白黒的絡繰機譚

ミオ・テゾーロ

注意書き類

すうすう、と気持ちよさそうに眠る頭を撫でる。
指通りの良い髪と、形の良い頭がキースの掌によく馴染んだ。何度撫でても、飽きる事がない。

「ワーニャ」

普段と違う呼び方というサプライズをしてみても、眠りに沈んだ紫の瞳は閉じられたままだ。
最も、キースとしてはここで起きられると少し困るのだが。まだまだ触り足りないし、呼び足りないのだ。
特に呼び方は圧倒的に足りない。触る事は二人きりならまだ機会があるし、イワンもある程度はキースの好きにさせてくれる。しかし、愛称で呼ぶのはそうもいかない。

「折角可愛い響きなのに、どうして呼ばせてくれないのだろう……」

ワーニャ、と呼べば唇を尖らせて「止めてください」と言われてしまう。
キースとしては愛称と呼ぶに相応しい可愛らしい響きなのに勿体ない、と思うのだが、その「可愛らしい」とキースが思っている事がイワンにとっては大問題の一つなのだという。
キースよりは背も低く、体格も負けている。年頃の男としては、やはり恋人に可愛い、と思われてしまうのはなんとなくプライドが許さないのだ。キースはそこに少しも気が付く気配はないが。
ただ呼べば嫌がる、という事実だけを理解してTPOを考えた結果の行動が今である。
聞かれると嫌がるのならば、聞こえるけど聞こえない、眠っている時に呼べばいいじゃないか、と。

「ワーニャ、ワーニャ。私のワーニャ」

髪を、首を、全身を撫でてイワンを呼ぶ。
呼べば呼ぶ程、もう何があっても手放せないだろうと実感する。

「んぅ……」

静かに眠っていた身体が、シーツの下でもぞりと動く。
起きてしまう予感に、少し嬉しくなりつつも寂しい気持ちになる。ああ、これでまた当分はワーニャと呼べないな、とキースは思った。

「き、ースさん……」
「やあ、おはようイワン!」

片手を上げてそう言うと、とろんとした瞳のまま、唇を尖らせる。キースの言動や行動が、怒りはしないが気になった時に、よくとる仕草だった。
何か変な事をしただろうか、と上げた手をじっと見る。特に何も思い当らなかった。

「……呼ばないでってあんなに言ったのに」
「な、……何のことだい?」
「ワーニャって、呼んでましたよね」

まさか聞こえていたと少しも思わなかったキースの表情が少しだけ引きつる。

「……すまない。君が嫌がっているのは分かっているのだけれども。私は君をそう呼ぶのが好きで」
「……」

上半身を少しだけ起こしたイワンが、じっとキースを見つめる。
キースは彼に向かって手を伸ばそうと思ったが、思いとどまる。変に触れれば、あまり起き抜けに機嫌のよくないイワンを、更にどん底へと叩き落としてしまうだろう。

「キースさんは」
「うん」
「僕が何でそう呼ばないで、って言うか分かってますか」
「響き、だろう?」

前に「可愛らしい響きだ!」と言ってしまった際、それが嫌だとイワンの口から聞いた。

「それもあります。……というか、それだけだったんですけど」
「どういうことだい?」
「……」

視線が逸らされる。露出した肌が、ほんのり色づいたのが分かった。

「覚えて、ないんですね」
「一体何を?」
「……何時も、言うから」
「?」

それは、何時間か前の記憶。

「何時も、譫言みたいに、ワーニャ、って呼んで。愛してるって、言うから……」

恥ずかしいんです。
そう言い残してシーツを被ったまま、寝室を後にしてしまった。

「ワーニャ」

残されたのは、あっけにとられつつも幸せそうな男が一人。