白黒的絡繰機譚

サキュバス的電撃恋愛術

※18禁描写有り※ ネプチューン一般人、ウェーブが男女切り替え可能(通常男性)サキュバスな現パロ。他5thも人外として登場。※18禁描写は女性体です※

「1、2、3……」

とあるホテルの一室、必死な声が響く。声の主は、若い女だ。ぼろぼろと涙をこぼしながら、ベッドの上で数を数えている。そんな女の下にあるのは、男である。必死に腕を動かしている女と違って、男は微動だにしない。

「18、19、20……おねが、い、だからあ……!」

男の胸へ、女の両手が強めの圧迫を続ける。
動かない男と、必死な女。そして胸部への圧迫。これが示すところは1つしかない。例えこの場がラブホテルと呼ばれる場所で、女と男が揃って一糸まとわぬ姿であろうとも。

「29、30……! ほんと、お願いだから、……死なないでぇ……!」

今行われているのは、必死の心肺蘇生であった。




「いや、これは無理でしょ……」

そんな声が発せられたのは、とある大学敷地内の食堂であった。時刻はピークタイムをとうに過ぎ、広い空間は閑散としている。

「いえいえ、これくらいするのが普通ですよ?」

閑散とした食堂の片隅、1つだけ埋まっている4人掛けテーブルで、これらの声は発せられていた。
面子は男3女1……のように見えるが、この場において見た目の性別なぞ殆ど意味をなさない。

「……クリスタルはこれくらいやってるの?」
「いえ、別に。しなくても十分ですので」
「どうせ俺は良くて中の下だよ……」

青い髪の男が、持っていたスマホをテーブルに置く。そこに表示されているのは、同じく青い髪の女性の自撮りだ。明らかに過度の加工がされたそれは、どことなく顔のパーツが男のものに似ている。それもそのはず、この写真の女と男は同一人物だ。明らかに骨格から違うが、同一人物である。空間が歪む程の加工を施したわけでも、画像検索で見つけたフリーなのかよくわからない画像とくっつけたわけでもない。この男は、任意に性別を切り替えることが可能なのだ。何故か。簡単だ、人間ではないからだ。

「会うとこまで持ち込めばどうとでもなるから、盛って損はないだろ」
「そうかもしれないけどさあ……こう……さあ……」
「今更過程や情緒みたいなことを気にするのか? ここまでくるのにも相当掛かったというのに」
「やはり貴方、……あまりサキュバスらしくないですよねえ」

サキュバス。下に寝るもの、というラテン語が語源とも言われる、夢に現れて精気を吸い取ってゆく淫魔のことだ。異性を惑わす美しい姿をしているとされているが、男の容姿は平凡に見える。そもそも男ならばインキュバスの方が正しいように思える。だが、遺伝子と魔術的に男はサキュバスである、と断定されているのだ。そう、この話はそんな魔術とファンタジー種族が現代社会に同居しているご都合世界の物語である。

「それは俺が一番思ってるんだよなあ……」

はああ、と大きく息を吐いて、男はスマホを手に取る。本人からすれば原型を留めていない、詐欺まがいの盛り方をしている写真を何に使うかというと、マッチングアプリのプロフィールである。サキュバスがそのようなものを使う必要はあるのか、と部外者は疑問に思うかもしれないが、結局出会わなければ性的行為になぞ及べないので必要なのだ。現実に出会わなくとも可能な、伝承に残る「他人の夢に現れてみだらな行為に及ぶ」能力もサキュバスは備えているが、悲しいかな現代社会においてそれは強制性交となるので普通に違法である。

「ま、サキュバスらしかったらこの歳まで守ってないもんな」

そうさっぱりと言ってのけたのは、男の正面に座る白髪の見目は中の中くらいの青年だ。他の二人と違って、見目にただの人間との差異は見受けられない。ではただの人間かというとそうでもなく、所謂魔法使いというやつだ。その横の髪の長い女性――先程男にクリスタルと呼ばれていた――も、同意するように頷いている。見目だけならば、彼女の方が一般的に連想されるサキュバスのようにも見える。だが、その長い髪は動くたびに光を反射する、つまりガラスや宝石のような光沢がある。髪や爪、果ては骨が鉱物で出来ている彼女らは、人間とは全く違うが、ほぼ同じような形に進化した石髄人と呼ばれる種族だ。因みに石髄人は無性の種族である。

