白黒的絡繰機譚

付き合うという事

地木流二重人格(通常=地木流、キレモード=ハイド)という設定の二階堂×地木流&ハイドな話

酒の力は偉大だと思う。

「いいですよ」

酒の力を借りてするりと口から出た言葉は、ビックリするほどあっさりと受理された。
そのお陰でほろ酔い気分は綺麗に吹き飛んでしまい、

「地木流、お前酔ってるのか」

なんて間抜けな返答をする羽目になった。
そもそも、最初から今までビールを何杯も飲んでいた自分と違い、地木流が飲んだのはウーロンハイ一杯だけだ。あまり強くない、とは言っていたが、これくらいで酔うほど弱くもないという事は、とっくに知っている。

「酔ってませんよ。二階堂、貴方こそ酔っていた癖に」
「あ、ああ。そうだな……」
「でも、貴方は酔ったからといって先ほどの様な台詞を誰にでも言えるような人ではない事くらい、私は知っていますよ」

氷と、それが溶けた一口程の水しか入っていないグラスをカラカラと揺さぶりながら地木流が言う。
確かに、俺はそういう事を誰にでも言える様な人間じゃない。
そして、地木流もまた、誰にでもあんな風に了承できるわけでない。それは性格柄、という事も勿論あるが、それ以上に大きな――とてつもなく大きな――問題があるからだった。

「で、ですね。二階堂、一つだけ約束して欲しい事があるんです」

淡々と地木流は話す。きっともう、相談は済んでいるのだろう。でなければ、こんなスムーズに言葉が出てくる訳がない。

「約束?」
「ええ。貴方が付き合うのは、地木流灰人。貴方も知っている通り、それは私だけじゃない。ですから私達を、絶対に間違えないでください」

私達。地木流灰人という人間の中に存在する二つの人格。
今俺の目の前にいる地木流灰人と、それに寄り添うように存在するハイド。
お互いがお互いを認識し、尊重し、まるで最初からそうだったかの様に二人は存在していた。
俺も初めは驚いたが……もう、慣れた。そして慣れたどころの話ではなくあんなことを言ってしまった訳だが。

「別に約束なんかしなくとも……。今までだって間違えた訳じゃなし」

地木流とハイドを見分けるのは、特に難しくはない。明らかに雰囲気も、言動も、何もかもが違うのだ。
そう思いつつ俺が返事をすると、地木流はにこりと笑った。
……ああ、これは逆鱗に触れたか。
温厚そうに見える顔が歪む。

「……うっるせえなぁ。ガタガタ言わずにここは『分かった』って言っときゃいいんだよ」
「ハイド」

名前を呼ぶと、睨むようにこちらを見る。
ハイドという名は、地木流がくれたのだと聞いた事があった。ハイドにしては珍しい、それはそれは嬉しそうな声で言われたその言葉に、俺は何を思ったのだったか。

「二階堂、俺達は別に、酔っぱらいのガキみてぇな告白を真に受けてやらなくたって何にも困りゃしねぇんだ」
「……そうだろうな」

地木流とハイドは二人だけで完結していて、あまり外と深く関わろうとはしない。共通の趣味であり仕事であるサッカーに関する事はまた、別のようではあるが。

「だけどまあ……アイツが、アレはお前なりの一生懸命だとか何とか言って返事をしちまったから仕方ねぇ」

俺は嫌だって言ったんだ。そう吐き捨てると、ハイドはグラスに残る水を飲み干す。薄くなった氷がカチャンと軽い音を立てた。

「地木流が、勝手に?」

あまりにも珍しい事に思わず声をあげる。
地木流は、自分よりもハイドを立てる傾向がある。それは傍から見ている俺などからすればとても違和感のある事なのだが、本人達にとっては普通の事らしい。それはまるで、地木流が主人格をハイドに譲ろうとしている様に俺は感じられた。

