白黒的絡繰機譚

特等席

吾輩、所謂野良猫である。名前は多数あるが、どれも一時のものに過ぎぬ。
生きる中で人間から餌を貰う技を身に着け、今日も明日も気ままに生きる茶虎猫である。
そんな悠々自適の生活を送っていた吾輩であるが、なんとまあどうしたことか、最近ある一軒家のみに通い詰めている。
同じ路地裏を寝床にする者達からは如何したのだと嘲笑されたが、あの者達は知らぬから言えるのだろう。吾輩とて、こんなつもりではなかった。知った者は全て同じ道を辿る。

「にぁ」

白い塀を乗り越え、よく手入れされた庭を進む。その先にある縁側に、家主は今日も座っていた。
まだ、他の者達は来ていない様である。吾輩は一番乗りの特権である、家主の膝の上に乗る。家主は男児である故柔らかくもないが、何故かこの膝の上は心地よい。

「今日はお前だけ?他のみんなは?」

他の者など吾輩の知った事ではないのだが、家主はどうも全員仲良しだと思い込んでいるらしい。どちらかと言えば仲が悪いのではないかと思うのだが。吾輩達は皆、家主の膝の上を争っているぞ。まあ、吾輩が勝つことが多いがな。
……と、訴える事も猫の身ではままならぬので、何も知らぬとばかりに身体を擦り付ける。すると、慣れた手つきで吾輩の喉を撫でた。うむ、やはり家主は猫の扱いが上手い。

この大きく広い家の家主は、見たところ二十歳にはいかないであろう青年であり、他の猫の言う事にはロシア系の血筋であろうとのことだった。一度『でんわ』というもので名乗っていたのも「イワン」だったので、その見立ては間違っていないのではないかと思われる。勉学に励む様子を誰も見た事がないので、学生ではないのだろう。ただ、往来を行き来する『さらりーまん』と言う人々と同じ格好をしている所は見た事がない。そもそも、こんな平日とやらの昼間に猫を膝に乗せているのだ、そういう職業ではないのだろう。他の猫達も、家主が何をしているかは知らぬらしい。
そんな職業不明の家主であるが、吾輩達猫の扱いに関しては、この界隈では一番だと言っていいだろう。猫を飼っていた過去があるかは知らないが、家主の吾輩達を惹きつける『おーら』は何とも抗い難い。一度この敷地に入ったが最後、通い詰める羽目になる。マタタビ以上の中毒性だ。

「にゃう」
「にぁー」
「なーご」

吾輩が微睡んでいると、他の猫達がようやっと顔を出し始める。残念だったな、本日の特等席も吾輩のものだ。誇示するように尻尾を振れば、悔しそうに小さく鳴いた。そうして、家主の周りに団子を作っていく。この団子になった吾輩達の背中を撫でるのも、家主のお好みの愛で方らしい。順番に彼等の背を撫でていく。吾輩も、と掌を叩くと、ごめんごめんと吾輩を撫でた。

「うーん……まだかなぁ」
「なぁ?」

家主がポツリと呟く。
はて、何がまだなのであろうか。既に家主の膝も周りも足元も、吾輩達で埋まっている。団子の数と模様からして、これで常連は全員であろう。他の猫達も一体なんだと顔を上げる。
吾輩達は見回して、家主はやや嬉しそうな顔をした。ふむ、珍しい。

「お客様が、来るんだよ」

はて、客とな。この屋敷は広いが、家主以外に誰がいる訳でもない。吾輩達以外の客なぞ、見た事もない。
そんなこの一軒家に、客が来ると言う。一体どのような御仁が来るのだろう。

「いい人だから、きっとみんなにも優しくしてくれるよ。ウチ、猫がいっぱい集まるんです、なんて言ったら『では、キャットフードを買って行こう!』って言ってたから、期待してもいいんじゃないかな?」

恐らく似てないであろう物真似を取り入れ、家主がそう告げる。
ふむ、こちらとしても食事にありつけるのは大変ありがたい。吾輩の様な野良猫は、食事が何よりも優先だ。この常連の中には飼い猫も混ざっているが、圧倒的に野良猫が多いので、キャットフードと言う言葉に殆どが耳を立てた。分かり易いぞ、若造共。
それを見て、家主は笑った。

「……!」
「にゃっ!?」

ヴヴヴ、と鈍い振動が吾輩の腹に響く。家主のポケットに入っている『でんわ』が振動しているようだ。
家主は取り出したそれをまじと見て、少し緊張してから話しはじめた。いつも思うのだが、あの『でんわ』とやらは如何して話が出来るのであろうか。猫の身には、分からぬ事が多い。

