白黒的絡繰機譚

平坦平穏な非日常

ヤから始まる自由業(表向きは弁護士)×一般人な現パロ。暴力描写有り。

人生っていうのは退屈だ。でも同時に何があるかわからない。
退屈すぎるのはつまらないけど、大なり小なりプラスなりマイナスなり振り回されるのも勘弁してほしい。
俺は基本的に平坦平穏に生きていきたいし。でも昔っから、それが叶ったことはあんまりない。人間関係はトラブル多いし、学校も仕事も多分めぐり合わせがよくない。前の職場もブラックの上に上司が酷かった。
だから、まあ、今の状態は多分、それに比べたらマシ……なんだろうか。

「――お疲れです?」
「!」

顔を上げる。完全に意識が飛んでいた。勤務時間にうたた寝なんて、説教一直線だ。……普通なら。前職とそれ以前の環境を思い出してつい身が固くなるが、怒声が飛んでくることはない。

「なら今日はもう閉めてしまいましょうかね」
「……いや、まだ、予定あった……だろ」

まだ少しぼんやりする頭でスケジュールを思い出す。夕方に来客予定があった筈……だ。

「別に明日でも明後日でも構わない、どうでもいいものですから。ほら、凄く眠そうですしね、貴方。帰って寝ましょう?」
「……」

俺の顔を覗き込む、一回りは年上の男がにこにこ笑いながらそんなことを言っている。
普通あり得ない。部下が業務中うたた寝しても叱責しないのも、それを理由に業務終了しようとしてるのも、仕事予定をそんなくだらないことで勝手にキャンセルしようとしてるのも。今は普通の、只のおっさんみたいに見えるコイツにそぐわない。俺がだらだらとそんなことを考えている間に、マジでキャンセルの電話をしようとしていたので流石に止めた。

「ウェーブは勤勉ですねえ」

勤勉なやつはそもそもうたた寝をしない、というのは言っても仕方がないから口にだすのは止めた。どう考えても勤勉なのはあっちの方なので嫌味っぽい気がしなくもないけれど、何故かコイツは俺のことをやけに持ち上げるのでこれもそれの一つなんだろう。そもそも、こうして一応――前時代の女性社員以下の業務量だとしても――しなくてもいい仕事をしているのは、コイツからしたら真面目で勤勉評価になるのかもしれない。最初は完全にヒモみたいな条件提示されてたし。

「……。眠気覚ましに、これ出してくる」

いくらかの封筒を手に立ち上がる。どこへ届くどういう内容のものなのかは俺にはわからないし、わかりたくもない。弁護士だってことは知ってるけど。検索かけたらちゃんと載ってたから、本当らしい。それでも普通に疑ってる俺がいるけど。というか、見ている限りだとヤのつく方がメインなんじゃないかと思う。そうじゃないと俺は流石にあんな目に合わないだろうし。

「そんなあ。帰りましょうよ」
「アンタが仕事したくないだけじゃん。……というか、アンタも帰るんじゃ俺寝れないと思うんだけど」
「……」
「嘘でも否定しろよ……。とにかく行ってくるから」

引き止めるような視線を振り切って外に出る。さっきまでいた事務所内も、くぐったドアも、全部普通の、よくある賃貸事務所にしか見えない。中にいる奴も、だ。でも、来る客と聞こえる会話内容が普通じゃないんだよな。流石に面と向かってアンタってヤから始まるアレなのか、なんて聞いたことはないけど。エレベーターで1階に降りて、徒歩5分くらいの郵便局へ向かう。

「……」

――なんで俺なのかな。
アイツに出会ってから、何度も考えたことだ。気に入ったから一緒に生活する、金は全部負担する、なんて若くて美人な女にすることだと思う。抱くんなら尚更だ。まあ、俺相手にしてんだから男がいいのかもだけど、それでもやっぱりもっと顔とか性格とかいい奴はいくらでもいるだろうに。自分で言ってて虚しいけど。
ああ、でももしかしたら、ペットみたいな感覚なのかもしれない。いや、奴隷のが近いのかな。金が腐るほどある奴の考えることはわからない。
でも、実際がどうであれ――。

「あ」

視界が歪む。地面が近くなる。覚えのある感覚だ。次に来るのはそう、意識のブラックアウトだ。




「――……っ」

まだぐらつく頭と瞼を持ち上げる。焦点の合わない視界に映るのは知らない一室だ。身体は動きそうにない。縛られて転がされてるみたいだ。数人の男が何かを話し合ってるのが見えた。
――実際がどうであれ、こういうことになるんだよな。
意識が戻ったのを感づかれても厄介なのでまた目をつぶりつつ、そう思う。例えペットやそれ以下としか思われてなくとも、傍から見れば愛人を囲っているようにしか見えない。なら恨みつらみのある連中はこうして捕まえて、体のいい脅迫材料にしようと思うわけだ。
俺自身からすれば、的外れなことしてるなあ……としか思えないんだけど、あっちは真剣だろうし絶対に言わない。
ちなみにこんな目に合うのは初めてじゃない。もう片手からはみ出るほどやられている。そんだけやられるってことは、アイツは相当に恨みを買ってるわけだ。一体どこをどうすればそこまで買えるのかわからない。

