白黒的絡繰機譚

暑苦しい話

昼間なんて建物の外に出るもんじゃないな、と思った。

「あっちぃ……」

足に力を込める程に、高尾の意識はくらり、と傾く様な心地がした。
じりじりと肌を焼く太陽光は、こんな事――自身より体格の良い男を載せたリヤカーを自転車で引く――をするのを咎めるかあざ笑うかしているようだ。勿論、太陽にそんなつもりなどこれっぽっちもないのだろうが、数えるのも面倒な程これを繰り返している高尾からしてみれば、そんなとばっちりもいいとこな思いを抱いても仕方がないだろう。

「高尾、ペースが落ちているのだよ」
「……っ、むちゃ言うなって……」

高尾がペダルを踏みしめて前へと運ぶリヤカーに載るのは、緑間真太郎。キセキの世代の一人と言われる天才だ。
そんな彼も今はただ今日のラッキーアイテムだという花柄とフリルのついた日傘の下で、汗だくの高尾に文句を言うだけだ。このリヤカーを引っ張るのも慣れてしまった高尾であるが、それでもすれ違う人達からの視線は痛い。けれども緑間はといえば、何も気にした風はない。天才となんやらは紙一重とはよく言ったものだ。

「あ、もう無理。マジ無理……。真ちゃんお願い、代わって」

道の途中、ブレーキをかけて振り向き懇願する。

「断る」

しかし返事は平坦かつ冷淡な声で一刀両断。

「ひど!真ちゃん酷い!」

勿論高尾も、ここで緑間が「仕方がない。代わってやるのだよ」と言い出すとはこれっぽっちも思ってはいない。しかし、それでもと期待だけはしたいのだ。天才だけど変人で、合わないけれど会ってしまったのだから。

「負けた者が漕ぐのだから、お前が疲れたからといって代わる理由はないのだよ」
「代わってくれなくても『では少し休もうか』とか『仕方がない、何か冷たいものでも奢ってやるのだよ』ってするのがダチじゃないの真ちゃーん……」
「……」

自転車のハンドルのぬるさすら、という様に高尾は額を押し付ける。
あついあついつかれたー、と幼い子供の様に繰り返す様子を、緑間は苦虫をかみつぶした表情で見つめていた。

「真ちゃーん」
「……なんだ」

半分とろけた高尾の視界に映る緑間は、いつも通り不機嫌そうで、神経質そうで、マイペースで。
暑さと疲れで複雑な思考なんて出来ない高尾には、それがとてつもなく苛立ちを煽るものに感じられてしまう。

「じゃんけんしよーぜ」
「何故そうなる」

代わらんぞ、と告げてみても、高尾は表情を変えない。

「ちょっとだけ、休憩。な?」

ホントもう無理なんだわ。
へらりとした笑顔は緑間の苛立ちを増長するけれども、そこにはしっかりと疲れが滲んでいて。

「仕方がない……。一回勝負、もし俺が負けるような事があったらお前に何か奢ってやらんでもない」
「やり。今日こそ勝っちゃうぜ?」
「ふん。人事を尽くしている俺が負ける訳がないのだよ」

振りかぶった掌の結果は。



「あっつぅ……。負けるしサイアク」
「俺が負ける訳がないのだよ」
「はいはい。……ま、休憩してくれるだけ今日の真ちゃんは優しいかもね」

じゃんけんの結果は言わずもがな。
高尾は恨みがましく自分の開いた掌を見つめながら近くの木陰へと自転車とリヤカーを引き摺り、更に道路の反対側にある自販機へと走る事になった。
自分用のコーラと緑間の緑茶――流石にこの暑さでは緑間もおしるこを飲もうとは思わなかったようだ。そもそも、売ってもいないのだが――を買って帰ってくれば、やはりゆったりとくつろぐ緑間が無言でそれを受け取った。

「生き返るわー……。自販機最高」
「飲み物を味わう時くらい黙ったらどうなのだよ」
「いやいや、喉の渇きが癒されると声が出るもんじゃん?こう暑い日に冷たいもの飲んだら普通出るっしょ」
「俺は出ん」
「まあ真ちゃんはそうでしょうけど」

ぐだりぐだりとした会話を交わしながら、高尾と緑間は冷えた飲み物で喉を潤す。
しかし、木陰と言えど直射日光が当たらないだけまし、というだけで、すぐ慣れた身体はもっと、と冷たさを求め始める。汗をかいたアルミ缶の中身は、慣れる前に空になってしまっている。

「てかさー……真ちゃん暑くないの?」

ゆったりとしたペースで緑茶を飲む緑間に、高尾が訪ねる。
部活帰りの二人の格好はいつものジャージなのだが、元から上着なんぞ着る気がない高尾の横で緑間はというとぴっちり几帳面にボタンまで留めている。

「お前とは違うのだよ」

――その態度とか、余裕とか。ほんと、本当に、ムカつく。

「真ちゃんってさぁ」

勿論高尾は緑間の事が嫌いではないのだが、それでも。

「……暑苦しいのだよっ、と!」

口調をまねて、まるで噛みつく様にして顔を近づける。
びくり、と珍しく怯えた様な緑間に少しだけ溜飲が下がるような気がした。
その隙に、と高尾の右手の指はするりと緑間の首元へと導かれていく。そうして辿り着いたスナップボタンをぷちり、と外すと高尾はにぃ、とほほ笑む。

「その方が涼しそうだし、セクシーだぜ真ちゃん」
「高尾……」

緑間の声が震える。

「あらー?真ちゃん何されると思ったの?まさか……」
「そんな訳ないのだよ!!」

くい、と眼鏡を上げつつ反論してみても、高尾の顔に張り付くのは「分かってるから」とでも言いたげな表情だ。それがどうにもイラついて、何時も緑間はそれを抑えこみたくなる。
決して、そうしたい訳ではないのに。

「はは、分かってるって。真ちゃん一応そういう趣味ないもんね」
「……侮辱してるのか?」
「まさか」
「高尾」
「いや、冗談だって。怒った?」
「……フン」

顔を背けて、一呼吸置く。
視界の端に、高尾が少し焦っているのが見えた。

「高尾」

呼べば、焦った表情を隠して自分を見つめてくる。
それがやはりイラつくけれども、どこか愛おしいと感じるのは緑間が高尾という存在に慣れきってそれ以上の感情を抱くようになったからだろうか。そして、それと恐らく同じものを高尾も返しているからだろうか。

「確かに、暑いな」

気温か、体温か、それ以外か。
緑間に明確な言葉を与える気は毛頭ない。全て気がつけ、としか思わない。
殆どの人間は、気がついてくれないというのに。

高尾だけは、気がついてしまう。
言葉の意味も、伸ばしたテーピングの指の孕む意味も。

「……真ちゃん」
「何なのだよ」
「いや、暑いわここじゃ」

大体昼間の野外はヤバいんじゃない?
なんてへらりと言う高尾に、何故かすとんと緑間の精神は平穏を取り戻す。
いや、それを通り越して変な余裕が生まれてすらいる。

「これくらいなら平気なのだよ」

と意地悪く笑った緑間の顔は、同じ日傘の下にいる者にしか見えなかった。
そして、

「……やっぱあっついわー……」

という何かの熱に負けた声も、彼にしか。