白黒的絡繰機譚

結婚を成功させるためには、いつも同じ人と何度も恋に落ちる必要がある

一般リーマン×一般フリーターな現パロ。旋回と水晶もいます。

一目惚れ、というものに縁がある人生だとは思ってもいなかった。
そんなもの漫画とドラマの中だけのものだって、そう。いくら見た目が良くても、それで目が留まっても恋愛感情とは別じゃないか。男だとしたら、多分それって性欲100%じゃないかな、と思う。あともしその辺がクリアされてても、それって気の迷いなんじゃないか?ってなる。恋愛自体そんなもんといえばそうなんだけど。
そう、気の迷いだと、思うん、だ、けど……。

「は?」

突然腕を掴んできた知らない男を見上げる。会社帰りのリーマン、みたいな。俺より結構年上の、普通っぽい感じに見える。……普通のリーマンは、突然すれ違った他人の手首を掴んで、

「結婚してください」

……とは言わないと思うけど。

「……。えーと、人違い」
「違いません。貴方です」
「じゃあ言い間違い?」
「結婚の申込みを間違うなんてしませんよ」
「ひえ……」

どうしよう、ヤバい人に捕まってしまった。振り払いたいけどガッチリ掴まれている。普通っぽいの見た目だけだった。雑踏の中で二人立ち止まっているからか、周りの視線もなんだか痛い。すごい逃げたい。どうしよう、どうしたら手離すくれるんだろう。ぐるぐる、頭は回るけど何にも浮かばない。俺の手首を離さない男はニコニコ笑っている。怖い。

「……ああ、ここは道の真ん中でしたね」

やっと気がついたのか、男が俺の手を引いて道の端へと避ける。離してはくれない。

「ここだと落ち着けませんよね。……どこか座って、お話ししましょう?」

俺には、頷く選択肢しか残されていなかった。




「……ちょっと待て」

なんかずっと変な顔で話を聞いていたジャイロが口を開いた。

「え、何?」
「俺達はお前の恐怖体験を聞きに来たわけじゃないんだが?」

ジャイロの横のクリスタルも同意するように頷いている。
うん、まあ、これだけなら確かに恐怖体験だ。当事者の俺もそう思ってるし。

「でも、最初から話せって言うから……」
「そりゃそうなんだが。まさかこんなヤバい話が飛び出すなんて思わないだろ」

うん、そうだよなあ。俺だって正直未だによく分かんないな……と思ってるし、なら第三者が納得いくわけもない。でも、実際事実なんだから仕方ない。

「ここで助けてもらったとかそういうのでは……」
「ないんだよね。漫画じゃないから」
「今までも十分漫画とかフィクションの話だろこれ」

それはそう。簡潔に言えば「道ですれ違った人にプロポーズされた」だから、フィクションじみてる。
普通なら流石にそれは壺とかイルカの絵とか買わされたり、変な集会に連れて行かれるやつだ。でも、そんな展開にはならなかった。




「……」

味の分からないコーヒーでなんとか多少冷静になれた、と思う。そして小さなテーブルに置かれた二枚の紙を見る。普通ならそれってヤバい契約書になる展開だけど、俺の前にあるのはそれよりずっと小さなものだ。そう、免許証と名刺。

「駄目ですかね」
「駄目って言うか……」

駄目とか駄目じゃないとか以前に、どう反応していいのか困る。いや、不審者ではないという証明に出してるんだろうけど。これだけじゃ信用できないって言ったら、保険証とかも出てくるんだろうか。本当に出されても困るから言わないけれど。
どっちも本物だとするのなら、やっぱり知らない人で、ちゃんとした会社に就職してるってことになる。ほんとなんで俺これ見る羽目になってんの?

「とっさのことで釣書なぞありませんので、これくらいしか……」
「はあ」

釣書ってなんだろう。分かんないけど、今重要なのはそこじゃないだろうな。
もう手首は自由になっているけれど、なんだか逃げ出せない雰囲気になっている。

「あ、明細ありませんけど通帳なら」
「いや、見せられても……」

多分俺のとは全然違う桁なんだろうなあ、と思いつつ拒否する。
……あー、なんとなく分かってきた。あれって本当に本気なんだ。

「あの、ネプチューン、さん」

免許証と名刺に書かれている名前を呼ぶ。呼んだだけでなんか笑顔なんだけど。怖い。

「はい」
「……なんで俺?」

これが詐欺とかなら、もう囲まれて親指に朱肉つけられているところだと思う。
でも今の状況って、どっちかっていうとあっちが勝手に銀行印取り出してる感じなんだよな。

「さっきのが本気なら、俺には分からない」

何もかもが、分からない。名前や勤務先や役職が分かったって、それだけは分からない。あっちは俺の名前すらまだ知らない筈で、自分のと引き換えに要求すらしない。変な、変わった、怖い、でも、聞かないで逃げるのは、ないかなって。自分でもよくわからない、馬鹿な行動だとは思う。分かんなくて、怖くて、おかしくなった。……のかもしれない。
言いながら伏せてしまった顔を恐る恐る上げると、目が合う。

「一目惚れ、です」
「……」
「貴方である理由は、その一言だけ。貴方以外では駄目な理由も、それ一つだけです」
「……」
「それでは、駄目でしょうか」

一目惚れ、なんて現実離れした言葉を、こんな風に言う人は初めて見た。気の迷いにしては本気っぽくて、本気にしては夢みたいな、そんな響きだ。ただ、言われてるのは俺だから、全然似合わないんだけど。

「駄目って言い切る権利は、多分俺にはないんだけど……」

不信感は、正直ある。だってやっぱり、怪しい何かの勧誘みたいな流れじゃん?

