白黒的絡繰機譚

バランスはもう、崩れてしまって。

腕も足も頭も、どこにも異常は無い。
それは身体の持ち主であるバーナビー自身がとてもよく分かっていた。
そして勿論ヒーロースーツにも、異常は見つかる筈もない。どこかの誰かとは違うのだ。
しかし、デジタルというものはとてつもなく冷静で、残酷だった。

「――あら、どったのバニーちゃん。シュミレーションは嫌いなんじゃ無かったっけ?」

シュミレーションルームから出たバーナビーを迎えたのは、何時もの様にへらりとした表情をした、信用のおけないパートナーだった。

「……別に良いでしょう。貴方には関係ありませんよオジサン。後何度も言っているでしょう。僕はバーナビーです」

『貴方には関係ない』それはある意味嘘で、ある意味本当の事だった。
ただバーナビーは目の前で笑う男が不快で仕方が無かったので、自身の言葉に含まれる意味になぞ意識は欠片たりとも向けられていない。
何故、そんなどうでも良い事をわざわざ聞いてくるのだろう。どうせ快く思われていないし、思ってもいないのだから、適当に無視をすれば良いのに。今はカメラが回っている『ヒーロータイム』でも何でも無いのだから。

「何だよ随分ご機嫌斜めだなぁ。……ま、何となーく想像できるけどな」
「……」

ああ、どうしてそんな事をわざわざ口に出すのだろう。
ただ一瞬視線を合わせて、そして逸らした。そんな事はありません、と言ってやりたかったが、シュミレーションの結果を思うと、ただ眉間に皺を寄せるしか出来ない。

「ん、帰るのか」
「ええ、もうシュミレーションは終えましたので」

簡潔に述べて、するりと滑る様に通り過ぎる。早く帰りたかった。この男を視界に入れていたくない。

「ちょ、おいバニーちゃん!」

何か用事でもあるのだろうか。そんな事は無いだろう。
大体、シュミレーションなんて嫌いだと言っていなかっただろうか。なら何故ここに?
早送りされる音楽の様に言葉が頭を駆け巡る。しかし、駆け廻る言葉達はどれもこれも普段通りの冷静な思考という文章にはなってくれそうにない。

「……――」

唇だけで言葉を紡ぐ。貴方の所為だ、と。
シュミレーションの結果も、異常無しなのに異常がある事も、思考がまとまらないのも全て。全てが古臭くて無駄に熱くてうっとおしいあの男の所為なのだ。

「だー!おい、バニー!」

少し遠くで声が聞こえる。追って来る必要性のある様な用事はやはり無いらしい。

「ホント、何しに来たんですか貴方は」

騒がしすぎて、落ち着かない。
バディを組む事が決まってから、バーナビーの精神は常にかき乱されていた。
――そう、きっとその所為だ。なんて、自分でも半信半疑にも信じられない酷い理由だが。

「……貴方なんか、関係無い」

今までずっと、関わる事が無かった。それでやってこれた。そう、それは紛れもない事実だ。
――しかしきっと、これから違うのだ。一人でヒーローにはなれない。
それを裏付けるだけの結果データがあった頭が痛むその事実を飲みこみ切れないまま、後ろを振り返る事なく、バーナビーは歩いていく。本当は追って来て欲しい、肩を掴んで引きとめて欲しいのかもしれない。そんな事、バーナビーには認めることなど出来はしないが。
時代遅れの熱血ヒーローが自分を一人になれなくした。それが示す感情を、一人になりたくて仕方がないバーナビーはまだ知らない。




****




バーナビーがいるというシュミレーションルームに向かう虎徹の足取りは、軽いとは言い難かった。
何かしらの要求にはもはや常套句となった解雇をちらつかせられれば、虎徹に拒否権は無い。嫌みな命令に素直に従うのは癪なのだが、こちらにも生活というものがある。

「ってか、シュミレーションは嫌いとか言ってなかったか?」

先日、そんな事を言っていたのを虎徹はその耳で聞いている。
どうにも頑固で現実主義のバーナビーが、嫌いで役に立ちそうもないシュミレーションを自主的に行っている事はどうにも不自然に感じられた。

「――あら、どったのバニーちゃん。シュミレーションは嫌いなんじゃ無かったっけ?」

違和感を感じつつシュミレーションルームの扉を開けると、その奥から丁度、バーナビーが顔を出した。
本当にシュミレーションを行っていたらしいバーナビーは、その身を包むヒーロースーツを湿らせていた。どうもその内容は、先日自分と行った時と同じ、雨天時のものだったらしい。

「……別に良いでしょう。貴方には関係ありませんよオジサン。後何度も言っているでしょう。僕はバーナビーです」

一瞬怯んだ様な表情を覗かせたものの、直ぐにそれは普段通りの仏頂面へと変わる。
――何だよ可愛くねェ奴だな。そう思いながら肩をすくませた。

「何だよ随分ご機嫌斜めだなぁ。……ま、何となーく想像できるけどな」
「……」

機嫌が良かった時など、見た事も無いが。カメラの前ではそれっぽく振る舞ってもいたが、あれはどう考えても演技だろう。
虎徹に向けては決して見せる事の無いようなあの笑顔は、どうにもつくりもののにおいしかしない。あれを見た市民は何も思わないのだろうか、と虎徹としては疑問なのだが、今のところクレームは無いらしい。世間とは理不尽だ。
バーナビーは虎徹の言葉に気分を害したのか、眉間に皺を寄せると露骨に嫌そうな表情を作る。
まだ短期間の付き合い――と呼んで良いのかすら分からない――しかないが、こんな表情しか向けられない。

「ん、帰るのか」
「ええ、もうシュミレーションは終えましたので」

虎徹の横をすり抜けて、バーナビーが歩いていく。一瞥すらしないその態度は、やはり虎徹に怒っているのだろうか。

「ちょ、おいバニーちゃん!」

振りかえって呼んでみても、足が一瞬たりとも止まりはしない。
追ってくるな、と言っている様なその背中は、やはり何時も通りのバーナビーだ。

「……ったく」

ほんの一瞬だけは、何時も通りではない様な気がした。
虎徹を見る目が、ほんの少しだけ「何か」を求めて来ている様な気がしたのだ。
それを向けられた瞬間、根がお人好しの虎徹としては何かしてやらなくちゃあいけない、とそんな気分になった。上司の命令だとか、いけ好かない奴だという事は一切関係なく。

「だー!おい、バニー!」

しかし、現実はこれだ。大声で呼んでみたところで、バーナビーが振りかえる事は無い。

「なんだよちょっとは先輩らしく優しくしてやろうか、って気分になったってのに!」

膨らみかけた瞬間に萎えた気分は、虎徹のやる気を根こそぎ奪っていったようだ。わざわざ追ってまでそれを持ちかけてやる気にはなれない。上司にまた嫌みを言われるかと思うと溜息を吐くしかない。
だが、あの視線は、あの一瞬だけ揺れた瞳は、虎徹の中でごろりと消化できない異物としてまだ残っている。何だろうこれは。疑問に思いはしたが、それはバーナビーへのイラつきで相殺されて、結局うやむやだ。
ただ、イラつきながらも今すぐ走った方が良い様な、そんな気だけはしていた。何故だろう。この前まではそんな気は絶対に起こらなかった筈なのに。
小生意気で正反対の新人ヒーローが自分の興味を惹いている。その事実を、バーナビーの気持ちが理解できない虎徹はまだ気がつけない。