白黒的絡繰機譚

想いは雪に溶け

2008/12発行個人誌「CHS」収録

「……あ、雪」

買い物袋を抱えた少年の降ってきたのは、今年最初の雪であった。
今年は例年よりも少し暖かかったため、中々降る気配を見せなかったのだが、もう今年も残りわずかとなった今日になって、やっと降ってきたのだ。

「積もるかな。積もると良いな」

家へと向かう足が自然と早足になる。既に彼の頭の中は、積もった後の雪で何をして遊ぶかということでいっぱいの様である。

「ロールも喜んでるよね。……そうだ、沢山積もったら、ライトットに頼んでソリ作ってもらおうかな」

雪に対する少年の期待は膨らんでいき、それに比例するように歩みはどんどん速くなっていく。雪が積もったら何をしようか。誰としようか。そんな先の楽しみで少年は幸福に満ちていた。





「……雪か」

ビル街の隅、とっくの昔にうち捨てられた廃ビル、人間が、こんな寒い日にいるには少々適さない場所。そこに一人の青年がいた。光が射さず、かなり暗いにも関わらずサングラスで目を覆っているその青年は、崩れたコンクリートの隙間から入ってきた雪に対して無意識に声を出した。
青年が空を見上げ、立ちつくしている間にも、段々と勢いを増していく雪に、廃ビルは中も外も灰色から白に姿を変えていく。
帰る場所を持たない青年は、身に染みる様な寒さと白さから逃れるために、その廃ビルを後にした。





「ただいまロール!」
「お帰りロック!やっと雪降ってきたわね!」

少年――ロックを暖かく迎え入れたのは、妹のような存在であるロールという少女。彼に負けず劣らず彼女も雪に興奮しているようである。

「積もるかなぁ。積もったら皆で遊ぼうね」
「勿論よ。でも、これから明日の夕方くらいまで、結構吹雪くらしいの。多分遊べるのは明後日になりそうね……」

先延ばされた楽しみに、二人揃って肩を落とす。
ロックはそこでふと、窓の外に視線を移した。窓の外では、空一面に広がる厚い灰色の雲から雪が降り続いている。家へと駆けていた時とは違い、勢いを増したその寒々しさは、ロックの心の中に一人の人物を思い起こさせた。この寒い、雪の降る中で、何処にいるのか、何をしているのか分からない、一人の人物を。

「……ブルース」

ポツリと口から洩れたその人物の名は、ロックの中で特別な位置に属していた。
その人物――ブルースは何時も、ロックを助けてくれる。けれども、ロックにはなぜ彼が自分を助けてくれるのか、その理由を知らなかった。しかし、それを知ったら彼とはもう二度と会えないような、そんな気がするのだった。

「今、何してるのかな……」

何故か、彼がこの雪の降る中に一人でいるような気がして、ロックはただ、彼の身を案じた。





廃ビルを後にした青年は、そのまま街を出て、雪の降る中をひたすら歩いていた。殆ど車も通らないこの道を歩くのは青年以外おらず、深さを増していく雪も相まって周りはとても静かだ。そんな道沿いにも大した数ではないが、人のいる建物は存在している。
きっとどこも頼めば一晩の宿を提供してくれるだろう。けれども、そのいずれにも青年は立ち寄ろうとはしなかった。それは、青年が暖かい場所に留まることが出来ない性分である所為だろう。

「…………」

青年は足を止め、後ろを振り返った。先ほどまで滞在していた街は、遥か遠くとなっている。戻るには微妙過ぎるその距離に何を思ったかは分からない。数秒間だけ見つめた後、向き直り先ほどと変わらぬ歩調で道を進んでいく。
その遥か後ろとなった、青年が先ほどまで滞在していた街、それは青年がとっくに捨てた暖かさの象徴であるような、少年の姿をした正義の味方――名をロックという――が住む土地であった。

「……俺らしくもないな」

何度も、何か所も滞在場所を変えてきた青年にとって、街を後にすることは、何度となく経験してきたことである。それにも関わらず、たった一人が青年を縛る。
あの真っ直ぐな眼が、真っ直ぐな心が、真っ直ぐな想いが。その存在の全てが、どうしようもなく、青年を惹きつけてやまない。
けれども、惹きつけられると同時にどうしようもない罪悪感が青年を蝕む。自分へと向けられた真っ直ぐな瞳に潜む信頼という感情が、とても嬉しく、そして同時に悲しいのだ。
なぜなら、青年はロックを愛していた。自分という存在の理由すらまだ見つけることの出来ていない彼であったが、それだけは確かだった。
思い返してみれば、初めてロックの存在を知ったその時から、青年はロックを愛していた。ロック――正義の味方であるときはロックマンと呼ぶのが正しいだろうか――が野望の前に倒れることが無いよう行動した最大の理由は、それに他ならない。その時、ロックは青年の行動理由なぞ知る由もなかったが、それでも良かった。ロックの存在がこの世界から消えないこと、それだけが全てであったのだから。その思いは、今も揺るがない。ただ、ロックが存在していれば良い。それだけが青年の些細な望みであった。

