白黒的絡繰機譚

水底へ導くのは

ホラー風味

海底を歩く時は気をつけている。暗くて押しつぶしてくるそこは、もし動けなくなったら誰にも助けてもらえない。そもそも、俺の身体自体そこまで頑強に作られているわけでもない。分かってる、理解している。けれど、何故か深い深い、海の底へ足が向く。止められない。

「――」

どうして、だろう。別に目的を持って歩いているわけでもないのに、何故かそちらに向かわなければいけない気持ちになる。足を止めても、何故かまた一歩踏み出している。前か後ろか、上か下かも分からない水を、底を、踏み越える。何も掴めない腕を伸ばす。その先に何かあるのか、何もないのかなんてわからないのに。
――数値は、まだ大丈夫。まだ進める。足の下にはまだ何かがある。底はある。踏み外していない。俺はまだ、向き直って上に、空に向かっていける。大丈夫だ。音はしない。光はない。大丈夫だ。まだ、きっと。

「――」

音はない。あるわけがない。でも、何か聞こえたような気がする。ゆるりとそっちに、足を向ける。底はある。ここは大丈夫。光はない。音もない。でも大丈夫。数値には問題がない。踏み出す。底はある。まだ、底はある。

「……誰?」

音はない。でも誰かが俺を呼んだ気がする。前に。向こうに。下に。また一歩踏み出す。光のない底で、何かが、誰かが呼んでいる。そう、呼んでいるから、俺は歩いているんだ。前へ。下へ。きっと、恐らく……どこへ?
ここはどこだろう。数値は、問題ないはずなのに。座標は、そんなに離れていないはずなのに。光はない。音はない。数値には何もない。でも、まだ、もう少しだけ下に、きっと、誰かが。

「――あ」

一歩踏み出す。底がない。底は、もう確かずっと前からない。俺は、どこを、何を、誰を目指して?








海というのは怖い場所だ。いや、自分はちっとも怖くないのだけれども。なにせ私は、いや私達はこの星の理の外からやって来たのだから。外から見れば、なんということもない。暗くても、無音でも、何も問題はない。

「あら……」

そんな、普段泳がない深い場所で見つけたのは、この星の理に縛られている一体のロボットだった。勿論名前も、どういう人格かも知っている、つまり知り合いだ。そんな彼が、ゆっくりと歩いていた。どうやら向かう先があるように見える動きだ。その先を、じっと見る。

「ウェーブ、ウェーブさん」

名前を呼ぶ。声と電波と、両方で。問題なく届く距離だけれど、反応は一切ない。止まることなく、進んでいる。これは良くないなと思って、水を蹴る。
――この星の理で作られたロボットは、この星の理の外の「  」を理解できない。それはもっと色々な名前があるけれども、私達の知っている、それのみを的確に言い表す言葉はこの星にはない。どの時代の、どの言語にも。そして、それらをまだ理解できる人間と違って、ロボットには区別がつかない。恐らく彼は気づいていないのだ。向かう先にあるものが、人間など比べ物にならないほどに良くないものなのだと。

「――駄目ですよ」

どうにか追いついた彼を後ろから抱きしめるように引き寄せて、そのやや虚ろな目の先に向かって告げる。勿論そこには闇しかないが、本当は「  」がいるのは私には分かっている。だから言う。彼を連れて行っては駄目だと。

「……ね、ぷちゅーん……?」
「ええ、私です。駄目ですよ。散歩は楽しいですけど、ちゃんと目的地は最初に決めておかないと、ね?」

そうしないと、またきっと彼は歩いていってしまう。底へ、底ではない、どこかへ。彼では呼べない「  」がいる場所まで。
……彼を連れて行かれては困るのだ。だって私が連れて行くと決めているのだから。
ゆっくりと浮上していく私達を、底の「  」は恨めしそうに眺めていた。