白黒的絡繰機譚

択一の甘美

極々偶に、脳裏を掠める信号がある。

「おい、ジュピター」
「……何だよ。俺は言われたことしかしてないぞ」

じとり、と下から睨んでくるジャイロは何時も通り、俺をいい労働力として使っている。これに慣れてしまった自分に溜息が出る。だからだろうか、また脳裏に掠めていくものがあった。
それはコンマの後に複数のゼロをつけてようやく他の数字が現れるような、一瞬すら長いようなシロモノだ。他人には決して分かるものじゃない。

「それなら良いんだがな。速さが取り柄なら、そうしてもらわないと」
「前にそうしたらキレたじゃねえか」
「そりゃ仕事が雑だからだ。スピードは最低限のクオリティを伴ってナンボだろうが」

DWN.036 ジャイロマン。
細くて薄い、軽量な装甲。ジェットエンジンの熱と風で吹き飛んでしまいそうなプロペラ。そして、上から見ることを好む思考。それを全部、捻って千切って吹き飛ばしてしまいたくなる。……極々偶に。
戦闘用ロボットとしては、正しい思考なのかもしれない。無償で利益も薄い空中庭園のメンテナンスに手を貸すなんていう、非効率で退屈な、ご機嫌取りみたいな真似をする必要性なんてない。俺の能力があれば、掠めたような行動と結果は、即座に得られる。
声を奪って、視界を遮って、何処へも逃げられなくして、他の奴らのことなんか電脳から消し飛ばして、俺だけのものに出来る。
こういうのを人間は甘美だと言う。ロボットの俺でも分かる。それはとても、魅力的なのだと。




「――終わったぞ。流石にもうないだろうな?」

1つこなす度に倍以上になるタスクを終えて、地上を見下ろす。返事はないが、手招きをしているのがここからでも分かる。
もし、俺が急降下とともに電撃を浴びせれば、コイツはきっと何も出来ない。

「ご苦労さん」
「ミリもそう思ってなさそうな労いドウモ」

けれど、行動することはない。永遠に。
衝動が湧く度に削除を繰り返す。それでも忘れた頃に走る信号に、我ながら溜息が出る。

「ちゃんと思ってるぞ? なにせ、目の色を変えて必死だったみたいだからな」
「……」

追求はしない。墓穴を掘るだけだ。そういうのはもう、十分すぎるほど身に沁みている。コイツがどこまで感づいてるのかとか、知ろうと思うのは良くない。
ただ適当を言って俺をからかっているのかもしれないし、何もかも分かっているのかもしれない。どっちにしろ、厄介な奴だ。
そんなところが嫌いじゃない俺も、大概だが。

「頑張ったガキにはご褒美あげてもいいぞ?」

にい、と笑う顔はお世辞にも可愛くも、美しくもない。けれど、

「有り難く貰ってやろうじゃねえか」

触れる唇、抱きしめた細い腰、許してくれるようになった心。
支配では決して得られない、甘美。
掠める欲求を満たしても、これを失った喪失感には耐えられない。