「守る気で守ってたわけじゃないけどさ……。これさあ、種族的欠陥でしょもう」
「欠陥のない種族なぞいないだろう。その欠陥が判明する前に死んでいた大昔に比べれば、対処が分かっているだけマシというものだ」

確かにそうだけども、と返しながら男は自身の隣を見る。人間のような肌からシームレスに金属が混ざる不可思議な見目をした友人の種族は、捻りなくそのまま機械人という。錬金術の失敗から誕生した種族だと言われているが、一部では遥か未来から送り込まれた尖兵だというトンデモ論もある。

「対処が分かってもさ、数値と理論で死ぬって出されるとなんか嫌じゃない……?」
「じゃあこのまま死ぬか?」
「それも嫌だけど」

物騒な話になっているが、実際生死のかかった話なので致し方ない。マッチングアプリに登録してサキュバスらしい行為に及ぼうというだけでどうしてそのような流れになるのか、と生態に詳しくないものは首を撚るだろう。実際、当事者と研究者、加えて人間以外の診察を行う医者くらいしか聞いたこともないだろう。
実は、サキュバスは25歳までに性行為を経験しなければ、死亡するのだ。勿論、25歳。迎えた瞬間に死亡するというわけではない。25歳までに性行為を経験していないと、とある身体維持に必要な物質が枯渇して5年以内に8割が死亡する、というのが正しい。勿論残りの2割も10年生存率は0という無慈悲さである。この物質は母親の胎内にいる間、胎盤を通して二次性徴を迎えて暫く経つまでの量を与えられている。大昔のサキュバスであれば、その物質が枯渇する前に性行為を行っているのが普通であり、本人達もそれが枯渇すると死亡するなぞ考えもしていなかった。しかし、現代社会で人間と共存する為の法律や結婚年齢によって、30歳前後のサキュバスの死亡率が目に見えて高まっていった。原因を解明するために研究が行われた結果判明したのが、上記の事実である。尚、その物質が性行為のどの部分をどう使って生産されているのか……といった方面は現在も研究中で詳しいことは判明していない。だが、恐らくこれが伝承で言う精気を吸う、に当たるものだろうと解釈されている。そんな夢も何もない事実であるが、ともかく25歳がラインである、ということだけはサキュバスは義務教育時代から教え込まれている。現代の義務教育では、その個人の種族によって内容の違う種族技能という授業項目が存在する。サキュバスなどの催眠能力のあるものはそれの制御をここで学ぶ。
……そうやって教育を受けていようとも、性行為自体は相手が必要なのでどうしようもないのだが。

「ならほら、頑張ってプロフィール埋めていくしかないですよ。……ああ、でもサキュバスという事は伏せておいた方が無難でしょうね」
「分かってる……」

悲しいかな、サキュバスという種族だけ見て偏見まみれでコンタクトを取ってくる男というものは現代にも存在している。風俗店でもないのに、特殊なことが出来ると思っている輩は度し難い。このようなアプリを使用するのであれば、誰でも閲覧可能なプロフィールに記載するのは避けるというのがサキュバスの常識だ。世俗も履歴書等で種族の記載を強制するのは如何なものかなど議論が盛んである。

「うーん……これで、これでいい?」

男が悪戦苦闘すること暫く、なんとか形になったらしくスマホを3人へ差し出す。3人はスマホを回し見して、内容を確認した。

「まあ、いいんじゃないか」
「無難だが、結局は運もある。待つしかなかろう」
「ですねえ。メッセージが来たら教えて下さいね」
「うん……。どうせ一人じゃ返事も返せないし……」