「まだ寝てんのかよ、おい、ちょっと起こせ」
「うっす。……起きろ!」
「……げぇ……っ」

腹に衝撃。がっつり蹴られた。いかにもヤバいです、みたいな男が俺を見下ろしている。
起こすってことはなんかさせたいんだろうか。俺を捕まえてる時点で情報吐かせようとかではないだろな、となるともう大体答えは見えている。

「あの野郎も趣味がワリぃっすね」
「まー、取り入ろうとした女が成功したって話聞かねえから、そっちの趣味なんじゃねえかとは言われてたが……それにしたってな」

そこは俺も同意する。

「ま、もしかしたらとんでもねえ名器なのかもしれねえな」
「っは、見えねえ」
「……」

ぼんやり男たちを見つめる。ヤバそうに見えてヤバい感じの奴ら。わかりやすくて助かる。

「てめぇ、なんだその面ァ?」
「っ、」

ぐい、と髪を引っ張られる。ああ、ちょっと顔に出ちゃったか。そういうのはよくないって、わかってたんだけどな。

「よし、そのまま何本か折っちまうか。流石に殺すなよ」
「うっす」
「あー……」

頭が持ち上がって、壁にかけられた時計が目に入った。俺がいなくなってから、これだけ経ってるってことは、だ。

「あ?」
「折ったり、切ったりすると、後が、大変だから……」
「あぁ!? ナメたこと言ってんじゃねえ!」

男が拳を振りかざしたと思った、ら。

「あ」

その後ろの男の身体が吹っ飛んだのが見えた。




「怖かったでしょう」

俺を抱きしめてアイツが言った。
最初ならいざ知らず、今はもう別に怖くもなんともないんだよな。寧ろこの状況――比喩じゃなくて本当に死屍累々――で一人返り血すらついてないのアンタのが怖い。部下らしき人たちが黙々と後始末をしているのを、毎度大変だなあと横目で眺める。
一体全体どうしているのかはわからないし知りたくないけど、俺がとっ捕まるとすぐさまコイツは奪還しに来る。お陰で今も五体満足だ。いや、そもそもの原因コイツだけど。

「……アンタはさ」
「はい」
「こういう面倒ごとになるのは、よくよくわかってるんだよな」
「そうですね。ですから、いつも言っているでしょう? 貴方は家にいてくれれば良いと……」

確かに、コイツの家にいれば今回みたいなのに襲われることもないんだろう。それはわかる。でも、コイツならそもそも強制的にそうできるんじゃないだろうか。俺の多少働いてないと流石に居心地が悪い、なんて言葉を受け入れなくてもいいんじゃないだろうか。

「なのにどうして、俺を見捨てないわけ?」

代わりなんていくらでもいる。愛人、ペット、奴隷、どの立場だろうと俺より向いてる奴はいくらでもいる。誰が考えたってそうだ。俺が考えたってそうなる。
こうして毎度取り返しに来るのは面倒だろうに。別に見捨てられても、俺はアンタの何かを話したりもしないし。

「ウェーブ……」

なんか困った顔をしている。珍しい顔だ。

「見捨てるなんて、そんな事するわけがないでしょう」
「……なんで?」

俺が尋ねると、目を見開いて驚いている。

「貴方が大切だからに決まってるでしょう!?」
「大切」

似合わない言葉だな、と思った。
そうか、コイツは俺が大切なのか。大切だから衣食住全部与えて、お願いを聞いて、取り返しに来る。考えれば当たり前の、単純なことだけど、全然思い当たらなかった。

「そっか……。へえ、そうか」
「ウェーブ……」

情けない顔だ。今だけ普通みたいに見える。そういう顔もするんだな。

「……今までも示してきたつもりだったんですけどね。伝わっていなかったようですね?」

が、それも一瞬だ。普通が段々と普通じゃなくなっていく。
ヤバいっていうのは、こういうのを言うんだ。隠して、使い分けれるのが本当にヤバいんだ。

「帰ったら存分に、入念にお伝えしますから、ねえ? さあ、一刻も早く帰りましょうか」

泣く子も黙るような笑顔でそう言うから、俺は頷くのが精一杯だった。
……結局、俺は眠れないし明日の仕事予定は全部キャンセルされるんだろうな、これ。