Cunning lover
こんなずる賢い恋人を持ってしまった僕は不幸だと思わないか?ある日何時もの様にソガノ出版に入ると、とても珍しい事にミツネ達が居らず橘が一人仕事をしていた。
結構な量の文章を書かされているらしく、僕が入ってきた事も気付かないままずっと下を向いている。
「……!」
…………これは驚かせ、ってことだな?きっとそうに違いない。
ゆっくりと気付かれないように細心の注意を払いながら近づいて行く。
無防備な背中に手を近づけ、あと数センチ――!
「バレバレ」
僕の方を見ようともせず、そう言い放つ。
……なんだ、つまらない。
「……気付いてたなら声くらいかけろよ」
「めんどくさい」
そうだけ言うと、仕事に集中したいらしく完全に僕を無視し始めた。
「橘ー」
「…………」
「たちばなー」
「…………」
「……陰険ドSー」
「……あぁ?」
怒ったらしき橘がやっと僕を見た。
……ってアレ?
「橘……お前どうしたんだソレ?」
「あ? 長時間のデスクワークは流石にキツいんだよ」
橘の顔には何時もは無いメガネがあった。
ノンフレームの細身のメガネは悔しいが結構似合っている。
……うん、カッコ良い、かも。
「なんだ、惚れ直したか?」
「ま、まさか」
僕の思いを見透かしたように橘は意地悪く笑った。(実際とても意地は悪いが)
それまでもが似合って、カッコ良いのがムカつく。
……そんな事絶対言ってやる気は無い。
「嘘吐け」
「嘘じゃない」
何でそんなに自信があるんだ?信じられない。
「むしろ、橘なんて、嫌いだ」
「…………!」
橘にも、僕自身にも予期せぬ言葉。
嘘という罪悪感が心に刺さったけれど、今日は素直に謝ってやる気なんかさらさら無い。
でも、何故か橘は楽しい事でも見つけたかのように笑った。
「な、何だ」
「そうか。嫌いか……」
「わ……っ」
腕を引っ張られて橘の胸に収まる形になる。
その体勢のまま軽く頬に触れるだけのキスをされる。
「いきなり……何するんだ!」
橘は、僕がされると弱い事をもう多分全部知ってる。
それを分かっててするんだから……やっぱりドSだ。
「ん? 別に反撃するなり何なりすりゃあ良いじゃねえか。嫌い、なんだろ?」
もしかして。
「本当は好きだろ? 格好良いとか思ってんだろ?」
この男は本当に……。
「そ……んな訳ないだろ……っ!」
「悪態吐くわりにはずっと俺を見てるじゃねぇか」
「……!」
それはまるで支配されているように感じる程。
「橘……」
「ん?」
「……何で、分かるんだ」
とっても悔しい。
僕はまだ橘の思考ルーチンを掴みきれていないっていうのに。
肩に顔を埋めて(こんな事顔見て言えるわけ無いじゃないか!)そう言うと、耳に息がかかった。
「お前の考える事くらい、少しは読めるようになるさ……それにちゃんと当たってたんだろ?」
僕の担当編集者兼恋人はなんてずるいんだろう。
耳に響く低音でそんな事言われたら、僕が何も言えなくなるのはとっくに知ってるくせにこんな風にするんだ。
「…………」
答えてなんか、やるもんか。
大人しくキスはされてやるけど、絶対に答えてなんかやらない。
「……! ちょ……やめろよ、橘……!」
橘は僕の静止を聞かず、勝手にマフラーを取り服のボタンを外していく。
……ああ、今日は最悪だ。
「……ミツネ達が帰ってきたらどうするんだ」
「その時は、その時だ」
そう言って笑った橘は、ムカつくけども今日で一番カッコ良かった。
(絶対メガネの所為だ。それ以外の可能性なんて認めてやるもんか)
ああ、こんなずる賢い恋人を持った僕は本当に不幸だと思わないか?
でも、それでも良いかもなんて思うなんて……僕も相当末期だ。