彼等の通常運転
奥さん公認愛人って感じの二人です地獄とは、恐らく生者の想像するよりも随分と忙しい場所である。
万年手が足りず、しかし生者は亡者となり三途の川を渡り、裁きを待つ。その裁きの裁定をする王と補佐官たちは、特にそうだ。
それでも……いや、それだからというか、彼らはその忙しさの合間にちゃんと自分の時間を持つ事に長けていたりもする。
「篁さん」
「あ、鬼灯様お疲れです」
その日鬼灯が地獄のチップとデールこと唐瓜・茄子コンビを連れ立って資料を求め書庫を訪れると、そこには見知った先客がいた。小野篁である。今日も今日とて天然パーマの髪の毛を結い上げた頭を揺らして、ぺこりとお辞儀をする。
「お疲れ様です。……そうだ篁さん、今夜私の家に来ませんか」
会釈を返した鬼灯は、すすけた天井の方を見上げながら、そんな言葉を口にした。掃除の係は手を抜いているな、そんな事を考えながら。
「あ、いいですよ。でもきっと妻が夕餉の支度をしてしまっているので、食べてから窺っても良いですか?」
篁も、書棚の下部を見ながらそう答えた。誰だか知らないけど、順番に並べずに突っ込んだ奴がいるな、そう思いながら。
「構いません。お待ちしてます」
「はい、では」
退出する篁と資料を探す鬼灯はそのまま視線を合わす事はなく、湿気てすすけた書庫にはただ紙の擦れる音だけが響く。
その沈黙を破ったのは、鬼灯の後ろで唐瓜と顔を見合わせていた茄子であった。
「鬼灯様って、篁様とすっごい仲がいいんですね」
元々、思考の方向性が似通りすぎている二人であるので、小鬼達も別に仲が悪いと思っていた訳ではない。が、自宅へ行き来をするとまでは想像していなかった。
「そう見えましたか?」
しかし、言われた鬼灯は首を傾げた。
「そう見えましたかって……先程のやり取りからはそうとしか」
「ああ、聞いていましたか」
「そりゃもう、ばっちりと」
「慣れたやりとり、って感じでした」
「そうですね。まあ、それなりに長いですからね」
もう一体どれほど経つだろうか。数えるのも億劫なほどである事だけは確かだ。
「酒飲み友達、って奴ですか?」
「いえいえ、違いますよ」
「え?」
「へ?」
「こういう感じですから」
そう言って鬼灯は右手の親指を人差し指と中指の間へ入れるハンドサインをした。
「!?」
二人もこれが何を示すかぐらいは知っている。知っているのだが、それが示すものと鬼灯と篁が一切結びつかない。いや、結びつける事を脳が拒否しているとでも言おうか。冷や汗どころか八寒地獄にでもいるかのような寒気が二人の背中を走る。そんな二人と向き合っている鬼灯はいつも通りの涼しい顔である。
「……どうかしましたか」
「どうかしましたかって鬼灯様こそどうかしましたか!?」
「私は至って正常ですが……」
そう返しながら、鬼灯はもう資料を探し始めている。
「ですよね鬼灯様ってそういうお方ですよね!」
「何か心外な事を言われたような気がしますが、まあ良いでしょう……。私は、貴方がたからの質問に答えただけです」
「何の気なしの質問でこんな衝撃を受けると思わなかった……」
「あれ?篁様って奥さんいませんでしたっけ?」
「茄子もう触れるのを止めろー!」
唐瓜は瞬時に茄子の口を塞ぐが、もう遅い。
「いますね。まあ、公認みたいなもんですから」
「うわぁ……」
「月単位で会っていないと、何かあったのかと奥方からこっそり手紙が来たりしますよ」
篁の妻から鬼灯に宛てられた手紙の内容はいつも決まって『夫が何かしましたでしょうか』というものだ。篁の破天荒すぎる生前の行いを知れば、それも仕方がないなと鬼灯は返事をしたためる時に毎度思うのだった。
「良妻っていうかなんていうか……」
「流石篁様の奥さん」
「まあそういう事ですので。はい、二人ともこれとこれと……あとこれですね。大事に運んでください」
