好きってことさ
――どうしたら良いんだろう。「ヒョウタ……」
「……デンジ君は、黙ってて」
そう言われてムッとしたけれど、どうしたら良いか分からないからそれに従う俺。何時も空気読めだとかオーバは俺に言うが、別に読めない訳じゃない……と思う。とにかくこれ以上、ヒョウタの機嫌が悪くなられたら嫌なので、何もしないのが得策なんだ。
……そう、ヒョウタは機嫌が悪いんだと、思う。多分だけど、俺はそう思ってる。
だからこうやって、大人しくしてるんだ。やや情けない気持ちがないわけじゃない。
「……」
でも、これはいつ終わるんだろう。
別に嫌って訳じゃないんだが、それでも終わりが見えないのは何とも不安だ。あとヒョウタにずっと掴まれてる服が伸びるんじゃないかってちょっと思った。もしかしてこんな時にそういうどうでも良い事ばかり考えてしまうから、ヒョウタは怒るんだろうか。
そんな事を考えてしまっている俺の視界の端で、ヒョウタの睫毛がぱたりと揺れた。そのぱたり、という音がやけに響いて、その度に太腿のあたりが湿っていく。
……ヒョウタお前、泣いてるのか。
「ヒョウタ」
「だから、黙ってて……」
泣いてるわりに声は普通で、やっぱり俺はどうしたら良いか分からない。そんなもん正しい答えも何もないんだろうし、きっとヒョウタも俺にそんな期待はしてないんだろう。
……なんて、自分で言ってて空しいけど、俺はそんな気配りとか向いてないって事は分かってるから仕方がない。気配りとかお節介とかは全部、オーバの役目だ、俺じゃない。こういう時だけは、アイツを見習って少しは身につけとけば良かったとか思わなくもないけど。
「……」
「あー……もう、やだ。もう……」
ずずっと鼻をすすって、ヒョウタがそう零した。ティッシュくらい差し出すべきかと見回してみたが、生憎ティッシュの箱は両手を伸ばしても届きそうにない位置でひっくり返っている。
「何かあったのか」
「何にも。何にもなかったよ。仕事もジムも順調だし、デンジ君も何時も通り駄目人間だし」
「……駄目人間て、お前」
「事実でしょ。まさか真人間だと思ってた?」
そう言って俺を見つめた顔は、目が赤い以外は殆ど何時も通りで、確かに何もなかったのかもしれない。
けど、コイツは何もない時に泣くような奴だったか?
「お前、涙脆かったっけ」
普段泣いたとこなんて、一度も見た事がない。
俺の前で泣いたのなんて……まあ、ああいう時だけだ。流石に、今そんな事を言う程俺は空気が読めない訳じゃないので黙っておくが。
「ううん、全然」
「だよな……」
「なのにさ、どうしたんだろうね? 僕。なーんか、デンジ君見たらいきなりぼろっ、てさ……」
ははっ、と力なく笑う。
ふと横を見ると、重そうな鞄が転がっていた。
その中身が着替えと、いくつかのタッパーだって事を俺は知っている。
熱中するとろくに飯も食わない俺を叱りながら差し出されたそれ。中身がちょこちょこ変化しつつ、時には調理前の材料のままだったりしながら何度も何度も俺の家とヒョウタの家を行き来するようになって、大分経った。
「好きなんだろ」
それなのに、泣くヒョウタなんて見たのは初めてで、どうすりゃ良かったのかはやっぱり分からない。
ヒョウタ曰く俺は駄目人間だから、まあ、仕方ないのかもしれないけど、でも駄目人間は駄目人間なりに、進歩している訳で。
なあ、気が付いてくれてるか?
「好き……? あー……うん、まあ、ね」
「……そこはもうちょっとハッキリ言えよ」
「はは……」
ぼろり、とまたヒョウタの目から涙が零れる。眼鏡を外して、袖で拭ってやった。痛かったかもしれないけど、ティッシュなんか取りに行ってる余裕はないんだ。悪いな。
「泣くなよ。俺、どうしたら良いか分かんないし」
「うん……」
「とりあえず、中入ろうぜ」
ヒョウタの鞄を持って、二人で立ちあがる。またずずっと鼻をすする音がした。
「……座ってろよ。用意くらい俺がするし」
「え、大丈夫?」
「……大丈夫だよ。良いから座っとけって」
「うん……」
進歩してるとこ、見て驚けば良いさ。俺が泣かれて驚いた以上にきっと、驚く筈だから。
何時もしてもらってるように、タッパーの中身を移し替えて、温めて、並べて。それと一緒にまだ温かい鍋の中身も皿に移す。
「――あれ……え?」
ヒョウタが作ってきたものと、一緒に並ぶテーブルに増えた一品。味なんて、かけた手間大した事ないけど、それでも。
「何時までもお前の、頼りにしてる訳にもいかないし、それに」
好きになるって、なんか凄いって最近思った。やれば出来るって、最近知った。
「……デンジ君」
「ん」
「僕、好きだよ。デンジ君の事」
今日、ヒョウタは好きになりすぎると泣いてしまうって事を知った。