白黒的絡繰機譚

涙が見たいわけじゃない

エドワード→イワン要素有り

枕に顔を埋める。思い出せば思い出す程に恥ずかしく、情けなかった。
左隣を見れば、自分の腕を枕にして眠るキースの寝顔がある筈だ。
勿論目は閉じられているのだろうが、瞼の下に先ほどと同じ悲しそうな瞳があるかと思うと、ずきりと胸が痛んだ。
目を逸らして、また枕に顔を埋める。眠れる気など少しも無かったが、キースを見たくなくて目を閉じた。
本当ならこうして同じベッドで眠る資格も無いという事は分かっているのに、それでも動けなかった。

「……」

ぎゅう、と眠くなるよう暗示をかける様にきつくきつく、目を瞑る。
しかし、眠気を求める程に遠ざかり、代わりにやって来るのはほんの数時間前にこのベッドの上であった出来事のフラッシュバックだ。

『い、いや……!無理、無理です!』

キスをして、優しくベッドに運ばれて、自分の上に彼の影が出来て、もう一度キスをされて、服に手がかかった瞬間に、拒否の言葉は発せられた。
同性同士で行為に及ぶのは勿論二人とも初めてであったし、所謂女役となったイワンの不安や恐怖は最もであるから、拒否の台詞自体はキースも想定内だった。本当に駄目ならまた今度にしよう、そう言えるだけの人格が彼にはあったので。
――しかし、その後に続いた言葉がいけなかった。

『や、……!エドワード……!』
『……エドワード?』

目を見開いて口を閉じたが、既に遅かった。
困惑と静かな怒りが入り雑じった、ほんの数秒前とは違う意味で熱い視線がイワンに降り注ぐ。それが身体に刺されば刺さる程に内の熱が失われていく様だった。

『前々から思っていたけれども、君は……本当に私のものなのかい?』

酷く静かな口調でキースは呟く。それは問いかけの形でありながら、返答を求めていない……いや、聞きたくないと言わんばかりの痛々しさを含んでいた。

『……いけないな。済まない、忘れて欲しい。私も忘れよう』
『あ……』
『おやすみ、……イワン君』
ふるり、と頭を降ると、キースはイワンの上に影を落とす事を止め、シーツを被ってしまう。
広い背中がイワンを拒んでいた。

『……』

上半身を起こし、そろりとキースを覗き込む。
ベッドに押し付ける様にした顔を、イワンからは窺うことが出来ない。
おやすみなさい、と返す事も出来ないまま、イワンはシーツを頭の先まで被った。
しかし眠気が訪れる訳もない。ただ瞬きをする事すらままならないまま、遅々として進まない時間が流れていく。

(誰のもの……か。僕は、キースさんの……その、恋人だけど。でも……)

あの時何故エドワードと言ったのか、その訳をイワンは理解していた。
――ヒーローアカデミー時代にも、ほぼ同じ事があったのだから。
エドワードの背中に隠れ、アカデミーで過ごす時間の殆どを彼と共にしていた。ヒーローとしては役に立たないと自覚している能力について愚痴れば、何時も前向きな返事と後押しをくれたエドワードは、イワンの中でテレビに映る誰よりもヒーローだった。
強くて優しくて真っ直ぐな彼が自分に構ってくれる事が嬉しくて、唇を尖らせながらもジュースを買いに自販機に走ったり、帰りにスナックをおごった事が何回あっただろう。
楽しかった。不安も悩みも数え切れない程あったけれども、幸せだった気がする。決して今がそうでは無いという意味ではなく、あの時はあの時に得られる最高の幸せを得ていたのだ。それが普通すぎて気が付かなかっただけで。
それが崩壊したのは彼を助ける事が出来なかったあの日なのだが、その予兆とも言える出来事はそれの数日前に実は起こっていた。
今思えば――その所為で足が竦んだのかもしれない。拳銃に人質、そんなシチュエーションに自分の能力が役に立たないという事実も勿論あった。けれど、あそこでエドワードの言葉に従う事が出来なかったのは、自分の中で彼に不信感が湧きはじめていた所為ではないだろうか。友達だと、親友だと信じていた、のに。

(あの時のエドワードは……キースさんと同じ様に、僕を想っていたんだろうか)

あの時はただただ困惑し、泣き叫んで抵抗するばかりで、その行動の理由も意味も何も考えなかった。
未遂に終わった行為は殆ど喧嘩にも似ていたが、仲直りも出来ずうやむやになり、翌日にはなんとなく無かった事になっていた。
しかし、それは勿論表向きの事だけで、イワンの心には影が落ちていた。それはエドワードも同様だろう。
影はほんの少し二人の関係を狂わせ、そしてイワンの足を止めた。それだけで十分だった。
運命は変わり、殆ど逆転するような形で今がある。