「そうだよ。つったくアイツは……何考えてんだ」

だが、実際にはハイドはあくまでも裏人格で、出てくる頻度や時間もそれほどではない。その所為もあって、校内でも二重人格である事を知らない人間は多いらしい。
多分、その方が良いのだろう。普通じゃない事は、必要でなければ言わない方が良い。公言していれば受け入れられるなんていうのは夢物語だ。それは俺なんかよりも、本人が一番良く分かっているだろうが。
そういえば、どうして俺はそれを知っているのだろうか。泡の消えうせたビールを流し込む。同じ職業だとはいえ、職場が違えば交流の機会なんて殆どない。出会ったのも、本職の教師ではなく、サッカー部の監督としてだった。
練習試合をし、翌日が日曜だった事もあり飲みに誘った。サッカーの事を話し、お互いの事を話し……そうだ、その流れで言われたんだ。

『試合中の私、どう思いました?』
『どう思った……と言われても。試合になると熱くなるんだな、とは思ったが……』
『熱くなる。そうですね、熱くなっちゃいますね……彼が』
『彼?』
『ええ、彼――ハイド、というんです。』

今思えば、ほぼ初対面の人間によくそんな事を言ってきたものだと思う。だが、それが無かったらこうやって飲みに行くような関係になる事も無かっただろう。

「――とにかく、返事しちまったもんは仕方ねぇ。アイツの意思を俺が曲げるのもどうかとは思うしな。だから二階堂、間違えるな。地木流灰人は一人じゃない。もし間違えたら……それで終わりさ。何もかも」

グラスが机に置かれた。カタンと軽めの音を立てたそれに俺の顔が映っている。その表情は何とも微妙で、自分の顔だというのに吹き出してしまいそうだった。




********




「……待ったか?ハイド」

何だかんだであの日から3ヶ月ほど経った。
今のところ、俺は地木流とハイドを間違えてはおらず、ある意味二股であるこの関係はありがたい事にちゃんと続いている。
お互いにいい歳した男ということもあり、段階を進むのは早かったがこうやって飲みに行くのは久しぶりだ。
確か、最後に行ったのはあの日だ。

「……遅ぇんだよ、二階堂」
「悪かった」

少し間を置いてから、俺の方を睨む。今日、待ち合わせ場所で待っていたのはハイドだ。
……俺が声をかける寸前までは、地木流が待っていたが。

「つったく……今日は6時終わりじゃなかったのかよ」
「その予定だったんだが……。明日が休みならもう少し、ってやる気のある奴が多くてな」
「そうかよ」

目に見えて苛立っているハイドが、それを隠すかのように顔を背ける。
少し前までは、その動作がなんの為に行われているか分からなかった。

「地木流」
「……はい。スイマセンねぇ、ハイドが。私は別に大丈夫ですから」
「いや、俺が遅れたのが悪いんだ。せめてメールでもするべきだったな」
「次からはそうして下さいね」

顔を背ける。会話を切る。返事が遅れる。
それらを合図に二人は入れ替わる。スイッチを切り替える程単純ではないだろう人格の入れ替わり。それが行われるには、少し時間が必要なんだろう。
けれど、前まではそんな時間を分かる様にした事はなかった。3か月前のあの日から始まった。
何時までも立っている訳にもいかず、歩きだす。目的地はもう、メールでお互い把握済みだ。

「……地木流」
「なんでしょう」

地木流、と呼べば地木流が返事をし、ハイド、と呼べばハイドが返事をする。どちらが表に出ていても、入れ替わる為に会話に不自然な間が出来ようともそれは必ず行われる。
……二人とも俺がきっと気がついてないと思っているんだろう。

「……いや、何でもない。そうだ。遅れたしな、今日は俺が出そう」
「……お、やけに気前が良いな。手持ち大丈夫かよ」
「お前達と会う時は、ちゃんと入れてきてるさ、ハイド」

ちらりと顔を見る。また入れ替わっている。少し目つきの悪いハイドだが、それを少しほころばせて嬉しそうにしている。ハイドの方は顔に出やすい。
地木流であれば、顔に出るのではなく足取りが軽くなる。
二人は似通っているが、微妙に違う。だからこそ、俺に間違えるなと言ったんだろう。
それは分かる。分かるんだが。

