白黒的絡繰機譚

灰色ヒーロー

ほんの少しだけ先を進んでいた君が、私を見る。

「あ、あの」
「何だい?」
「……いえ、何でもないです」

眉尻を下げて、唇を噛んで、言い淀んで、顔をそむける。
どちらかと言われればやはり笑顔だとは思うものの、こんな君の表情も捨てがたい。
くるりと向き直ると、また元通り。ゆっくりと君を見て歩く私と、前を見ながらも私を気にする君の図だ。

「何かあったのなら、言っておくれ」
「いえ、別にその、何も」
「……本当に?」
「う、うう……」

少しずつ君の足が急ぎ始める。動く。
私は変わらずゆっくりだから、段々と距離が開いていく。

「イワン」

名前を呼ぶと、遂には走り始める。
逃げてしまう訳でも、いなくなってしまう訳でもないと分かっているから、私はそこで立ち止まった。
小さくなる背中はその速度を落として、止まる。
きっと君は今、私に対して恨み言でも小声で言っているのかもしれないね。前にも「貴方がこんな、意地の悪い事をするなんて、思いませんでした」と言っていたし。
でも君の言葉はどこかおかしい。私は別に、意地が悪い事をしているつもりはないのだから。

「戻っておいで」
「……」
「さあ」

両手を広げると、渋々といった様に彼がこちらへと歩きはじめる。やはり眉尻を下げた表情の君は素晴らしい。こういう事はあまり言わない方が良いと、誰かが言っていたが。

「お帰り」

私の前までやって来た君を、腕の中に閉じ込める。君の足は、こうしていないとどこかへ行ってしまうから。

「……キースさんは」
「何だい?」
「いや、その……」
「言ってくれないと、私には理解できない」
「……」

理解は、している。何故なら、それを望んでいるのだから。
でもそれは私が勝手にやる訳にもいかないし、君の意思を裏切るなんて出来る筈も無い。だから、君から言って欲しいんだ。

「君の事は分かっているつもりだが、それでも言ってくれないと全てを理解できない」
「うう……」

君のそういう表情、私はとても好きなのだけれども、今それをされるととても困る。
まるで私が君をいじめているみたいじゃないか!

「じゃあ、その……早く帰りませんか」
「ん? 買い物は良いのかい? 欲しいものがあるんじゃ……」

キッ、と私を睨む。それに怯んだ一瞬を突いて、私の腕からするりと抜けだしてしまう。

「分かってやっている癖に、白々しいです。……僕、帰りますから」
「え?」
「……え?」

目を見開いて、そして溜息。
何かが、食い違っている様な気がした。私が望む事と、君が受け取ったものが、どこか違う。

「……帰りますっ! 追って来ないでください!」
「えっ、イワン待って」

伸ばした手は、空を切る。

「……」

呆然と一人立ち尽くす。
しばらくそのまま考えてみたものの、やはり君が何を思ったのかは分からなかった。



「――だって、その、やけに手が当たるから。キースさんもその、……触りたいのかなぁ、って」

帰宅後、私の可愛い、手の大好きな恋人から粘って粘って聞き出せたのは、そんな言葉だった。

「それは何時でもじゃないか。確かに少しは意識していたが……でもそれは、手を繋ぎたいと思っただけで」

こういう性的な事を含んでいた訳じゃあ、無い。

「だったらちゃんと言ってくださいよ……。もう、その所為で……」
「すまない。……許しておくれ」

君の奇麗な左足にキスを一つ。開いている左手は、君の好きなようにしてくれて構わないからどうか許してくれないか?

「……右手も触らせてくれたら、良いですよ」

そんなのお安い御用さ、イワン!