白黒的絡繰機譚

吸血鬼に餌をやる

硲先生が吸血鬼なパラレルその2

「そこのお兄さん」

その日、俺はとても幸福な気持ちに満ちていた。
手を合わせて祈った甲斐があったか、買った馬券は大当たりで懐が暖かい。もうこれだけで、俺の気持ちは天まで登るってもんだ。
あまりにも幸福だから、ウチでまだ寝てるであろうはざまさんにお土産でも買ってあげようかなぁ、なんて思いつつ帰路についていたそんな矢先、お兄さんなんて声をかけられたのが今だ。
声の方向に首を向けると、花屋の店先で店員がひらひらと手を振っていた。長めの髪をまとめているし、一瞬女なのかなぁ、と思ったけれど骨格が男だわ、これは。

「お兄さん、イイもの買っていかない?」
「あはは、生憎だけど渡す相手がいないんだ」

お付き合いしているのがカワイイ女の子なら、懐も暖かいし買って渡したら喜ばれるのかもしれない。けれども、俺の付き合っている……と言うべき相手は、はざまさんだ。男で、吸血鬼。多分きっと、花なんて興味ないだろう、俺と一緒で。

「大丈夫大丈夫、持って帰るときっと喜ばれるよ。……同居人さんに」

そう言って、店員は赤い薔薇を一本手に取る。

「いやいや、それはないでしょ……」
「大丈夫だよ、騙されたと思って持って帰ってごらん。余ってるからさ、半額でいいよ」

俺がなにか言う前に、店員はさっさとラッピングして、俺の手に薔薇を押し付けた。その時やけに近くて、一瞬色々な意味でおおおっ、となったのはちょっとしたヒミツにしときたいところだ。

「おにーさん、強引だねぇ」
「そんな歳でもないけどね。同居人さんによろしくね」

最初と同じようにひらひらと手を振る店員に見送られながら、俺はいつもどおりだるっとした私服に似合わない真っ赤な薔薇を一輪携えて再び帰路に着いた。








ウチに帰るとはざまさんは思った通り眠っていて、俺は水を入れたグラスに薔薇を突っ込んで、はざまさんが起きるのをだらだらと待った。男二人の部屋に薔薇は浮いていて、なんであそこで押し負けちゃったかなぁと後悔をしてみたりもした。
そんなこんなで夕日が沈みかけた頃、はざまさんの瞼がゆっくりと開いた。

「おはよ、はざまさん」
「……おはよう、山下くん。……ん?」

寝起きのぼんやりとした色がすぐに消えたはざまさんの目は、すぐさま薔薇を捉えた。すんすん、と鼻を鳴らしている様は、まるで犬みたいだ。俺は猫のほうが好きだけど。

「薔薇、か」
「なんか花屋のおにーさんに強引に売りつけられちゃってさぁ」
「花屋……ああ、あそこか」

はざまさんは、何か合点がいったようだった。なんだろう、俺の知らない吸血鬼的な何かだろうか。
俺はただの人間だから、あんまりはざまさんのそういった事情には、触れないようにしている。なんとなく、その方がいいかと思っているからだ。深く聞いて、何か重たいものを背負いすぎるのも面倒だと、非情な事を思っているのだ、俺は。

「山下くん」
「ああ、はざまさんメシ食います?」
「食べる……が、今は、トマトジュースではなく、これを」

起き上がったはざまさんが、薔薇を手に取る。刺が刺さりますよ、と俺が言う前に、真赤な薔薇の花弁が一枚、はざまさんの唇の中へ消えた。
真赤な薔薇は、はざまさんの皮膚に似合うなあ、なんてぼんやりと感じた。

「……吸血鬼は、薔薇を食べる。最も、嗜好品であって、空腹が満たされるわけではないが」
「へえ……初めて知りました」
「私も、実のところあまり口にしたことはない」

必要ないと思っていたからな、とはざまさんは言った。

「だが……君と出会って、そういうものを楽しむ事を覚えた方がいいのかもしれない、とちょうど思っていたところだ」
「はあ、そうなんですか」
「君の晩酌に付き合ってみたいと思っていた」
「……」

なんだろう、あの馬が一着になった瞬間より、ずっと、ずっと嬉しいような、そんな気がする。
きっと俺は多分、ずっとずっと、この人が好きなのかもしれない。

「……?山下くん?」
「やー、今ちょっと、見ないでもらえます?」

懐が温かい。いや、懐よりもっと、奥が。