そうして4人は立ち上がり食堂を後にした。




『なんかヤバいのがきた』

そんな一言と共に男――ウェーブがグループチャットへスクリーンショットを添付したのは、3日後の事であった。
貼られたスクショは先日のマッチングアプリのものだが、勿論盛りに盛った例のプロフィールではなく、スーツを着た男性の写真が使われたものだ。つまり、あれを見てメッセージを送ってきた剛の者のプロフィールということになる。

『オッサンだがまあ、悪くはないんじゃないか。寧ろお前、同世代くらいだと駄目だろ』

そう発言したのは、あの場にいた魔法使いの男だ。名前はジャイロという。

『同意する。同世代でよければ大学内でとっくに見繕っていただろうからな』

こちらの発言は機械人のナパームである。

『これ凄いね。ロマンス詐欺でもこんな数字出してこないでしょ』

発言とともに、スクショをトリミングしたものを貼り直したのは、先日いなかったグラビティーという名のピクシー、つまり妖精だ。その彼が貼った画像は、上記のプロフィールの年収の部分である。そこに書かれているのは「5000万以上」の文字だ。古のキャラクターにあったあり得ないIQのような金額である。これで女性が引っかかると思っているなら阿呆であるし、本当だとしても馬鹿のようにしか見えない数値だ。

『これはヤバいな』
『職業欄からするとなくもない、とは思われるが、非現実的すぎる』

職業は外資系と書かれているので、実力があれば嘘ではない……のだろうが、そんな勝ち組男性がマッチングアプリを使用するのか、という疑問が残る。

『一応このアプリは年収証明書提出必須の筈なので、嘘ではない筈なんですが』

このアプリを選んだ張本人、クリスタルがそう返す。何故かは不明だが、このような事に詳しいのである。

『嘘くさすぎるんだよな……。あとさ、どういうタイプがいいとかそういうの、全然掠ってなくない……?』

プロフィールから要約すると「控えめで頼ってくれる女性」がタイプらしいことが伺える。大量のアドバイスと横やりの末に完成したプロフィールからは、かなり好意的に見ればそう取れなくもない……のかもしれない。

『いやまあ、現実のお前はそうじゃないのは俺達がよく知ってるが、あっちはプロフィールと写真だけしか見てないんだぞ』
『ある意味、控えめではあるけどね』
『とりあえず、文面はこんな感じで返事をしましょう』

続けて添付された初回メッセージのスクショへの例文をクリスタルが出す。勿論それは、このまま会話のキャッチボールを続けてデートまで行けということだ。

『デートまでなる? 俺と?』
『あちらは結構前のめりな感じがするので、行けると思います。良いじゃないですか、年収5000万』
『いや……そこはどうでもいいかな……』

本気で恋人を作りたいだとか、結婚を見据えてアプリを使っているわけでは決してない。本当の本当に、命がかかっているだけなので、年収5000万はウェーブにとってあまり好感度に変換される要素ではない。勿論金がない相手よりある相手の方が良い、という感覚はあるが、そうでなければ嫌だというような強い希望は持ち合わせていない。そのような他人の求める強い何かがなかったからこそ、こんな事態になっているとも言える。マッチングアプリに登録しても、自分から誰かにコンタクトを取らずに待ちの姿勢であったのもそのせいだ。そんな自分へメッセージを送ってきた、という点では少し興味が湧いたかもしれない。勿論それ以上に疑問符の方が多いが。
ともかく、クリスタルの用意してくれた例文を元に返信をする。返事はウェーブの想定よりも早かった。見立てどおり、かなり前のめりのようである。メッセージの主は、まさか自分の送った文面がグループチャットで共有された挙げ句、意中の相手ではない者が大半を考えた返信をされているとは思うまい。
そんなこんなでメッセージのやり取りを続けること約一週間、

