったと退治に向かうほど、男は愚かでもお人好してもなかった。
だが、何やら胸にざわつくものがある。

「それに」

巫女は微笑んでいる。先程とは違う微笑み方だ。男を不快にさせないように、と作っているのではなく、きっとこれは――楽しんでいるのだ。

「こんな突飛な話、確かめずにはいられない――そうでしょう?」
「……お前、性格が悪いって言われないか?」

巫女は答えず、立ち上がって奥へ続くであろう戸を開ける。

「さあ、支度を致しましょうか」

男は何か言おうとたが、結局飲み込んで立ち上がる。少しばかりの廊下を抜けた先の部屋には、

「悪趣味だな」

純白の打掛が鎮座していた。男が吐き捨てるように言うと、巫女はまた笑った。

「嫁取りをするばけものを倒すなら、この方法でしょう?」
「知らないな。……いや、本当に着るのかこれ」

巫女は慣れたものだという手付きで打掛を手に取ると、男の肩にかける。

「お似合いですよ?」
「似合ってたまるか。顔も体型も隠れるんだろうがな……。お前ならともかく、俺じゃあ……」

質が良いのであろう打掛は、男の肩には随分重い。
もしかしたら、歴代の妻達にもそうだったのかもしれない。こんなものを羽織っていたら、逃げようにも逃げられない。

「……一応聞くんだが、俺の前に嫁に行かされた奴らってどうなったんだ」
「聞かずとも分かっているのでは? ……この打掛だけは、綺麗に返してくるんですよ」
「ま、そうだろうな……」

男は溜息をつく。別に怖いとは思わない。まだ現実感は無い。けれど打掛だけが重い。
巫女に仕立てられるままになる男の目は、落ちていく日を見ていた。




『ああ、そうだな。折角だから俺の妻でも差し出して貰おうか。その方が――神らしいだろう?』

ある日飽いた鳥はそう言った。
お前たちを生かして、食うに困らなくしてやっているのだから、と。
確かに鳥は領地においては誠実であった。しかし、人に関してはとんと興味が無かった。
差し出された娘達は、赤黒く染まった神輿と一点の染みもない打掛だけ残して帰ってくることはなかった。




打掛を纏った男を出迎えたのは、顔を隠した担ぎ手に運ばれる輿だった。
顔どころか身体の殆どが布の下であり、夜の闇もあり本当に人間なのかすら疑わしい。

「んで、俺はこれに揺られてりゃ良いんだな?」
「はい。……大丈夫ですよ、問答無用で丸呑みにされる、というようなことは有りえませんから」
「どうだかねえ……」

重い打掛を引きずって、男は輿に座る。
担ぎ手達は一言も声を発さずに歩き、輿は山道を抜けて山頂でそれを下ろした。
そういえば、と男は思う。担ぎ手達は誰一人として明かりを持っていなかった。勿論それを持った先導もいない。月は出ているとはいえ、あまりにも危険すぎやしないだろうか。
そう考えている間に周りは無人となっていた。足音一つ、気配一つ動いたようには感じられなかったというのに。

『――なんだ貴様、俺が望んだのは次の妻だぞ』

しん、とした闇を切り裂いて輿の遥か上から声がした。上辺だけ花嫁のような男は顔を上げずにそのまま座っている。

『口もきけないのか。俺の人間どもは、俺にこんなものを娶れと言うのか』

まだ座っている。
返事をしなければ、空気はしんと静まり返っていた。

『ならば、なあ? 仕置きをするしかないな』

笑い声のような奇っ怪な音を浴び、ようやく顔を上げる。
高い杉の木の頂上と中程に足を引っ掛けて止まるのは、まるでこの森のような色の途方も無い大きさの鳥だった。
背に月明かりを浴びて、爪と目だけが光っている。
足だけでなく翼の先にもついたそれに触れただけで、人間の顔なぞたちどころに裂けるだろう。目を逸らしてしまいたい程、恐ろしい。
鳥が羽ばたき、輿に止まる。男の顔ほどもある赤い目が間近にある。
だが、男はそのまま見つめ続けた。いつの間にか、髪が揺れるほど風が吹いている。
巫女の言葉が脳裏によぎる。風に好かれる、その意味は今だ掴めない。だが、恐らくこの風はそういうことなのだ。

「死ぬのは、お前の方だ、クソ鳥!」

重い打掛を脱ぎ捨てて立ち上がる。風がいよいよ強くなる。打掛はすぐに風で吹っ飛び、もう闇へと消えた。
鳥が身体を引くが、男の身体は着物と髪が僅かに揺れるばかりだ。

『お前、風が通じない……? 何故……』
「知るかよ。風もお前も里も山も俺は知らん。が、どうにも苛立って仕方ない。あの巫女の言葉に乗る気もないが……まあ、金一封くらいになるだろう?」
『駄目だ、それは、どうして、俺が』

