白黒的絡繰機譚

ふたりでたべれば

2011年広島コミケ配布ペーパーより

バーナビーが母親の料理を食べた記憶は、あまり残っていない。揃って研究者であった夫婦はあまり家にいる時間が多くなく、どうしても時間のかかる家事は、家政婦のサマンサにまかせっきりになっていた。幼心にもはっきりとした寂しさを感じつつ、それでも頑張る優しい両親がバーナビーは大好きだった。
だから、バーナビーは両親と共にした食卓を忘れない。忘れられない。特に母親が少ない休日、早起きをして焼いたパンを食べる事の出来た日の食卓を。

「……」

じい、とキッチンに備え付けられているオーブンを覗き込む。中には段々と型の中で膨らみ、色のついていくパン生地がある。
鳴り物入りでヒーローデビューしたバーナビーは、バディである虎徹と違って忙しい。今日は久々のオフなのだが、ふと思うとする事が特にはない自分に気が付いた。
家事はハウスキーパーを雇っているので問題ないし、ショッピングなど今時ネットで十分だ。あまり出歩くと、顔出しの弊害で、静かに過ごすのが難しい。読書でも……と思ったが、積んでいた本の山は、移動時間を使って消費し終えたばかりだった。
どうしたら良いだろう。そう考えてバーナビーが辿り着いたのは、パンを焼く事だった。年々おぼろげになってきてしまう記憶の中にある、母親が作ってくれたのと同じパンを。
思い立つと最初に、サマンサに連絡を入れた。彼女なら、きっと母親のレシピを知っているだろうと思ったからだ。電話越しにパンのレシピを知りたい、と言うと、彼女は驚きながらも、とても嬉しそうにしていた。

「坊ちゃんは本当に奥様のパンがお好きで……。私が焼いたのだとお気に召さないらしく『これじゃない』って言われてしまいましたよ」

なんて、覚えていないのが申し訳ないような昔話もセットで教わった。数分後メールで送られてきたレシピを穴が開く程見つめながらこねて発酵させたパンは、初めてにしては上手くいった……と思われる。

「よし……」

ちん、という軽い音を立てたオーブンから、そろりそろりとパンを取り出す。綺麗な焼き色のそれは、記憶の中と同じ香りを立てている。どうせまだ作るのだから、と端を千切って、口へと運んだ。

「……!!」

バーナビーの記憶が正しければ、これは、この味は、二十年前と同じ、あの味だ。母親が作ってくれたのと同じ、あのパンと同じ味。

「母さん……」
ぼろり、とバーナビーの目から滴が落ちる。ただひたすら、バーナビーは口にパンを運び続けた。




「――お、バニー今日は弁当なの?」

涙で濡れたオフは飛ぶように去っていき、今はアポロンメディアの昼休憩だ。今日は取材の仕事もなく、バーナビーは久しぶりの内勤であった。

「ええ、まあ」

昼休憩を告げるチャイムと共にバーナビーが取り出したのは、シンプルなランチボックスだ。蓋を開けると、きっちりと切りそろえられたサンドイッチが並んでいる。

「へー。俺はてっきりバニーちゃんは料理をしないもんだと」

「失礼ですね。……確かに普段はしませんけど」

忙しさもあり、両親と同じように家事はハウスキーパー任せだ。それを抜いても、まともに料理をした事など両手で足りる位しかないだろう。

「でも結構旨そうだな……。なあバニー、一つ食わせてくれよ」
ぽりぽりと頬を掻きながらの要求に、サンドイッチを摘まんだバーナビーの手が止まる。
別に、虎徹に分けてやるのが嫌だという訳ではない。要求自体は嬉しいのだ。虎徹に求められている、それは今の――ジェイクを、両親の仇を取り、過去からやっと前へ進めている――バーナビーにとっては、何よりも。少々前に進みすぎて、うっかりバディの枠すら超えているが。
けれど、虎徹がこれを食べて美味しいと言ってくれるだろうか?それがバーナビーにとっては疑問だった。サンドイッチなんて中々不味く作れるものでもないが、う今回は別だ。パンが、手作りなのだから。

「……」

「あ、いや駄目ならいいんだぜ? 俺食べに出るし」

「そういう訳じゃ、ないですけど……」

思い出の味は、バーナビーの舌にとても馴染む。けれど、他の人間にそう思ってもらえる自信はない。
でも、食べて欲しいとは、思っていた。

「……良いですよ。一つだけですからね」

ずい、とランチボックスを虎徹の方へと押す。

「おー!ありがとなバニー!」

虎徹の手がチキンサンドを摘まみ上げ、口へと運ぶ。不躾なまでしっかりと、バーナビーは彼の挙動を目で追った。
ごくり、と虎徹の喉が動いて飲み込まれるまでの時間が、やけに長く感じた。

「……いやー旨かった! バニー、このパンどこで買ったんだよ? やっぱゴールドステージのパンは違う訳?」

「……!」
また昨日のように、涙が流れそうになる。それを堪えて、バーナビーは少し、笑った。

「教えてあげましょうか? ……虎徹さんだったら、きっと、ただでいくらでも手に入りますよ」

また焼こうと、バーナビーは決心した。