「あ……はい、ええ、そこを右に……迎えに行きましょうか?大丈夫です……?ええ、今日もいっぱいいますよ。はい、待ってます」

ふむ、客が迷っているようだ。家主は『でんわ』を切ってもどこかそわそわとしている。吾輩達が全力包囲をしているので、立ち上がりにくいのであろう。
申し訳ないが、吾輩ら猫というものは、犬共と違ってここでゆるりと退いてやるような性分ではない。まあもうすぐ来るのだろうから、吾輩達を撫で回して待つと良いぞ。
ぐるぐると喉を鳴らしてやれば、吾輩の考えを理解してくれたように掌が背中を撫ぜる。うむ、流石家主よ。


「――すまない!遅くなってしまった!」
「スカイハイさんっ」

撫でる手に吾輩がうとうとし始めた頃、その眠気を吹き飛ばすような声が響いた。
何事かと思ってそちらを見れば、まるで犬の様な男が走り寄ってきている。これが家主の言っていた客とやらか。

「折紙君の言っていた通り、凄い猫だね!これ全部、野良猫なのかい?」
「は、はい……。いつの間にか、こんなに来るようになっちゃって」
「みんな可愛いね、そして可愛い!……と!」

客が膝を折って、家主の足元にいたキジトラに触れようとした、その瞬間であった。

「なーっ!!」

キジトラは、毛を逆立てて威嚇をした。
あまりの剣幕に、家主も客もぽかんと驚いている。客が手をひっこめると、キジトラはそれでいいと言わんばかりにまた団子に戻った。

「あ、れ……。普段、こんな事ないんです、けど」
「や、やはり知らない人には懐かない……のだろうか」

肩を落とす客は、まるで犬のようであった。
……というか、犬に似すぎているだろうこの客は。これではキジトラも威嚇をする訳だ。吾輩も、威嚇はせぬだろうが、触れる手からは逃げるだろう。
だが、そうも言ってはいられなさそうだ。吾輩が、少し力を貸してやるとしようか。

「にぁ」

他の猫達に、家主の隣を開けてやれと声をかける。皆嫌そうな顔をしたが、まあ吾輩が一睨みすれば滞りはない。
客よ、まずは座るがよかろう。

「あ、スカイハイさん、座ってください」

空いた空間に『ざぶとん』を引き、家主が促す。客はまだしょぼくれながらもそれに従った。置かれた紙袋に入っているのは、先程の『でんわ』で話していたキャットフードであろうか。白身魚の缶詰があると吾輩は嬉しい。

「では、失礼するよ」

腰を下ろした客に、吾輩以外の猫は距離を開ける。それにまた、客は肩を落とす。

「私はどうも嫌われているね……」
「そ、そんな事はないです!多分すぐ慣れてくれますよ……。スカイハイさんですし」
「だと良いのだが……」

恐らく難しかろうと吾輩は思ったが、猫の身故言える訳もない。吾輩はそれなりに歳を重ねているので、多少平気ではあるが、他の若輩者では厳しいだろう。
だから、吾輩が一肌脱がねばなるまい。客の為ではない、家主の為だ。

――何故そこまでするのか?猫というものは、気まぐれであるが懐けば尽くすのだ。そういう事だ。

「にゃーお」
「……!折紙君!」

ぱぁ、と客の顔が明るくなる。ちょっと膝に乗ってやっただけで大げさな事だ。吾輩が客の膝に移った事で、家主の膝には白猫が滑り込んでしまった。ううむ、客の膝は家主よりも大分固い。これは猫向きではないな。

「わあ、良かったです」
「うん。とても嬉しい!これなら、彼等とも上手くやっていけるかもしれない!」

弾む声で、客は紙袋からキャットフードを取り出す。吾輩の好きな白身魚の缶詰は存在するようである。中々出来る客のようだ。

「そうだ、自己紹介がまだだったね。私はキース・グッドマン!先日イワン君の恋人になったんだ!これから君達と会う事も多くなるだろう、よろしく!そしてよろしくお願いしますだ!」

吾輩は少しだけ、一肌脱いだことを後悔した。




「……あれから一度も猫に乗ってもらえない私。とても寂しい……」

そんな客――いや、もう家主と同じくらい馴染んだ男がそう漏らすのを、吾輩は今日も家主の膝の上で聞いていた。
仕方がない、人の世でも猫の世でも、旦那という生き物は身の置き場がないものだ。
だが、家主も男も知らぬだろう。

「なーぉ」

吾輩が一声鳴けば、猫共は名残惜しそうに腰を上げる。

「あれ、もう帰っちゃうの」

家主は残念そうだが、致し方ない。隣でそわそわとしている――これは口吸いがしたい時のそわそわだ――男に気がついていないのだろう。

――吾輩達猫に、馬に蹴られる趣味はないのである。