鳥は、男の後ろに何かがいるのが見えていた。
大きく、鋭く、星の気配のする、それは。

『俺が、人間なんかを』

緑の羽根を広げた、鳥だった。




降り注いだ星は、無数にあった。
しかし、この国へ燃え尽きずにたどり着いたのは……つだけ。
摩訶不思議な力を持つそれを、呑んだあやかしを、人は如何すればいい?
答えは簡単。全ては、名前という鎖の下に。




「全てが吹き飛んだのならば、貴方はただ名前を呼ぶだけでいい」

巫女が男の着物を整えながら言ったことだ。
名前なんざ知らないんだが、と男は言い返した。

「大丈夫、分かりますから」

巫女はそれ以上何も言わなかった。男も黙っていた。
――そうして今、重い打掛が吹き飛び、風は強くなるばかりだ。全てが、とまではいかないが鳥が何故か動かない今が好機なのではないかと男は思う。だが、肝心の名前は分からないままだ。

『……いや、只の虚仮威しだな? 驚かせやがって』

動きがないことに気がついた鳥が笑う。笑いながら、足を踏み出す。そして翼の先の爪を男の顔にかけた、瞬間だった。

『!』

ごう、と音を立てて男の後ろから突風が吹く。男は振り返り、ようやくそれを見た。
月明かりの下に光る緑の翼に、赤い瞳。目の前にいる鳥と寸分変わらない何かが、片翼で男を抱くように引き寄せる。

「な、んだこれ……」

後ろの鳥は何も答えない。ただ、見上げた顔は恐らく笑っているのだと男は思った。人間とは全く違う鳥の顔の表情なぞわからないのに、である。
対する正面の鳥は戸惑っているように見えた。鳥と男の目が合う。先程まで満ちていた余裕が見当たらない。

『只の人間だろう、お前は』

傲慢の色の失せた声が男に問う。後ろの鳥――よくよく見ると、影のように輪郭が曖昧だ――は動かない。

「その筈だがな? いやまったく、俺が知りたいね」
『巫山戯るな!』

叫びと同時に空が光る。少し遅れてに届く轟音が、鳥の心境のようであった。光ったのは空だけではなく、鳥の身体が同じような色を纏っている。ばちりばちりと苛立ちを帯びた鳥が、羽根を広げた。空が覆われ、男の目には赤い目以外何も見えない。飛び出しそうな程見開かれたそれに、男が映っている。後ろには何もない。だが、男の身体の前には変わらず翼がある。
――今だ、と男は確信する。何も、喉から出す音も分からないが、口を開けて息を吸い込む。鳥の翼が、爪が迫る。

『死ね!』
「そ、れは、お前だって、言ってるだろ!」

ぎり、と青が赤を射抜く。
突如男の内に音が浮かぶ。今まで分からなかったのが信じられない程に、慣れた音のように思えた。

「……楓星ふうせい!!」

男の声と同時に、後ろの鳥が動いた。
後ろからの突風と共に鳥の身体が後方へ傾く。そのまま倒れるかと思われたが、体勢を立て直し宙へと舞い上がる。けれど、即座に同じように舞い上がった影の鳥が脚で翼を掴んだ。

『はな……っ、おま、お前は、何だ!?』

2羽がもつれ合って落下していく。それは本当に一瞬のような、瞬きの間の出来事であったが、男はそれが一つになるのと、

『俺はお前の、全てを守るものだ』

という声を確かに、聞いたのだった。




星のあやかしに名前は無い。
何故か? 強すぎるからだ。導く者も、並ぶ者も存在しない。名前を与えられる者が、其れ等にはいない。
もし、いるとするのならば、其れは恐らく――。




「……つまり、俺はコイツと縁を結ぶから風に好かれていた、と?」

はい、と頷いた巫女に男は心底嫌そうな顔をした。

「縁に過去も未来もない、在るだけです。だから貴方は鳥に決して傷つけられないし、寧ろ守ってもらえる」
「はあ……」

巫女の顔は相変わらず感情が見えない。
……そもそもの話をすると、巫女は女ではない。男だ。

「だが、そこまでの縁ってなんなんだ? こうして名前で縛っているだけでそこまで……?」
「それはおいおい分かるでしょう。……鳥の方はもう察しがついているかもしれませんがね」

男は振り返る。
あの後、白んだ空の下で男が見つけたものが其処にいる。
名前で縛られ、人の形を取った鳥だ。それが、死にそうな顔をして佇んでいる。
翼もなく、鉤爪も嘴も勿論ない。髪と目の色が鳥の名残を残すだけだ。

『俺は認めないぞ』
「おや往生際の悪い。もう十分そうなっているのでしょうに」
『そんな訳あるか! この俺が、ただの人間に……』
「そのただの人間に負けた癖によく吠えるな」
『なんだと!』

やれやれ、と巫女は子供のような喧嘩を始めた男と鳥に肩をすくめる。
けれどもやはり、縁は確かにあるのだ。
縁の名前が分かるにはまだまだかかるのだろうが。







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