「でも、流石に、その、結婚ってのは」
「……」
「もっとこう、積み重ねて? 判断するものじゃないかなあって」

それまで、マトモに考えたことなんてないけど。相手もいなかったし。でも今、突然その選択肢だけ与えられても、さあ。そんな、答えにも何にもなっていないことを呟いて、反応を待つ。

「……それは、今は拒否するけれども、将来は可能性がある、と捉えても良いのですか」
「え。……あー、うーん……もしかしたら……? いや、俺は別に同性愛者とかじゃないんだけども……」

問い返されて、自分の口に出したことを思い返す。そう、何故か俺は、完全な拒否はしていなくて。自分でもどうしてか、分からないんだけど。もうぬるくなったコーヒーのカップの温度が、やっと手に伝わってくる。

「私もそうなんですけどね。でも、貴方を見た瞬間に貴方しかいない、と」
「それだけ?」
「ええ、はい」
「……こうして喋ってて、幻滅しない?」

一目惚れって、見た目に惚れるってことだと、思う。なら、自分で言うのもアレだけど、万一そうだとしても喋ったらやっぱナシでみたいになる……と思うんだよな。俺がどうしようもないってのは、俺自身が一番よく分かってる。でも、何故か不思議そうな顔をされた。

「いいえ、ちっとも? 寧ろ更に愛おしさが募っていくくらいです」
「……」

ああ、やっと分かった。この人、だいぶ変なやつだ。なら、警戒しても仕方がないかなあとか思ったり。それが作戦だ、とかだったらどうしようもないけど。

「それで、どうでしょう。私としては、是非これからも交流して、可能性を高めていきたいのですが」

少し、考える。これはきっと、何かの分かれ目のような、そんな気がして。
そうして、俺は。




「……で、その足でそれを買った、と」

クリスタルが変な顔で俺の手を指し示した。そこをちらりと見て、また正面の二人へ戻す。

「あ、うん。よくわかったね」
「この流れならそうとしか思えないんですよ」

はあ、とあからさまなため息を聞きながら、もう一度手を、左手を見る。似合わない、ダイヤのついた指輪。デザインはなんだったっけ、説明された気もするけど覚えてない。多分クリスタルの方が、俺より分かっているんだろう。

「お前なあ。いや、お前らしいといえばそうか?」
「まあ、そうですね……」
「で? 更に指輪を買おうだなんてどうして思ったんだ?」

ジャイロが言う。
……そう、今左手にあるのは、婚約指輪で、その次がある。もうすぐ、それを嵌めることになる。今まで話してきたことと同じくらい現実感がない、現実の話だ。

「なんていうか……あー、この人本当に俺が好きなだけなんだな? って……」

なんだそれ、とジャイロが呆れた声を出す。言葉にすると、確かにそれくらいしか返しようがないよな、と思う。そんな、曖昧な理由にすらならないものだ。

「出会いとか、かなりアレだけど……とにかく、行動言動が全部なんかこう……犬が尻尾ぶんぶん振ってるみたいな、そんな感じで」

殆ど流されるように連絡先交換して、そこそこの頻度で一緒にご飯食べたりして。色々な店に行ったし、色々なものを食べた。最初の方は全部出してくれるから、正直打算だった自覚はある。でも、それでも構わない、寧ろ嬉しいみたいな反応されて、毒気を抜かれたところも多分ある。我ながらチョロいし、単純だ。

「だからさ、慣れちゃったんんだろうなあ……」
「慣れ?」
「苦手とか、怖いとか思ってた筈なのに、当たり前になっちゃったっていうか」
「それ多分、お相手の思うツボですよね」

多分、そうなんじゃないかなあと思う。でも、

「それでも別にいいか、って」

何日何ヶ月何年、一目惚れっていう現実離れから始まったものが、気の迷いじゃないって実感させられたから。なら警戒しないで、手を握り返しても大丈夫かなって。そう思ったから事ある毎に言われる申込みに「いいよ」って声に出した。あっちはなんでか随分驚いていたけど。最初に「結婚してください」って言われた俺にはかなわないだろうけどさ。

「……」

ジャイロとクリスタルが顔を見合わせて、そして、揃って溜息を吐いた。

「……ま、お前にそんな顔させるなら、俺達がどうこう言う事じゃないな。はー、まさかお前からこんな話を聞く日が来るとは」
「全くです。……はあ、先生方にはどうぼかして伝えましょうかねえこれ……」
「そんな顔?」

自覚なしか、とジャイロが嫌そうな声を出す。

「締まりのない、……つまりは心底幸せだって顔だよ」

……うん、多分、そうなんだろうな。
ネプチューンが、俺に向けるみたいな、多分そんな顔だ。