『週末、デート、決まった』

ついに一人のサキュバスの命運がかかったデートが、決まったのであった。




さてその当日、何の変哲もない普通の土曜日を迎えた。天気は程よく晴れ、暑すぎず寒すぎず。何事もほどほどで、恐らくこのようなのが丁度良いのだろうとウェーブは思った。写真を用意した時以来の女性姿に、いつもの友人達に選んでもらった「男ウケのいい清楚系っぽい」ワンピースを纏っている。選ぶ際にウェーブ自身の好み等も聞かれはしたが、正直自分の好みなぞよくわからないというのが本音だ。下手に男女両方の姿を持っているが故に、どちらにもあまり恋愛的、性的に興味を抱けなかったのだ。そういう意味でも、自分はサキュバスらしくない、という認識になる。こうなのにどうにかなるのかな……などと考えつつ、少々早めに待ち合わせ場所、駅の出入口に辿り着く。きょろきょろと辺りを見回すと、幾多の中から一人、目が合った。

「あー……エヌ、さんです、か」
「なみみさん?」

声に出して呼ばれると凄い恥ずかしいな、とウェーブは思った。あのようなアプリで必須だが一番困る、ニックネームというやつである。正直相手のように恐らくイニシャル由来のような、シンプルなものでいいと思うのだが、それは盛大にダメ出しを食らってしまったのでこうなってしまったのだ。

「はい。あの……ええと……」

近づいて、その姿をまじまじと見る。ウェーブ自身と違って、プロフィール写真どおりの、年齢より少々上に見えなくもないが、普通に偏差値としては中の上くらいはありそうな男性だ。これで5000万がついてくるんだから普通にモテてるだろうし俺を選ぶ理由なくない? とまたウェーブの中の思考ループがそこに着地する。対するエヌもまじまじとウェーブを見てきているので居た堪れない。見れば見るほど、写真詐欺が加速するだけだ、としか思えないからだ。

「すみません、不躾でしたね。……その、なみみさんが、とても」

――可愛らしいので。
ウェーブは目を見開く。視線の先のエヌの顔は、到底嘘を言っているようには見受けられない。

「な……っ」

これは本当にヤバいのを引き当てたのかもしれない。直感が走る。何がどうヤバいのかを言語化は出来ないが、そんな何かがウェーブの脳内を走る。
けれど、だからといって今日家を出るまでにかかった精神的負担と、興味と心配で付き合ってくれた友人達を思うと――ここまで来て逃げる、というわけにもいかない。それに何より、文字どおり命がかかっている。既にもう内心パニック状態だが、どうにか広角を持ち上げて笑顔を作る。

「あ、りがとう、ござい、ます」

少々頬が熱い気がしたが、それは多分今の行動があまりにも自分らしくないからなのだろう、とウェーブは結論付けた。
――肝心のデートの内容は、というと初回なので極々普通の移動してランチをし、少々ショッピング程度のものである。けれど、ランチの店は普段の平凡大学生であるウェーブには縁遠いオシャレな、そして値段の高そうな店であった。実際いくらなのかはウェーブには分からない。なにせメニューに書かれていなかった。伝票も最初からエヌの方に渡され、彼はクレジットカードを出してサインをしていた。つまり奢られた。ちらりと見たカードの色からして、年収5000万は本当なんだな……とウェーブは少々顔を引きつらせながらコーヒーを飲んだ。
その後色々な店を回ったが、普段ファストファッションしか着ていないウェーブでも分かるブランド店が多く、更にはどうも何かしらのプレゼントをしたそうな雰囲気があったので全力で回避した。何かと言われるパパ活女子とやらはこういうのを当たり前のように受け取っているのか……と思うと、別次元の生き物過ぎて目眩がする。ともかく、ウェーブからすればエヌから食事以上の――本当はこれもどうかと思うのだが、お礼を言って奢られておく方が絶対に良いとの友人達からの有り難いアドバイスである――借りのようなものを作るのは避けたいのである。なにせエヌには、出来ることなら特大級の「ワガママ」を聞いてもらわねばならないのだから。しかし、それをどう切り出せば良いのかが分からない。