「なあ、地木流、ハイド」

両方の名前を呼ぶ。一体どちらが返事をするのだろうと思ったが、どちらも返事をしなかった。表にどちらが出ているかは、少し歩調を落として一歩後ろを歩いている俺には分からない。とりあえず聞こえていない訳ではないと思うので、言葉を続ける。

「俺は、お前たちを見分けられないと思われているのか」

最初の約束、あからさまな合図。俺には決して知ることのできない、地木流灰人という人間の奥深くで示し合せて行われているのだろうそれは、分かってしまえば俺を不安にするだけだ。
それに、この関係も合意といえば合意なのだが、地木流もハイドも俺に分かる言葉や態度を示してくれてはいない。否定されない限り、俺がそれに甘え続けるだけの温い関係。大人になるという事はこういう事かと笑い飛ばしてしまいたくなるようなものだ。

「二階堂」

俺を呼ぶ声。この穏やかかつ、少し間延びした様なトーンは地木流のものだ。

「別にそうは思ってませんよ。寧ろ貴方は、驚く位正確だと思います」
「なら」
「単に、私達の我儘なんです」

「心配だったんです。どちらかだけが気に入られるのも、どちらとも気に入られないのも」
「……だから俺達は、二階堂、アンタに求められる方が表に出る事にしたんだ。頻繁に入れ替わってたのも、そこを知りたかったからだ」
「……けど、二階堂。貴方は私達のどちらにも平等でしたね。驚きました。私達の可愛い部員以外に、そんな人がいるなんて思いもしなかった」

くるくると地木流とハイドが入れ替わる。それを誰にも気がつかれないようにする為か、歩調はどんどん速くなっていく。
俺はそれに必死でついて行く。顔は見ない。きっと、見られたくない筈だ。

「最初はハイドが『どうせ俺なんか』なんて言ったりしましてね。態度がキツかったのはその所為なんですよ」
「…………」
「……言ってねぇ!おい二階堂、さっきのは嘘っぱちだぞ。アイツこそそんな事言ってたんだからな」
「…………」

足が止まる。人の多い道の真ん中で立ち止まるなんて、迷惑極まりない。けれど、俺の頭は足を動かすという命令をする余裕がない。なんだ、さっきのは。

「…………」

つまり、アレか。俺が抱いていた不安は杞憂どころか見当違いだったという事だろうか。自分に都合の良い受け取り方をしてしまえば――。
数メートル程先で、アイツも立ち止まる。顔を伏せたまま、つかつかと人を掻き分け俺の前まで来ると、グイグイと腕を引っ張ってそのまま早足で歩いて行く。

「お、おい」
「…………」

引っ張られる力はかなり強く――多分、今俺を引っ張っているのはハイドだ――速度もどんどん速くなる。殆ど走る様な速度でハイドは俺を引っ張り、進んでいく。引っ張られるままの俺は、何故か変に冷静になっていた。
もう、飲み屋を通り過ぎたんだが。多分これは気がついてない。

「ハイド」
「…………」
「ハイド、おい、もう」
「…………」

ハイドの足が止まる。つんのめってぶつかりそうになったが、何とかこらえる事が出来た。

「ハイド、もう店を通り過ぎたぞ。で、ええと、さっきのは」
「言うな!」

真っ赤にした顔をあげたのはハイドだ。ここで何か言葉を発したら、絞め殺すと言わんばかりの顔で俺を睨む。
が、その表情は一瞬で目尻から崩れ、見る間に地木流の顔になっていく。

「……二階堂」
「地木流」
「その、さっきのはですね……。ええ……その……」

地木流の顔の色は、先ほどと変わらない。もうお互いに、直接言うなんて事、恥ずかしくて出来やしないんだ。勿論、言わなくても分かるくらい大人になってはいるんだが、それでも。

「地木流、ハイド。……店、行こう。予約の時間にも、なっているし」
「え、あ、ああ。そう、ですね」

多分、答えは酔えば知る事が出来るだろう。

「……ハイド」
「なんだよ……。ホント、お前はすぐ、気がつきやがる。……つったく」
「分かってるからな、俺は。……きっと誰よりも」
「はっ……。どうだか」

きっと今日は、コイツのペースも速い筈だ。そうでなくても俺の金だ、しっかり飲ませてやるさ。