知るという事
とてもとても嬉しいことに、ハヤトと遂に想いが通じてそれなりの時間が流れた。けれど、君との距離って本当に近くなったのかな?
そういう気質だってことを知ってはいるけれど、見えているものもあるけれど、不安に思うことだってあるんだよ。
「マツバさん」
「何だい? ハヤト」
「……やっぱり、いいです」
ほら、例えばこんな時。僕の名前を呼ぶと同時にそろりと伸びた手が申し訳なさそうに引っ込んで、溜息吐いて。
ねぇ、何かあったの?僕にも言えない様な、何かが君に。
「……」
でも、不安を感じる僕はそれを聞く事も出来なくて変な沈黙だけが流れてしまう。不甲斐ないな、年上なのに。
こんな時間が過ごしたい訳じゃない。こんな時間を過ごさせたい訳じゃない。分かっている、けれど踏み込めない沈黙が流れていく。
「……」
重い空気、重い時間、重い不安。一度感じたものはなかなか拭えない。
すぐ隣にいるのに、絶望的な距離が開いているように感じてしまう。……そんなことは、ないと、僕はちゃんと知っている筈だ。思い込みではないと知っている筈だ。言い聞かせるようにそう、心の中で唱えていく。
「……ま、つばさん」
ちょっと細い声が、少し伏せられた顔が、じんわりと熱い掌が、触れられた左腕から、温度が流れ込んでくるような錯覚にクラクラする。不安を抱えているくせに、どこか普段通りに君は可愛い生き物だなって思う。
「……」
それでも何時もと違って、僕は君の名前を呼べない。
返事をしなかったら君が不安になってしまうかもしれないと、分かっている筈なのに。
「……俺、まだ、良く分からなくて。マツバさんにどうしたら良いのか、とか、色々。でも、その……そういう顔、して欲しい訳じゃなくて……ああ、だから、その」
伏せた顔と長い前髪の下からチラチラと垣間見える表情は、どう見ても困ってる。
そうさせているのが自分だと思うと、痛くて仕方が無い。
「ハヤト」
いきなり踏み込んだ僕と君のやり方は違うことはとっくに知っている。だから僕が君の横で手を引いて、ゆっくり進めば良いのは分かってるのに、急いでしまって。君と一緒で、そんな顔をして欲しい訳じゃないんだ。
「上手く言葉に、出来ないけど……俺、マツバさんには……」
「……ハヤト」
「あ、え、ハイ」
「こういう時はね……『マツバ』って呼んでくれる方が、嬉しいかな」
出来れば敬語もね。 茶化すようにそう言えば、上げられた君の顔は赤みが増す。そうして困惑で固まっていた表情が、へにゃりと溶けた。
「わ、かりま……わかっ、た」
熱い左の掌に右手を重ねてみる。確かめる必要なんて、本当は無いんだよと誰かが言っているような気がする。
「……やっぱり僕は、君が好きだよ。ハヤト」
他の誰でも無い、君だけを。
初めて会った時に感じたあの不思議な気持ち。生涯でただ一人、君だけに感じる気持ち、思い。
それは僕だけじゃ、ないだろう?
自惚れでも、願望でも無い、たったひとつの確信。やっとだなんて、遅すぎるかな。
「…………俺、も、です。ま……マツバが、好き……だ」
こうやって確かめれば、僕たちの間に距離なんて何もなかったって事をやっと、知れた。