白黒的絡繰機譚

中和される鋼鉄

2008/12発行個人誌「CHS」収録

メタルマンは困っていた。
何故困っていたのかというと、現在彼が一人で居る部屋の居心地が悪かったからである。
その証拠に彼は数秒おきに正面の扉に視線を送り、両手と右足を意味もなく動かし続ける。しかし、扉は開く気配を一切見せず、彼の不満はまだ解消されそうにない。

「……」

扉から視線を逸らし、辺りを見回す。別段変った所のないシンプルで、落ち着いた部屋である。不快感を煽るほど汚くもなく、寧ろキチンと片付いており、メタルマンの生みの親の研究室とは比べ物にならないほど快適な部屋のはずだが、何故か彼は落ち着かなかった。原因はとっくに見当がついている。しかし、分かった所で改善される訳もなく、彼はただ部屋の主人の帰りを待った。
――居心地が悪いと感じてからどれくらい経っただろうか。彼からすれば随分と長い待ち時間が遂に終わりを告げ、部屋の主人が扉を開けて入って来た。

「お待たせ。……どうしたの?そんな疲れた顔して」

入って来たのは十歳程度の少年。左手持った小さなトレイに湯気の立つマグカップを二つ載せている。少年がマグカップを差し出すと、メタルマンはそれを受け取りながら言った。

「ああ……。いや、何でもないんだ」

しかし、その表情は少々強張っており、少年は眉をひそめる。その表情は何回か目にしたものであった。特に少年が彼に気遣われているときに。

「本当に?メタルマン、僕に気を遣わないでよ。何かあるのなら、ちゃんと言ってほしいんだ」

そう意志の強い瞳で言われてしまうと、メタルマンにはもうはぐらかすことは出来ない。普段かなりの切れ者だと評価されている戦闘用ロボットの彼も、少年にはとてもとても甘いのだ。

「……分かった。言おう。だが、お前の気分を損ねる可能性があると、最初に言っておくぞ」
「うん。分かった」
「……居心地が、悪いんだ。この部屋……というかこの研究所が、とても」

そうメタルマンが言うと、少年は一瞬キョトンとした表情を浮かべるが、すぐ慌てて彼に詰め寄った。

「ど、どういうこと?何か、メタルマンの気に入らないものでもあった?」

思った以上に必死に聞いてくる少年に、メタルマンは少し笑みを浮かべ、彼を宥める。

「そうじゃない。ただ、ここは俺には暖かすぎるんだ。だから、お前の所為でも何の所為でもない」

その言葉に少年はまたしてもキョトンとした表情を浮かべる。そうして彼に問う。

「その……理由を聞いても良い?勿論、嫌だったら良いんだけど」

若干控え目な口調の問いを受けたメタルマンは、少年の手を引いて隣に座らせる。そしてマグカップの中身を一口飲むと、口を開いた。

「この研究所はとても暖かい。室温は勿論、お前を含む全員の態度も何もかもが。だが、それが俺には居心地が悪い。……別に迷惑な訳ではなく、ただ……そうだな、慣れていない、と言うべきだろうか」

そこまで言うと、メタルマンは自分の横の少年をまじまじと見た。少年は彼の言葉に何を思ったのであろうか、ただ彼が特に好むまっすぐな瞳で、見つめ返してきている。

「慣れてない……。それはワイリーの所が寒いってこと?借金があるって聞いたし、それで暖かく出来ないの?」

小首を傾げながら発せられた妙にずれた言葉に、メタルマンは思わず声を出して笑ってしまった。

「な、なんで笑うの?僕、なんか変なこと言った?」
「そうじゃないが……ロック、お前は可愛らしいな」
「可愛いって言われても……。僕、あんまり嬉しくないんだけど」

少年――ロックはメタルマンの発言に呆れた様であった。実際、少年の事を可愛いと口に出して言うのは彼だけであり、どう考えても無駄な補正がかけられているとしか思えないその発言は、あまり信用されていないのであった。

「まあ俺が言いたいだけだから、気にするな。……そう、確かに博士の研究所は寒い。お前の言う通りあまり資金も無いしな。けれど、それだけじゃない」

一般的に言われる寒さならば、きっとここまで居心地の悪さを感じることもなかったのだろう。それだけならば、ロボットである自分が大して気にするべきことではない。老体である生みの親の身体の健康に気を付けること以外、何もないのだから。

「俺を始めとするDWNは、皆元々がどうであれ今はただの戦闘用ロボットだ。お前を倒すためだけの……な。その為だからか、俺たちはほとんど個人間の交流が無い。存在意義の遂行に、そんなものは必要のないことだからだ。その環境が普通だったからだろうな、ここの環境に馴染めない。自分が異物に思えてしまって、とても居心地が悪く感じてしまうんだ」

そう苦笑しながらそう言ったメタルマンの顔が、ロックの目にはとても悲しそうに見えた。
元々家庭用ロボットとして製作され、ずっとこの環境で暮らしてきたロックには、彼の悲しさ、居心地の悪さの全てを理解し、共有することが出来ない。同じ基礎を持つロボットなのに、どうしてこんな悲しい違いが生まれてしまったのだろうか。
けれど、ロックは自分の中で一つだけ確かな事実を知っていた。