(今はもう、そんな事は無いに決まっているけど)

大嫌い、とされていれば御の字だろうか。それくらいの事をイワンはエドワードに対してしてしまった。
――そういえば、とイワンは思う。これだけエドワードの事を考えたのは久しぶりだ。決して忘れた訳でも、忘れようとしていた訳でもない。ただ、辛かったから見ないふりをしていただけだ。特に最近は、キース・グッドマンという恋人の事で頭がいっぱいで、見ないふりは加速していた様な気もする。
その報いだと言わんばかりに、自身の口から飛び出た名前。脳内で思い浮かべる度に胸が痛んだ。

「……ごめんなさい」

キースか、エドワードか、それとも両方か。誰に対して謝ったのかはイワン本人でも分からなかった。

「起きているのかい」
「……!」

思わず身を固くする。
そんなイワンの様子を知ってか知らずか、キースは随分と穏やかな口調で言葉を続けた。

「さっきは、とても君に悪い事を言った。君は君であって、恋人だろうと私のもの、と表現するのはとてもおかしい」
「キースさん……。そんな、悪い事をしたのは僕で、僕だけで、キースさんは何も」
「それは違う。イワン君、私は恐らく、嫉妬しているんだ」

イワンは目を見開く。嫉妬という言葉がキースの口から出るという事、それが彼自身の感情である事。その全てがイワンの知らないものだった。

「……似合わないかな?私自身も、こんな感情を抱く日が来るなんてちっとも思わなかった。けど、はっきりと言う事が出来る。これは嫉妬だ。君がさっき言った……エドワード、という人物に対して、私は嫉妬している」
「まさか……」

お互いに背を向ける格好のまま、キースは淡々と話し続ける。いつもと違い明るい、とは言い難いその口調はイワンの知る「キース・グッドマン」ではなかった。

「はは、私らしくないかもしれないな。でも、これも私なんだ」
「確かに……、貴方らしくない気が、します」
「聖人君子じゃあないからね、私は。今も必死に色んなものを抑えているんだ。……君を傷つけたくないからね」
「……」

エドワードに嫉妬している、とは言ったが、キースは「エドワードと何があったのか」とは聞かない。
言葉通りイワンを傷つけたくないと思ってくれているのだろう。そして恐らく、予想もついているのだろう。だから、聞かない。
優しさの様な、そうでない様なキースの態度が、どこか重かった。

「エドワードは、僕の友達でした」

膝を抱えて丸くなり、イワンは口を開く。今更隠すべきでは無い、とやっと決心がついた。

「イワン……」
「それも、ヒーローになる前までの話ですけど……。エドワードは、多分、僕の事がその……好き、だったんだと、思います。何時も僕たちは一緒で……エドワードは僕にはもったいない位、でした。キースさんみたいに」
「……」
「あの日、何がどうしてそうなったのか、僕は今でも分かりません。エドワードは初めて僕に怒ったみたいでした。いっぱい愚痴を聞いてもらったりしても、一度も怒ったりする事はなかったのに。突き飛ばされて、天井とエドワードを見ました。子供みたいにわぁわぁ泣いて、敵う筈も無いのに暴れて……」
「イワン」
「エドワードは僕が泣き止まないのをどう思ったのか、何もせずに僕の上からどいて、黙って帰りました」
「イワン……!」
「それだけです。その日にあった事は」

早口でまくしたてる様に言い切る頃には、イワンの目は潤んでいた。
今更ながら、あの日自分は辛かったのだと、やっと分かった。そう、例えば――。

「すまない、本当にすまない……。私は、本当に」

――こんな風に、正面から誰かに抱きしめて欲しかったのだ。

「キース、さん……」
「もう、何も言わなくていい。そして、許して欲しい。私は君に本当に酷い事をして……そしてまだ、酷い事を思っている。やはり嫉妬をして、それを更に怒りとともに燃え上がらせているんだ……」

辛そうに閉じられた目は、あの日のエドワードの表情と重なって見えた。

(僕は、キースさんにエドワードを見ているんだろうか)

キースの心地よい体温に包まれながら、イワンは自身へと問い続ける。答えが出ないのは分かっているのに。

「……酷くなんて、ないです」

酷いのは、全て自分だ。
フラッシュバックと、煮え切らない態度。それは全てイワンの問題であって、キースではない。

「お願いです、キースさん」

どちらも乗り越えられる日がきっと来る筈だと信じたかった。そんな勇気も根拠も自信も、どれも無いけれども。

「このまま抱きしめて、寝てください」

だからまだ、身体に刻み付けてくれとも何とも言えないが、それでも。
それでも自分が選んだのはエドワードではなくキースである証明が欲しかった。

「勿論だ。……私の、イワン」

その言葉に、目尻に溜まっていた涙が零れた。