飛び散る歯車
「俺のブーツにキスをしな」……というのはヴィルギルの前にふんぞり返る金の王子の決め台詞だ。コンチネンタルエリアの犯罪者達に、それを見守るテレビの向こうの視聴者達に向かって発せられてきたその台詞が、今ヴィルギルへと降り注いでいる。
伏せていた顔を上げると、さすらいの重力王子ことライアン・ゴールドスミスの余裕溢れる笑みがある。
「なあ、まだ?」
「……」
今ライアンがとっている表情のような、人を下に見る事に慣れた顔が、ヴィルギルは心底嫌いだった。ああいう表情は、どれもこれもシュナイダーに見えて仕方ない。何時だって仕事をしていると、直ぐにあの老体の首をヘシ折りたくてたまらなくなる。
「アンタ慣れてるんだろ」
「……」
「な、黙ってばっかじゃつまんねぇよ」
くん、とブーツのつま先が顎に当たる。ヴィルギルには縁のない、関心もないブランド物のブーツだ。もう片方の足は、ヴィルギルの肩を押さえつけている。
「何故」
小さな声で、ヴィルギルは呟く。
ライアンの仮の住まいであるこのホテルの一室に行くように指示したのはシュナイダーだった。はい、と機械的に返事をして向かった結果、今の状況だ。
「何故って?んなの決まってんじゃん。ちょっとした興味。味見してみたい、ってな」
「味見、ですか」
「だってアンタ、オーナー様のお気に入りだろ?」
「秘書です」
「ただの秘書に同じブランドの上着着せたりしないっしょ!それも女ならともかく、男の秘書に!」
そういうものなのか、とヴィルギルは思った。確かに上着をこれにしろと指定したのはシュナイダーだが、その裏にどんな思惑があるのかなど、気にした事もなかった。気にしたくもない。あの男の事を考えなくて済む日だけを夢見ている。
「でもアンタはさ、随分オーナー様の事が嫌いみたいだけど」
「……」
そんな事はない、と言おうとしたが、ヴィルギルの口から声は出なかった。けらけらとライアンが笑う。ぎり、と唇を噛むと、ぶつりと切れた。
「勿体ねぇ」
ライアンは椅子から立ち上がると、膝をついてヴィルギルの唇を拭う。先ほどからライアンのしたい事がちっとも分からないヴィルギルは、ただただされるがままだ。
「なあ」
耳に口が寄せられる。熱い吐息がかかった。
「共犯になってやろうか」
何が、とは聞かなくても分かった。ただ、やはり何故と聞きたかった。
――そして無性に、この王子に傅いてしまいたい気持ちになった。それが出来ないと分かっていながら。