「……大丈夫ですか?」

エヌの声に顔を上げる。デートで上の空とは、印象の悪いことをしてしまったと反省する。

「大丈夫です」
「そうですか。……ですが、少々連れ回しすぎてしまいましたね。少し座りましょうか」

二人で手近な喫茶店の扉をくぐる。チェーン店とは違う雰囲気のあるそこを選ぶあたり、エヌが自分とは全く違う世界の住人なのだとウェーブは思った。勿論、それくらいお互いのプロフィールを比較すれば簡単に判明することではあるが。そんなエヌは、何故か少々肩を落としているように見える。

「あの、エヌさん」

長くて短い、デートの時間を思い返す。エヌは本当に、出来た男性だと感じた。会話の話題も多いし、話し上手で聞き上手だ。会話のキャッチボールが人より下手だという自覚のあるウェーブにすらそう思わせるのだから、相当だ。そういうのが出来てこそのあの年収なのだろう、恐らく。
対して、自分はどうだ。そもそも普段過ごしていない女性の姿で、何もかもぎこちない。

「はい」
「その……なんというか、今日は楽しかったです」

ランチとショッピングをして、お茶をしている。恐らく、ここを出たらそのまま駅へ向かって解散となるだろう。その後が続くか、と問われたらウェーブには自信がない。勿論、明らかにマイナスの感情を持たれているわけではないのはなんとなく感じ取れる。けれど、それが合格ラインを越えているような自信は全くない。

「アプリでも、言った……言いました、けど。こういうのは、初めてで」

男女問わず、恋愛とは縁のない生活を送ってきた。恐らくサキュバスの身でなかったのなら、そのまま生涯独身の上に未経験でいるのではないか、という予感がする。普段共に過ごしてくれる友人達が皆変わっているだけで、他人と関係を築くのにどう考えても向いていない性格をしている自覚がウェーブにはあった。感情を表すのが下手くそで、間が悪いことばかりする。この数時間も、それが露呈しないように気を張りっぱなしだった。

「だからその、どうしたら、どう言ったらいいのか、ほんとわかんないんですけど……」

言葉が全く浮かばないし繋がらない。これを急かしもせずただじっと待ってくれているエヌは相当のお人好しだ、とどこか冷静にパンク寸前のウェーブの脳内が判定する。

「エヌさんは、とても良い人なんだと、思います。だから……」

だから、ウェーブは言わなければならない。

「……お、私の、あのアプリ使ってた、本当の理由には、巻き込めない……。ごめんなさい」

本末転倒にも程がある。人格を知らない相手も怖いが、人格を知っても違う意味で怖くなってしまう。お願いするのも、お願いしないもの同じくらいワガママだ。無意識のうちに伏せてしまった顔を上げるのが怖い。

「なみみさん……」

名前を呼ぶ声が、困惑しているが責めるものではないのが余計ウェーブの罪悪感を煽る。

「そもそも、あの、黙ってたことが、あって。……人間じゃ、ないんです」

早口で言いながら、自身にかけていた初級変身術を解く。人間以外の種族特徴、角や翼などは、場所によっては物理的に邪魔になることが多い。勿論それらにある程度対応した建築をするよう法律にはあるが、そこまでやっていられるかというのが実際である。よって、その身体的特徴を隠す、または相手と身体サイズを合わせる初級変身術は全種族共通必修科目だ。
ウェーブのそれが解除されると、現れるのは側頭部の一対の角と背中の小さな翼だ。ワンピースの下に尻尾も現れているが、座っている今は見えない。ちなみに、この翼や尻尾を衣服を着用しているまま露出したら大変なことになりそうな予感がするが、これらのものは基本的に魔力由来の、つまり実体があるけどないという大変都合の良い構造をしている。なので服の上に突き破ることなく翼が存在できるのだ。

「サキュバス、なんです。……こんな、こういうの、向いてない……」

遊ぶなら良いけれど、それ以上には難色を示される。そんな生き物が淫魔と呼ばれる種族だ。やり取りの中で誠実に良い人と出会いたい、出来れば結婚も見据えて、いうスタンスを示していたエヌには一番、向いていないだろう。性格も種族も、何もかも。
意を決して、顔をゆっくり持ち上げる。正面のエヌは驚いたような表情をしていたが、ウェーブと視線が合うとそれを引っ込めた。

