白黒的絡繰機譚

今夜の予定は

――元々、年上の機嫌を窺う事ばかりにかまけてきた所為か、アンドリューは年下というだけで未知の生物のように接し方が分からない。
特に、彼みたいなタイプは初めてなのだ。

「……」

じんわりとアンドリューの左肩が湿っていく。原因は、そこに頭を預ける年下の男。アンドリューの身体をがっちりと抱きしめた腕は、指先の跡を背中に残そうかとしているほど、力が強い。力が強すぎて、引きはがす事も抱きしめ返す事も出来ない。腕が動かせないのだ。

「ライアン」

名前を呼んでみるも、返答はない。ただ、涙の染みが広がっていくだけだ。しゃくりあげる訳でもなく、嗚咽を漏らす訳でもなく、ただ静かに涙だけを流している。
そういう泣き方は狡い、とアンドリューは思う。昔の自分が、そういう泣き方ばかりしてきたのを覚えているからだ。あの時は、誰もそばにいなかった。人の目があるところでは絶対に泣けなかった。抱えてきたどろどろとした感情も思い出も、誰かに吐露して楽になってしまいたいと思いつつも、決してしてはいけないのだと嗚咽と共に飲み込み続けてきた。
そんな泣き方に、今のライアンは似ていた。

「ライアン」

もう一度、アンドリューはライアンを呼ぶ。彼はまだ、ヒーロースーツを身に着けたままだ。力任せに抱きしめられている所為で、スーツの装飾が食い込んで少し、痛かった。
このエリアはシュテルンビルドと違って、トランスポーターなんてものはなく、会社にある専用ルームで毎度着替えている。それ2人で不便だと言い合ったのは、確かここに来てすぐの事だったとアンドリューは記憶している。不便だけれども、今だけはそうで良かったとひっそり思った。ここがトランスポーターだったなら、きっと誰かに見つかってしまう。自分たち2人以外に、ここに立ち入るの可能性があるのは、清掃業者くらいだ。まだ就業時間を終えたばかりのこの時刻ならば、まだまだ清掃の時間は遠い。

「ちょっと、苦しいです」
「……」
「ねえ。このままじゃ何もできない」
「……」

うんともすんとも言わないまま、それでもライアンは少しだけ力を緩めて、アンドリューの腕がすり抜けるだけの隙間を作った。するり、拘束から抜け出した腕はゆっくりとした動作で、両方ともワックスで固められた金髪を撫でた。固められている所為で、指通りはあまり良くない。けれども、アンドリューはそれを何度も何度も撫でた。

「今日は、歩いて帰りましょう。途中のデリで、貴方の気に入っているスペアリブとパプリカのピクルスを買いましょう。ポテトサラダは人気だからないかもしれませんね……。もしなかったら、俺が作ります。今日は玉ねぎ入れませんから。帰ったら2人でそれを食べて、デザートは冷やしておいたゼリーにしましょう。ね、ライアン」
「……」

もぞ、と少しだけライアンの頭が動いた。
――今日の出動をモニター越しに見ていただけのアンドリューには、ライアンの中にある涙の理由が分からない。救出した市民に、何か心無い一言をかけられたのかもしれない。他のヒーローに、睨まれたのかもしれない。気がつかなかったけれど、何かミスをしたのかもしれない。何か分からないけれども、何かが彼の中から滲んでしまった事だけを、アンドリューは理解している。
理解しているから、ただ、頭を撫でた。

「もうそろそろ、帰りましょう」
「……アンドリュー」

小さな声が、名前を呼んだ。

「もっと俺を、甘やかして」
「ええ、良いですよ」