「……フッ」

そこまで思い返した時、青年の口から笑いが漏れた。些細な望みとは、自分の思考回路も随分な予防線を張ったものだ、と。
自分の存在について考える事の多い青年は、自分の事をあまり知りたくもない事までよく知っていた。そんな些細な望みでは済まない想いであることは、とっくの昔に自覚していたのだ。
青年はロックを愛している。それは勿論、恋愛対象としてであった。しかし、青年の中に蓄えられている知識と一般常識は、その感情に警告を示す。何を考えている、相手は、あの子はお前の……『弟』ではないか。そんな正論で青年を警告し続けるのだ。
けれども、そんな正論が果たして本当に通用するのだろうか?青年も、感情を向けられているロックでさえも、その正論が通用する生物ではないのだ。
彼らは、所謂ロボットと呼ばれる機械であった。
人ではないこの身に『兄弟だから』などということが理由になるのだろうか?人型であるが故に、人から見れば嫌悪されるだけであり、子孫を残す訳でもないのだから何ら問題はないはずである。それでも警告は鳴り響く。人型であり、人とほぼ同じ倫理を与えられているが故なのだろう。
けれども、ロックは知らない。自分たちが兄弟であることを。知らない方が良いだろうと思う。それは自分の身の今後を考えた上での、ロックを悲しませたくないという真っ当な思いが一つ。そして知らなければ、少なくとも自分のみが倫理を冒したという事実を抱えていれば済む……という歪んだ、とても自分勝手な想いの二つが理由だった。これもまたとてもどうでも良い、人の常識が下した判断なのだが。
青年は思う。難儀なものだと。人ではないこの身が、関わり合いたくもない人の常識に囚われている。滑稽極まりない。けれど、ロボットがロボットに恋愛感情を抱くという事も、それに負けず劣らす滑稽なのであるが。それは感情などを持たせた人間が悪いのだと、身勝手な責任転換をしても罰は当たらないだろう。
そう、こんな感情望んだわけじゃない。青年は空を見上げる。降ってくる雪は多くなるばかりで、サングラスの上に大量に落ちては、溶け消えていく。雪という名の氷の粒は、青年の為になる様な事は何もしてはくれない。それは雪だけではなく、世界中の何もかもがそうだった。少なくとも、青年が知っている範囲のものは、そうであった。
そうであると、信じていた。





天気予報の通り、雪の勢いは強まるばかりで、窓の外に見えるのは横殴りと言うに相応しい吹雪。ベッドの中で布団に包まってそれを見るロックは、未だにブルースの事を心配していた。

「……ブルース。大丈夫だよね……」

自分の事を助けてくれる彼の事を心配するのは、余計なお世話なのかもしれない。それはロックも重々承知していたが、それでも、心配で仕方がなかった。
この吹雪の中、彼がまだ何処かへ向かいひたすらに歩く……そんな場面がまざまざと浮かんだまま、どうしても離れない。そんなのは自分の変な空想だと思うのだが、それにしてはやけにリアルに浮かぶ寒々しい姿が、窓から目を離すことを不可能にさせている。

「大丈夫……。大丈夫……」

自分に言い聞かせるように、それが現実であると祈るように、小さな声が口から洩れる。

「雪、止まないかな……」

ロックにとって、雪はもはや楽しみではなく、大事なものを覆いつくしてしまうものにしか見えなかった。その白さの下に全てを隠して、凍らせてしまう……。恐ろしい魔物の様に思えてならなかったのだ。
小さな願いは届かず、布団の中から覗く窓の外はまだ、白で覆い尽くされ、赤や黄色が見える事はなかった。





「……おや」

吹き荒ぶ雪を掻き分けるかの様に歩いていた青年は、目の前の変化に伏せていた頭を上げた。
街の電光掲示板に流れていた気象予報を裏切るかのように、横殴りに近い様な勢いだった雪は、その角度を緩めつつある。青年が足を止めている間にも、少しずつ勢いは弱まっていき、視界は白から黒へと変わっていく。

「変わったこともあるものだな……」

科学力の進歩により、気象予報が外れる事はないに等しい。それにも関わらず、今はもう先ほどの吹雪が嘘のように、視界の中の白と黒がはっきりと分かれている。
その晴れた視界の中、止めた足を再び進めようとして、青年はふと振り返った。当たり前だが、雪以外に見えるものは特に存在しない。後にした街なぞ、見えるはずもない。

「……とうとう俺も、ヤキが回ったらしいな」

自嘲的な呟きと共に、青年は雪に残る自分の足跡を辿るように歩き始めた。目指すは勿論、当分戻る気のなかったあの街。
今すぐ、一目で良いから会いたい。青年の思考はその思いに支配されていた。雪に埋まる足が少しずつ速くなる。
そういえば、少年と戦闘の場以外で会う事はこれが初めてになる。そんな気は今までなかったというのに。けれど、そんなことよりも直接会って聞きたかった。この馬鹿馬鹿しい様な、勝手な期待の答えを、直接、自分の言葉で。

「もしかして、お前の所為なのか?」と。