「なみみさんは、優しい方ですね」
「えっ」

ウェーブが目を見開く。一体今までの発言のどこにそう感じる要素があったというのだろうか。

「私に種族を隠していたこと、それと何かの事情があってこの場に来られたこと。この2つが不誠実だから謝られた、のですよね?」
「う、はい。そうです」
「では、それらを私が一切気にしないので今後もこうして会って欲しい、と言ったら?」
「……え」

駅での直感は、正しかったのかもしれないとウェーブは思った。

「一切って……」
「種族も、事情も。ご様子からすると何か困ってらっしゃるのでしょう?」
「はい……」

確かに困っている。それはもう文字通り命がけで。
だが、こうまで言われると逆に頼みづらいような気がウェーブはしてきていた。

「私に出来ることでしたら、何でも仰ってください。……つまりそうしたい程、貴方とお付き合いがしたい。正式に私の恋人になっていただきたいです」
「なっ……?! なん、で」
「何故、と言われると……正直納得いただけるような理由を提示できる自信はないですね」

ただ、とエヌが言葉を続ける。

「アプリでも、駅でも、一目見た瞬間に素敵だなと思ったんです。……結局、人間関係とはそういうものではないですか? 理屈よりも感覚、もっと貴方のことを知りたい。好きになりたいと感じるかどうか」
「それは、……そうかもしれないですけど」
「勿論、私がそう思っているだけで、なみみさんがどう思うかはまた別の話になります。貴方はやはり、私と今日限りですか?」
「……」

ゆっくり息をする。未だ頭の中は混乱中で、全く落ち着く気配はない。けれども、これはここで答えを出さねばならないのだろうと、ウェーブは思う。恐らく考える時間が欲しいと言えば、エヌは一旦引いてくれそうな気はする。だが、それを選ぶのは断りと同義だろう。……そこまで考えて、ふと気づく。

「多分今、あんまりちゃんと判断ができる状態ではないんだろうなって自覚が、あるんですけど」
「はい」
「それでもこう……他の人とまた一からやり取りしてここまで行けるかって言ったらもうそういうのは無理だな……っていう、色々面倒になってきた気持ちもあって。勿論、それだけが理由ではない、ですけど」
「はい」
「……多分、隠したまま今日終わったら駄目だなって思ったのも、きっと、なんか……こう、お、私が優しいとかではなく……うん、きっと、どれくらいか、どういう意味かはともかく、エヌさんのことを、嫌いじゃないからだと、思います」

そこまで言い切って、もう一度息をする。エヌは何も言わず、続きを待っている。

「なので、うん、はい。……今日限りでは、ない、です」

酷く頬が熱い。問いかけに答えただけだと言うのにこれは流石にちょっとどうかと思う、とウェーブは自身に突っ込む。まだこれは、通過点にすぎないというのに。

「なみみさん」
「う、ウェーブです。名前」
「はい、ウェーブさん。私は、ネプチューンといいます」
「ネプチューンさん……」

名前を呼んだだけだが、エヌもといネプチューンは嬉しそうな表情を作る。
……この流れで切り出すことではない。ウェーブにもそれくらいは分かる、のだが。

「……その、私がアプリを使った、理由なんですけども……」

本番はここから、である。




「――本当に、私で良いんですか?」
「駄目だったら、そもそも言ってないです……」

この短時間で何度も行ったやり取りである。
あの後なんとか理由を説明――とは言っても、説明の殆どは詳しいサイトを見せて済ませた――したウェーブは、ネプチューンと今、ホテルのベッドの上で向き合っている。
20歳を越えた場合はなるべく早期の経験が求められるので、付き合ってンヶ月経ってからとかそういうことは言っていられない身なのである。因みに、この初回は元来の性別がどちらであれ女性態で行った方が良い、とされている。なのでウェーブも女性の姿で相手を探していたのだ。