「……メタルマンは、異物なんかじゃ、ない。僕は知ってるよ。メタルマンは、優しくて、博士やロール、カットマンたちと一緒で僕と仲良くしてくれる。みんなと少しも変わらない、僕の……大切な人だよ」

ほんのりと頬を染め、少し恥ずかしそうにそう口にした様子は、メタルマンの思考を大いに揺さぶった。けれども、彼は少しだけ、その言葉に納得がいかなかった。

「俺が皆と変わらず優しい……か。ロック、お前は大きな勘違いをしているようだな」
「え?」

 グイ、とロックの腕を掴み、強引に顔を近づける。

「どこが皆と同じものか。俺がお前に対して優しくしようとも、それの根底にあるのは生みの親も、存在意義さえも裏切る邪な想いだというのに。……ああ、やはり俺は異物だ。もう戦闘用ロボットでも何でもない。只の動く鉄くずでしかない」

早口でそう捲し立てると、メタルマンは顔の下半分を覆うマスクを外し、素顔を曝け出した。その顔は、自嘲的な笑みで酷く歪んでおり、ロックが初めて彼と対峙したとき――彼が純粋に『対ロックマン用戦闘ロボット』としてのみ活動していたとき――に感じた恐怖の様な冷たさを思い起こさせるものであった。

「メタルマン、そんな」
「そんなことない?本当にそうか?もう博士に命令されようとも、お前を倒すことなど出来はしないというのに……」

ロボットというものは、皆存在意義を与えられている。ロボットにとって、それが果たせないことは人間でいう死に等しいと言っても過言ではないだろう。
しかし、本人の言うように、メタルマンにはもう存在意義を全うすることができそうになかった。人とほぼ同じ、普通の神経をもってすれば誰だって無理だろう。
――恋人を殺すことなど。

「メタルマン、落ち着いて。……大丈夫だから。貴方は、やっぱり優しいよ。とっても」

ロックの小さな身体が、隣り合っていた自分の右手を抱きしめる。そこからじんわりと伝わる暖かさが、少しずつ落ち着きを分け与えてくれるようだ。

「与えられたものだけが僕たちの存在意義じゃないよ。僕だって、選んだんだから。メタルマンだって、同じでしょう?」

そう、ロックは選んだ。兄弟の為、世界の為に戦う道を自らの意志で選びとったのだ。

「同じ、か……?俺が……お前と……?」
「ねぇ、どうしてそんなに卑屈になるの?僕はメタルマンの優しいところも、冷たいところも、全部好きだよ」
「ロック……」

自分の腕へ縋りつくように顔を埋めている姿が、とてつもなくか弱い生き物に思えてくる。普段は誰も敵わない無類の強さを誇っている筈の彼が。それなのに、どうしてこんなにも庇護欲を掻き立てられ、愛おしみたくなるのだろうか。
確固たる理由が見つからないまま、まるで導かれるように身体を反転させ、一回り小さなか弱い生き物を包み込む。

「すまなかった。けれど、俺はやはりお前が思う様な優しさは持っていないな。お前にそんな顔をさせたい訳じゃない。悲しませたい訳じゃない。それなのに俺は、お前をこんな風に悲しませてしまう」

今、何故そんなことばかりしてしまうのか、と問われたならば、捨てきれていないからだ、と答えるだろう。このような間柄になったからといって、自分に組み込まれたプログラムが書き変わったわけではない。思考の根底には今もあの時と変わらないものが鎮座している。

「……きっと、戦闘用だとかそういうことではなく、俺がこんな風だから、お前がいるにも拘らず居心地が悪いのだろうな。お前を悲しませるまで気が付けないとは……。本当に、どうしようもない」
「メタルマン……」

抱きしめてくる腕はとても優しい。けれど、包み込んでくる身体の温度は、ずっと室内にいるにしては随分と冷たい。まるで、本人の言う通り、暖かさに馴染むことが出来なかったかのように。

「ロック、俺は馴染む事が出来るだろうか?この場所に、この暖かさに馴染んで、お前を悲しませないようにすることが出来るだろうか。無論、出来うる限り最大限の努力をしよう。……お前の為ならば、それも安い」

抱きしめてくる腕に更に力が入る。それは、メタルマンの決意と誠意を直に伝えてくるような、優しいものであった。ロックは思う。自分こそ、これに応える為の何かをしなくてはいけないのではないかと。

「当たり前だよ。僕だって、メタルマンの為なら……」

面と向かって言う事が恥ずかしくて、顔を胸に預けたまま口にした言葉は、最後の大事な言葉を言う前に途切れた。
それは、堪え性が無かったらしい、冷たい唇によって塞がれてしまったからであった。

「お前は暖かいな。身体も……心も。ロック、俺にその暖かさを分けてくれないだろうか?」

どこか茶化すように、そして真剣に耳元で囁かれた言葉に、ロックは表情を崩す。

「勿論、いくらでもどうぞ」

冷たい身体も、唇も、いつの間にか本当に分け与えたかのように、じんわりと暖かくなってきていることには、まだ二人とも気が付いていない。