白黒的絡繰機譚

これは夢です

(あ、こりゃ夢だわ)

チャイムの音に目を覚まして、玄関のチェーンを開けた瞬間に冷静にそう思った。
玄関の向こうには、平日目にしているのとベストの有無くらいしか変わりのない同僚さんが立っている。

「おはよう、山下くん」
「……はよございます。早いですね」

この同僚さん――はざまさんとはほぼ同期みたいなもんだし、わりと仲はいいと、思う。それでも金曜に飲みに行ったりはしても、休日一緒にどこかへ出かけようだとか、ましてや家まで来ようなんて思ったことも、したこともない。
だから夢だ。うん、これは夢だ。

「もう午前10時だが」
「そっすね……」

ぼりぼりと頭を掻く俺の横をすり抜けて、はざまさんは慣れた体でウチの中へ入っていく。ちゃぶ台に何やら荷物を置くと、未だ玄関にぼさっと立っている俺に向かって手を招いた。

「山下くん」
「はい」
「その様子だと朝食はまだなのだろう。持ってきたから食べるといい」

よたよた歩いて、ちゃぶ台の前に座る。

「持ってきた……って」
「作って、持ってきた。もしかして、何かもう用意していたか?」 「いや、それはないですけど……」
「そうか、ならば良かった」

淡々と、いつも通りの何考えてるんだかよく分からない表情で、はざまさんが鞄からタッパーを次々取り出していく。ぱっと見、多分俺が普段作らないような料理が入っているように見える。
多分この人は、レシピとにらめっこしながら料理をするんだろうなぁ、なんて考える。俺みたいに味付けなんてテキトーテキトー、なんてことは絶対にできないに違いない。

「君の口にあうかは分からないが」
「まあ、タダで食えるなら何でも美味しくいただきますよ、俺は」

渡された割り箸を割って、手を合わせる。適当に手にとったタッパーはまだほんのり温かい。俺が食べ始めたのを見守っていたのか、小さく息を吐いたはざまさんが、薄くなった鞄を手に立ち上がる。

「トイレ?なら左の扉……」
「いや、君が食事をしている間に風呂掃除をしてしまおうと思って」
「風呂掃除?」

なんで?と問い返すと、珍しく――いや、珍しいものなんてもんじゃない、初めて見た――はざまさんは、視線を逸らす。

「この前言っただろう『掃除して欲しい』と」
「あー……ああ、はい。言いましたね、そんなこと」

何かの雑談の中で。確かそうだったと思う。
「はざまさん掃除好きなんですね。俺の家も掃除して欲しいなぁ」と、冗談めかして言ったような。でも、その続きは「では効率的な方法を教えよう」とか何とか早速とばかりに掃除講座をおっぱじめようとした筈。それなのに何故。

「私はその……知っているだろうが、君が最初だ。だから分からない。けれど、こうやって休日に食事を作ったり、掃除くらいなら出来る。世間一般ではどうか分からないから、もし間違っていたら教えて欲しい」
「え……と、硲センセ。どうして?どうしてそういうことになるの?」
「……?当然だろう?」

これは夢だ。多分夢だ。何故なら俺は、この後どんな台詞が出てくるか大体分かっている。
それにはざまさんの顔がなんか赤くなってるし、俺もなんかつられて赤面しているような気がするし。

「君と私は――」








(ほら、やっぱり夢だった)

瞼を開けると、見慣れた自分の部屋。薄暗い中夕日が差し込んでいるから、今は夕方なんだろう。
やれやれ、二度寝したらこれだよ……。

「……ん?」

……違う。二度寝はしていない。朝にちゃんと起きた。そう、まるで夢みたいにチャイムが鳴って――。

(それで、それから)

そういえば、慣れた布団がやけに狭い。誰か、俺以外の誰かがもう一人寝ている。
もぞり、とその誰かが寝返りを打つ。

「はざま、さん……?」

あ、寝顔だとちょっと印象違うねーとか考えてる場合……じゃない。

(お互い全裸、布団の中、俺の部屋、腰が少し痛いけどそれ以外の違和感ナシ)

俺が現時点で分かることを羅列している間に、目の前の顔の睫毛が揺れて、ゆっくりと瞼が開く。夢の中ほどじゃないけれども、いつもよりほんの少し色づいて、柔らかい表情。
これは、この人は本当に、俺の知っている硲道夫、なのだろうか。








「……ああ、おはよう山下くん。すまないがお湯を借りてもいいだろうか。恐らく搔き出さないと体に悪いと……」
「――いや、こっちのが夢でしょ!!」