白黒的絡繰機譚

おに

鬼と人間

その山には、鬼がいる。
鬼はとても優しくて、強くて、そして決して――喋らない。
優しく強く人を騙して、決して言葉を発しない口で、人を食べる。

大人たちはそう言って、子供を決して山へは近づけない。大人も一部を除いて、決して近寄りはしない。
その一部に属するのが、彼だった。

「――鉄平!」

木吉鉄平
長身とそれに見合う力を備え、働き者の好青年。
もう身を固めてもおかしくない年頃なのに、彼はそれをいつも拒む。

「俺はこれ以上、何も望まない」

そう言って黙ってしまうので、何時もそれで終わってしまう。
村の女たちは言った「酷い男だね」と。笑ってそう言うのだった。

「ん、どうしたリコ」
「アンタ、また山に行く気でしょ」

幼馴染の咎めるような声を、木吉は気にした様子もなく聞き流す。

「……帰ってきなさいよ」
「リコ?」
「いいから!約束!帰って来るのよ!!」

泣きそうな顔で怒る彼女に、木吉は頷いた。

「ああ、帰って来るよ」




「――ただいま」

山の奥にある山小屋の戸を開けて、木吉は言った。
あまり明るくない小屋の中で、一つの影が動いて、木吉へと近づく。

「……」

影――長身の男は、にこりとほほ笑んで木吉を中へと促す。小屋の中の土間には、味噌の匂いを漂わせる鍋があった。
木吉は土間へと上がると、男の配膳で鍋の中身を一心不乱にかき込む。
まるで、渇きを癒すかのように。

「……水戸部」

ほぼ鍋が空になった頃、木吉が男を呼んだ。

「ごめんな。こんなところで、一人で」

村で暮らしたかった木吉と、閉鎖な村では暮らしにくかった水戸部。

「お前には迷惑しかかけられない」

村の生活は木吉の望んだものであるが、一つだけ得られないものがある。
酷い渇きを、あの村は癒してはくれない。

「すまない」

それを分かっていても、木吉は人と関わりたかった。
水戸部は人の為ならば、関わりを絶つことも厭わなかった。
だから、山には鬼がいる。

「水戸部」

木吉の腕が、水戸部を抱きしめる。
あともう少し力を込めたら、きっと水戸部は潰れてしまうかもしれない。そう思いながらも力を緩められない。

「でも、俺は」

まだ、人と関わっていたいんだ。
――そう言って、愛しい者を身代りにする鬼が泣く。

「……」

子供をあやすように、水戸部は木吉の頭を撫でた。
少し痛んだ髪の毛の中に、左右一つずつ何か――何か滑らかで固いものを切り落としたような跡――がある。
それに決して引っかからないよう気をつかいながら、ただただ水戸部は木吉を撫でた。

「……」

声にならない声で『大丈夫』だと呟いて。
声に出来ない声で『同じ鬼になってしまいたい』と祈りながら。