どさどさどさ、と鬼灯が大量の書籍と巻物を二人へと渡す。無駄話はこれで終わりだ。時は金なりとはよく言ったものだ。地獄には亡者の数以上の仕事があるのだから。
「……はい」
「はぁい」
鬼灯は二人を伴って元来た廊下を歩く。そこはもう誰の姿もなく、ただただ三人しかいなかった。
「――というやり取りをあの後しまして」
場所は変わって鬼灯の自宅、時間もとうに夜が更けた後、鬼灯は布団の中で顎を肘に預けながらそう言った。傍らでは枕に頭を預けて篁が笑っている。いつもは結い上げている髪の毛も、今は解かれて頬を少し隠していた。
「あっはっは、鬼灯様も人が……鬼が?悪いですねぇ。適当に誤魔化せば良いのに」
「……」
鬼灯は、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。篁の言う事は至極最もだ。告げたところで何かプラスの要素がある訳でもない事実だ。お互いに誰に告げようとも思った事がない。篁の妻は例外だが。
どうして告げたのかという理由をくるりくるり探してみたところで、ピンとくるようなものは見つからない。
「……なんとなくです」
「なんとなくですか。まるで私達の様ですねぇ」
たっぷり間を置いてから告げた一言に、篁はへんにゃりと笑った。そして、もぞもぞと動いて鬼灯の胸に額を預けるように丸くなる。鬼灯はその丸まった背中を抱き寄せるように腕を伸ばした。
「篁さん」
「私、覚えていますよ。私が『どうしてですか?』って聞いた時も『なんとなくです』って言ったのを」
月明かりの射す書庫の隅、巻物をまるで布団のようにして膝を抱えていた篁の頬に触れて、唇を寄せたのはもう随分と昔の話だ。
「ああ、そうでしたね。覚えていますよ。でも私はそれよりも、貴方が『い、いきなり口吸いですか!?』って驚いた方がよっぽど印象強かったですねぇ」
「そうでしたっけ?でも私の時代には考えられない事だったので」
「夜這い当たり前の時代でしたからね」
「そうですそうです。今となっては凄い時代だったなぁって思います」
「そう仰るほど時代に順応出来るのは流石だと思います」
「褒めても何も出ないですよ」
くすくすと笑い続ける篁の髪を鬼灯はわさわさと撫でる。何度触っても、手にはあまり馴染まない、癖の強すぎる髪だと思った。
それでも、なんとなく触りたくなる。そんな髪だ。
「今日の鬼灯様はなんだか違いますね」
「……違う、とは」
「なんかとても、私の事を大事にしてくれている気がします」
「普段が酷いみたいな言い方ですね」
くい、と耳をひっぱると篁は慌てて「そういう事じゃないです」と泣いた。
「まあ分かってますけど」
「分かってるなら止めてください。……でもやっぱり、今日はちょっと違いますねぇ」
「そうですか」
「そうです」
だから、と篁は言う。ふわり、と色素の薄い髪の束が揺れて、ごくごく小さく、薄く残った噛み痕が見えた。己が残したものだと知っているのに、それは何故か鬼灯の身体を揺さぶる。
「今日はいっぱい、応えてあげます」
近い距離を更に縮めて、肌と肌が触れ合う。篁の下半身にはもう熱が戻り始めている。
「それは、貴方が致したいだけではないのですか」
「うーん、そうかもしれません。でも、鬼灯様もそうではないのですか?」
篁の前歯が、鬼灯の鎖骨を噛む。いつものように跡が残らないよう加減されたそれは、今日だけは何故か物足りなく思えた。
鬼らしく奪うようにしてしまいたい、そんな自分らしくない欲求が育つのを感じた。
「そうですね。なんとなく、そんな気分です」
「わぁ、鬼灯様目が本気だ。……私明日、仕事が出来ますかねぇ」
「出来るよう、加減します」
恐らくそれは無理な気がしたが、まあそれはそれで良いのだろうと鬼灯は思った。
篁もきっと、同じ事を思っている筈だ。