白黒的絡繰機譚

浅瀬に光る

「アンタの誕生日には、ぜってー休みとるから」

そうライアンから宣言されたのは、半年以上前の事だった。
俺は宣言されてから数秒後にやっと合点がいって「はい」とだけ返事をした。彼はそれが気に入らなかったらしく、ずんずんと目の前に顔を寄せるとむぎ、と俺の眉間を押した。

「ここは!『プレゼントにこれが欲しいです』だの『折角だからあの国に旅行したいです』とか!言うとこだろ!」
「……と言われても」

俺にそういう欲があまりない事は、よく知っているはずだ。
眉間の指をやんわりはらうと、ライアンが困ったような顔をする。そういう顔をすると、彼は年下らしく見える。普段は全く、そんなことがないのに。

「じゃあ俺が勝手に決める。OK?」
「もし止めて欲しい、と言っても貴方はするんでしょう?」
「よく分かってんな。じゃ、決定」

楽しみにしてろよ、と言ってライアンは俺の膝の上に仰向けで寛ぎながらスマートフォンを弄りだした。きっとそのプランを練っているのだろう。気が早いな、と俺は思った。



――そんな約束をしていた事を思い出しながら、俺は窓の外を見た。厚い雲に覆われて、地上の様子は見えない。

「面白いもん見えた?」
「いいえ。雲しか見えない」

誕生日前日ライアンが俺に手渡したのは、航空チケットだった。ある程度は予想していたので、とりあえずと行先を見るとそこに記されていたのは、リゾート地の定番中の定番の都市の空港の名前だった。あまりにも定番すぎて――つまり、セレブな育ちの彼は飽きるほど行っているはず――逆に驚いたくらいだ。

「ま、そんなもんだよな。てか寝たら? まだまだかかるぜ」
「……」
「あれ、もしかして寝れない?」

くく、とライアンが笑う。別にそうじゃない、と言い返そうかと思ったが、変に必死な気がして止めた。
その代わりに、と機内雑誌をめくりながら尋ねてみる。

「今、あなたの考えているプランを聞いたら、教えてくれます?」
「さあ?聞き方次第だな」
「じゃあ止めときます」
「つまんねーの!」




空を飛び、送迎リムジンで辿り着いたのは、このリゾートで一番のホテルだった。慣れた様子で進むライアンと違い、俺は平静を務めているつもりだが、どうしても視線があちらこちらに行ってしまう。こういうホテルを手配したことは数あれど、自分が泊まるはめになるなんて、一度たりとも思ったことがなかった。
乗り込んだエレベーターで、ライアンが俺に問いかける。

「物珍しい?」
「貴方とは、違いますから」
「そうなの」

ライアンの横顔は、ずっと何か企んでいるような笑みを浮かべている。俺なんかの――こういう言い方をすると、いつもライアンは不機嫌そうな声を上げる――誕生日を祝うには、もう随分と過ぎた演出なのに、まだ何かあるというのだろうか。
ちん、と軽いベルの音がして、エレベーターが止まる。辿り着いたのは最上階ワンフロアを使ったロイヤルスイートだ。
荷物を運び入れたボーイが会釈して去っていくと、ライアンはエメラルドグリーンの海が見渡せる窓辺に立って、俺に手招きをする。従って近づく間、俺は酷く柔らかくてふんわりと心地よい香りがする部屋にまだちっとも馴染めなくて「ああ、ライアンは海と並ぶだけで十分絵になるんだな」なんて考えていた。

「綺麗だろ、ここ」
「ええ、凄く」
「定番のリゾート地だけどさ……だからこそっつーか、綺麗なんだよな」
「好きなんですか?」
「わりと」

この「わりと」は「凄く」の意味だな、と俺は思った。いつの間にか、そのニュアンスの違いが分かるようになってしまった。

「あのさ、時差があるから、ここだともうアンタの誕生日なんだよな」
「……ああ、そういえば」

時計を直していないな、と左腕をあげると、ライアンがそれをやんわりと止める。

「直さなくていい。これ、つけて」

ライアンがソファの上のクッションの下から、何かを取り出す。手の中に納まる箱。ぱちり、と瞬きをすると、ライアンがそれを開けた。

「時計……」

ベルベットに鎮座していたのは、腕時計だった。
品の良い輝きを放っており、そのフェイスは見慣れた――父の形見とほぼ同じデザインだ。ただ、ゴールドの獅子の絵柄が組み込まれている。

「アンタの大事にしてるの元にしてさ、作ってもらった。アンタはさ、知ってる?」

ライアンがもう一つ、同じ箱を取り出す。その中には、やはり同じ時計が収まっていた。

「エンゲージウォッチ、っての」
「……」
「な、貰ってくれる?」

笑うライアンが、ひどく憎たらしく思えた。わざわざこんなリゾートで、こんなホテルをとって、こんなものを用意して!

「こんなの……貰うしかないじゃないですか」

震える指で、時計を撫でる。

「もうちょっと素直に喜べねぇの?」
「そういう余裕は、今、ないです」
「普通逆じゃね?……誕生日、オメデト」

キスの後、俺達はお互いの腕に時計をはめて、そして笑った。
まだ、休暇は始まったばかり。