「ネプチューンさんこそ、……大丈夫ですか」

やはり頬が熱い。シャワーは最後に冷水を浴びたが、頬だけではなく全身が熱いような気がする。

「大丈夫、とは?」
「その……私なんかで、出来ますか……っていう」

一応、サキュバスの特性として性別どころか身体特徴もある程度自由に変更が可能である。性格上の問題点も多々あるが、そもそもサキュバスとしてかなり魅力がない外見なのだろう、というのが本人の認識なのでネプチューンの好みに合致するよう変化すべきか、とウェーブは少々悩んでいた。だが、あまりにも通常の状態とかけ離れている変更は、上級魔術に匹敵する魔力消費と維持への精神力が問われるもので今のウェーブにそれをするような余裕はないに等しい。それでも、と思ってしまうのは何故だろうか。

「それはご心配なく。……貴方はとても、素敵な方ですよ。その貴方の最初の男になれるのは、大変光栄です」
「うーん……?」
「……触れても、良いですか」

ピンときていない様子のウェーブに目を細めながら、ネプチューンが問う。小さく頷くと、ネプチューンの右手がウェーブの左手に重ねられた。今から行うことを思うと、随分と些細な接触だ。それでも、ウェーブからすれば大きな意味のある、触れ合いとなる。現にまた、身体の温度が上がったような気がする。

「怖いですか」
「……少し。でも」

ここまで来たのだから、もう後には引けない。引くつもりも、もうない。自由な右手をゆっくりと持ち上げて、ネプチューンの頬に触れる。そのまま引き寄せるようにして一瞬、唇を合わせた。身体を引くと、ネプチューンが呆気にとられたような顔をしているのが分かった。何か言いたげにしたが、結局何も言わず天を仰いでいる。

「え、あ、だ、駄目……だった……?」
「……。最初で光栄だと言いましたが、訂正します」

ネプチューンが優しく、けれど強めにウェーブの身体を押し倒す。

「私が、最初で最後の男です。貴方を他の誰かに、触れさせたくない」




ネプチューンの所作は、ずっと優しく、ゆったりとしていた。それは恐らく、ウェーブを只管に気遣ってくれたのだろう。思わず逃げ出すように身を捩っても、嫌そうな素振りは一切見せなかった。

「ぅ……んっ、多分、もう、だいじょ、ぶ」

自分からこんな、蕩けた声が出るなんて思わなかった。まるで自分らしくない声で、必死にネプチューンに訴える。

「……少しでも痛みがあったら、ちゃんと言ってくださいね」
「うん……」

充てがわれた熱が、ゆったりと沈むように入ってくる。ネプチューンはああ言ったが、ウェーブの身体に痛みなぞ全くない。ただもっと、深く欲しいとだけ思う。
――ああ、そうだ。当たり前じゃないか。溶けていく思考の中で、ウェーブは気づく。
このような――他者との性交渉でしか作れない物質がないと死んでしまうような難儀な――生態の生き物が、それを嫌うような嗜好をしているわけがない。そうであるなら、大昔に絶滅しているに決まっている。身体は正直とは、正にこのことだ。

「あぁ……っ、んぅ……」

限界まで飲み込んだものが抜ける感覚も、また押し入る圧も、何もかもが気持ちいい。そういう風に出来ている。そうでなくとも、きっとこれを気持ちいいと思っただろう。理由を思いつくような正常の思考はもうウェーブには残っていないが、それだけは分かった。
首に回した腕だけでは足りなくて、両足をねだるように巻きつける。

