白黒的絡繰機譚

その指の先に光がある

手を伸ばしても、何も触れられない世界に生きてきた。
だからこそそれを補う能力を持った。
相変わらず触れられる訳ではなかったが、それでも何かを得る事は出来た。
そんな俺に拠り所をくれたのは、誰でも無いあの方。あの方に触れようとは思わない。
俺には、その資格が無い。
ただ、あの方の為に生きて、そして死んで行くのだろう。
そうだと、信じていた。

「これは……この前と同じ、か?」

出された紅茶を一口啜って問う。俺の味覚がおかしくなければ、これはつい数日前に飲んだのと同じものだ。
紅茶の味の違いを教える、と言って毎回違う葉を使っていた筈なのだが……所謂、テストなのだろうか。

「何を言って……そんな筈ないでしょう」
「だが」

いつの間にか習慣になったこの時間、悪の救世主の館は、意外にも所帯じみ、そして和やかであったりする。
幸運にもその時間に館にいた者、それが味わえる特権、ありがたい事に、俺はかなりの頻度でここに座っている。
単に俺が、遠出にあまり向かないというだけなのだが。
そんな中稼いだ経験値、お前には敵わないかもしれないが、俺の舌だって馬鹿じゃない。
テレンスに言わせれば、煙草を吸う奴の味覚は信用できないそうだが。
ともかく撤回する気のない俺にいら立ったのか、テレンスは俺の手からカップを奪う。
一口飲むと、息を飲んだのが聞こえた。

「……失礼。確かにこの前と同じです」

テストではなかったか……ただ単に、間違えた?
しかし(本人はけして認めはしないだろうが)兄と同じで神経質なテレンスが……まあ、そういう事もたまにはあるのだろう。
が、本人はというと、それを認めたくないらしい。

「…………」

平静を装って置かれたカップが立てた音は、震えていた。
これしきの事で動揺?流石に繊細すぎやしないかそれは。

「淹れなおしてきます」
「別に俺はこれでも構わないんだが……」
「私が構うんです」

声が明らかにイラついている。
これは余計な事を言わない方が良い。淹れなおしたいのなら、好きにさせるべきだろう。

「……何かあったのか」
「別に貴方に心配される様な事はありませんよ。ええ、ありません」

ムキになっているのだろうか。
確か21だと聞いていたが……随分と、子供っぽい。
これでDIO様に気に入られているというというのは……いや、そこは俺が何か考える事ではない。
あのお方のされる事に、俺なぞが何か思う事は許されるはずもない。
兵隊は兵隊らしく、ただ命令をこなすだけで良い。忠誠を示すだけで良い。

「そうか……」

ああ、でもそうだと理解し、実践している筈だというのに。

「ええ、そうです。まったく……ああ、もう……!何で私は……!」

息を飲み、そして肩から力が抜けた様な声。

「今度はどうした」
「……茶菓子をね、忘れたんです」
「ああ……そういえば確かに、茶器の音しかしない筈だ」

足音と、トレイに載った茶器の音。
何時もはそこにフォークと、紙箱や紙袋といった、菓子の容器の音がするのだが、今日はそれが欠けていた。

「ンドゥール……なら、言ってください……」
「そう言われてもな。無茶を言わないでくれ」

流石に音だけの判断では、茶菓子があるかどうかまでは分からない。
今までは確かに、毎回音がしていたが……今回もそうであるとは限らない。
何より、このような事は本来俺の領域ではないのだ。
……そう、こうして誰かと同じものを共有する、そんな事は、今までなかった。

「それはそうかもしれませんが。――なんというか、淹れなおしてくる気が失せました」

溜息、そして少々乱暴に椅子に腰かける。

「そうか」

カチャカチャと茶器の音が響く。
そしてその後は、お互いにただ喉を潤すだけだ。

「……はぁ」
「…………」
「なんですか」

少し、イラついた声
それ自体はよくある――寧ろ殆どがそれといっても良いかもしれない――のだが、それよりも俺には気になる事がある。

「それはこちらの台詞だ。お前こそなんだ?」
「何もないですけど」
「それだけ心拍数を上げておいて何を言うか」
「な……っ」

平常時とは言い難い心拍数。
こんなに近くにいて、聞こえない訳が無い。
もしかして、聞こえてないと思っていたのか?
持ったままのカップから、一口啜る。
少しさめてきたそれは、もう残り少ない。

「…………」
「……聞かないんですか」

テレンスの心拍数は、未だ早いままだ。

「聞く? 何を」

……実のところ、俺は何故そうなっているのか、ある程度の予測はついている。
だが、まだだ。
もうこれ以上、空を切るのは嫌なんだ。

「……何でもないです」
「そうか。テレンス、もう一杯貰えるだろうか?」

俺という存在は、やはりあの方の為にある。
それだけは、未来永劫変わる事のない、事実だ
けれど、ここは……ここは、俺にとって恵まれ過ぎていて、手を伸ばしたら何かがあって、誰かがいる。
その所為で、俺は少しずつ確実に、傲慢に、欲深くなっている。

「ええ……」

差し出したカップが、注がれた紅茶で重くなる。
それを置いて、俺はテレンスがいる正面を見据える。
……勿論、何か見えているわけじゃない。
けれど、俺は見ている

「ンドゥール、なんですか……?」
「まだ、早いな」
「……っ!……誰の所為だと……」

掠れる様な小声でも、俺には聞こえた。
俺は、欲深くなってきている。
けれど俺は所謂悪人らしく――小心者でもある。
だから、手を伸ばすのが怖い、空を切るのが怖い。
それはお前も同じ事だろう。

「俺の所為だな」
「……!」

手を伸ばす
触れたのは……頬だろう
少し熱いそれは、俺の手を拒まない

「テレンス」
「…………」

心拍は相変わらず早い。
しかも、先ほどよりも早くなっている。
……これを知れるのは、ある意味この目が見えるより真偽が見抜き易いのではないだろうか。
最も、目の前にそれに長けた奴がいるのだが。

「俺に言う事があるんじゃないか?」
「……ありませんよ、そんなもの」
「嘘だな」
「……っ、貴方こそ、私に言う事でも、あるんじゃない、ですか?」
「……ああ、それはお前と同じ用件だから、気にするな。二度手間だろう」
「な……っ」
「で、お前を俺に何を言おうとしているんだ?」
「だから言う事なんて……! ンドゥール、貴方からかっているんで、しょう……」

語尾が小さくなる。……ああ、スタンドを使ったか。
……あの方の為だけに、この命はあると確信した筈だったというのに。
それをどうして崩されたのだろう?よく、分からない。
けれど、そのきっかけがどうであれ、伸ばした先があるというのなら、俺は手を伸ばそう。
――立ち上がる。
身を乗り出して少し屈むと、唇は肌に触れた。

「まだ言う気にならないか?」
「……ンドゥール、貴方は……しかしその……それは友情の、ではないですか?」
「そうなのか? なら、本当ならばどこにすべきだ?」
「それは普通に……」

ならば、この這わせた指の先に、
そしてそこから、俺の望む、光を。