白黒的絡繰機譚

独りは怖い

郭淮が人魚的な人外のパラレル

アイツと会ったのは、湖だった。
最初は人が倒れてると思ってすげぇビックリしちまって。でも、ちょっと近づいたら違うって事は分かった。
だって着物から覗く腕には鱗が光ってたし、俺が近づいた事に気がついてあげた顔も、鱗はなかったけど死体だってもうちょっとマシな顔色してんだろ!ってくらい青白かった。半開きの口には、牙が見えてたし。

「……!」

驚いた、というか怯えたような目で俺を見る。べっちょりと濡れた顔には白髪交じりの髪の毛がくっついている。これじゃ何かっていうと幽霊みたいだ。

「あ、別に俺、退治しに来たとかじゃなくて。つか、アンタみたいな人型のは退治しない事になってるし」

人じゃない生き物はこの国に沢山いる。俺はそんな所謂バケモノを狩るのが仕事だ。人を襲ったりするからな。
でも、一定以上の位――簡単に言えば人と同じ外見を一定割合以上もつ者――は退治しない事が決められている。太古の昔にそう決まったらしい。よく分かんねぇけど。

「あ、ああ……ごほっげほっ。そう、そうですよね。そうだ、司馬懿殿がそう仰っておられた……」
「だから、安心してくれよ。てか大丈夫か?なんか倒れてたっぽいけど……」
「……陸に上がろうと、思いまして」

ぴしゃん、と水面を叩く音がした。見ると、蛇の尾の様な、でも魚の尾びれがついた不思議な尻尾が水面から出ていた。コイツの尻尾か。

「けれど、げほっ。これ以上は無理でした。私の身体は、水の中でないと溺れてしまう」
「……なあ、なんで陸に上がりたいんだ?」

純粋に疑問だった。
水の中で生きていれば、きっと何にも怯えなくて済むのに。俺はバケモノ退治くらいしか出来なくて、それで生活をしているけど、何時だって怖い。逃げ出したい。コイツみたいに、水の中でそっと暮らしていたい。そう思うのに。

「……笑わずに聞いてくださいます……か」
「え? ああ」
「淋しかったのです。ただ……げほっ、それだけです。水の中は、安全ですが、ただ冷たい。長く生きる程、私を知る者も少なくなっていく……ごほごほ」
「……」
「ですが……貴方が通りかかった、という事は、げほ、ここから出るな、という事かもしれません……ね」

まだ、この死んだ湖にも人が来る。喜ばしい事です。
そう言って、コイツは笑った。俺には、よく意味が分からなかった。
揺れない水面の方が、濁らない水の方が、絶対に過ごしやすい筈なのに、どうして。




――それから俺は、アイツ――郭淮に会うために、何度もその湖に足を運んだ。
正直、そこまで他人に構う余裕が俺にあったんだなってちょっとびっくりした。まあ、郭淮がくれた鱗のお陰もあるのかもしれねーけど。あれのお陰で、水のバケモノに負ける事はなくなった。死んじまう危険性は、ちょっとだけ少なくなった。

「郭淮」

膝をついて名前を呼ぶと、ずるりと水底から姿を現す。

「夏侯覇殿、お待ちしておりました」
「毎度の事だけど、来ただけでそんな喜ばれると、なんか、悪いな」
「とんでもない!! ……げほげほ。夏侯覇殿とお話する事が、私の活力です」
「なら良いけど」

笑って、郭淮に請われるままに話をする。俺の事、村の事、知り合いの事、父さんの事。
……なあ、郭淮。どうしてこんなに話をしてるのに、お前は気がつかないんだろうな。俺の話には沢山の登場人物がいて、でも俺はお前のそいつらに会ってみたいという言葉を何時も濁している。

「……郭淮」
「はい」
「お前はさ……」

『俺がわざと誰にも会わせないようにしてるって、気がついてるか』
ごくり、と唾と一緒に続けたかった言葉を飲み込む。その代わり、濡れた唇を塞いだ。

「……っ、かこうは、どの!不意打ちはやめていただきたいとあれ程……げほげほごほ」
「わ、悪かったって!」

盛大に咳き込む湿った背中をさすって、俺は唇だけでごめんな、と告げる。
俺がもし死んだら、お前はまた独りになるんだろうな。その時は絶対、ここで死ぬよ。だから俺の身体を抱いて、水中で眠ってくれよ、郭淮。