白黒的絡繰機譚

リスタート

撮影を終えた後程、走りたくなるのは何故だろう。ランナーズハイなんて言葉の通じない、身体が火照ってもそれは只管に負荷がかかるだけで、碌なことがない。そう、今日はもう走らず、帰ってメンテナンスを受けるべきだ。分かっている。それでも足――いや俺の場合タイヤだろうか――が向いてしまった。

「おや、君は」

サーキットには先客がいた。遠目からも分かるその特徴的なシルエットの持ち主は、俺を見るとどこか嬉しそうな響きで声をかけてきた。

「……どうも、初めまして。まさか貴方みたいな方がここにいるとは」
「その言葉、そっくり返すよ。……ニトロマン」

多分笑っている。世界的なレーサーのターボマンが、俺に。分野は違えど、高速で駆けるロボットで知らない奴なんざいないだろう。
俺を知っているような口ぶりに、触れた方が良いのかコンマ秒以下考えて止めた。ここのスタッフは皆よく言えば気さく、悪く言えばお喋りだ。そこから聞いた名前を検索しただけ、程度だろう。
曖昧に笑って、さてどうしたものかと思案する。あちらは俺のように来たばかりというわけではなさそうだが、かと言って走る様子も、帰る素振りも見せない。別に見られて恥ずかしい走りをするつもりはないが、かと言って見られるのも落ち着かない。

「よく来るの?」
「あー……まあ、偶に。撮影後とかに」

そう、と短い返事の後、なんとも言えない沈黙が流れる。そして、

「君さ、それは足りないんだよ」

ターボマンが言った。やはり笑っている。多分。
人間を模した頭部パーツを持つロボットといえど、その構造には天と地ほどの差がある。ターボマンのそれは、眼球や唇を有していない、液晶に目のような表示をさせ、スピーカーから声が出る。
液晶の表示が弧を描いているわけでもないのに、俺は笑っていると思っている。何故なのだろうか。初めて見た、初めて会ったのに。

「――あの時みたいな、熱のままに走りたくはない? ニトロマン」

あの時の、熱のまま。
――思い出す。初めてなんかじゃない、出会っている。会話をしたのは初めてだけれど、俺は、熱に浮かされている間に、あの悪の巣窟で、確かに見た。消されたはずの、許されたはずの、要らない記憶が、メモリに溢れていく。
熱で精神リミッターを、改造で身体的リミッターを外し、武装を与えられ、安全装置のない一回限りの殺陣を演じた。その万能感を、高揚感を、俺は覚えている。
違う。俺は、これは俺じゃない。俺であってはいけない。俺は、そうでないからこうして表舞台に立っている。
知っているから燻っているのか。一度ギアを上げた走りを知ってしまったら、それ以外はお遊びのように思えてしまうというのか。そんな筈はない。それだけは、あってはいけない。だから消した。消せなかった。封じられていた。
……でも、この、このロボットは? あってはいけない記憶を持ったまま、輝かしい世界の頂点で朗らかに笑い、手を振って、音速で走る、ターボマンは?
返事なんて出来ないままの俺に、ターボマンが笑っている。変わらないそれは、

「これからも仲良くしようぜ、ニトロマン」

けれど全く違う顔で、嬉しげに俺を見つめ笑った。そう、笑っていた。とても、嬉しげに。