「っ、うぇーぶさん……」

切羽詰まったような声を、ネプチューンが上げる。なら、早く吐き出して欲しいとウェーブは思う。大きく抜けたものが深く打ち付けられ、

「あ、ああっ……!」

視界が白く爆ぜた。薄い膜越しに、それが自分だけではないと理解する。
お互い肩で息をしながら、ウェーブはネプチューンを見上げている。

「ん……」

こんな、きもちいいこと、いっかいじゃ、たりない。
自身を抜こうとしたネプチューンの肩を押す。そのまま身体を起こすと、

「……え」

ネプチューンを、逆に押し倒した。押し倒されたネプチューンは、意味が分からないといった顔でウェーブを見上げている。

「……もっと」
「ウェーブさん?」
「もっと、ちょうだい」

咥え込んだままものを、更に締め付ける。下からの悲鳴のようなものは、もうウェーブの耳に届いていない。ただ、この甘い快楽をひたすらに貪りたいという欲求だけが、全身を突き動かす。

「もっと、ね……もっと、ちょうだい」

その蠱惑的な微笑みに抗える男なぞ、どこにもいなかった。




――そして、物語は冒頭へと戻る。
願い虚しく、ネプチューンの意識が戻る様子はない。涙をこぼしながら、ウェーブは義務教育時代に頭に叩き込まれた呪文を詠唱する。サキュバスが学ぶ種族技能の中でも、ある意味絶対に寸分の狂いなく使えなくてはならない魔術だ。
魔力を纏ってほんのり光る両手の指先を、それぞれ胸の指定位置へと置く。そのまま詠唱の最後、発動を意味する単語を唱えた。発動するのは微細な電気、つまりこれは、自動体外式除細動器、通称AEDと同じ動作を起こす魔術である。

「……」

長いようなたったの一瞬、固唾を飲んで見守る。もう一回か、と手を離した瞬間、ネプチューンの瞼が震えた。

「あ」
「……うぇーぶ、さん?」
「よ、良かったあ……!」

ぼろぼろ涙を流しながら、ウェーブが上半身を起こしたネプチューンに抱きつく。ネプチューンはといえば、一体何が起こったのかよく分からないままである。

「ごめん、ごめんなさい。こんな、こんなことになるって、思わなくて……!」
「こんなこと」
「そういうの、あるとは、知ってたんだけど。自分がするとか、思わなくて」
「それは……?」

段々はっきりしてきたネプチューンは、何となく状況を理解しつつある。だが、流石にそれはないのではないか、という疑念からウェーブの言葉を待った。

「腹上死とか、だって、そんな……本当に、あるとか、思わないじゃん……!」
「ああー……」

予想的中、想像どおりとんだ失態を晒したことを、ネプチューンは理解した。

「ごめんなさい。ごめんなさい……こんな、よくしてもらったのに……」

べそべそ泣きながら、ウェーブはひたすら謝罪をしている。ネプチューンとしては、悪いのは不甲斐ない自分あって、ウェーブに非はないのでは? という思いである。初めての相手をちゃんと導けなかった、サキュバスという種族に関して正しい知識を持ち合わせていないまま、臨んだ自身が悪いのではないだろうか、と考えだ。そう説明するが、ウェーブは子供のように首を振るだけである。先程の妖艶な振る舞いと噛み合わない、そんな仕草だ。

「もう謝らないでください」
「でも……」
「私は大丈夫ですから。貴方こそ、大丈夫ですか」
「大丈夫。大丈夫だから、なんか、怖い……」

ウェーブはウェーブで、自身の生態に困惑しているのだろう。ひどくアンバランスな、素敵な生き物だとネプチューンは思う。

「怖いなら尚更、私だけにしときましょう。ね?」
「……。アンタ、やっぱり大丈夫じゃないだろ」

動揺からか、ウェーブから敬語が抜ける。それも良い、と思ってしまう辺り、確かに自分は大丈夫ではないのかもしれないとネプチューンは自嘲する。だが、だから何だと言うのだろう。結論は、ずっと変わらないのだから、やはり問題はないのだ。

「何でも構いませんよ。貴方なら、ええ」
「……」

呆れたように、ウェーブがネプチューンの肩に頭を預ける。

「これからも、うん、よろしく……お願いします……」

かくして、一人のサキュバスの命は救われたのであった。社会的な意味でも。
――尚、この後もしょっちゅう腹上死からの心肺蘇生コンボが決まる事を、今の二人はまだ知らない。