白黒的絡繰機譚

きれいなめ

ED後時間軸 幽霊馬乃介います

今日もまた、いた。
昨日と、目を閉じる前と少しも変わらず、何とも言えない表情でぼたぼた半透明の血を首から流しながら。
はぁ、と溜息を吐いて見なかったフリをする。
どうして俺は、この事実に狂ってしまえないんだろう。きっとそうすれば楽な筈なのに。どんなに願っても、俺の精神は恐らく正常なままだ。だって見えるんだ。いるのが分かるんだ。見てるのが分かるんだ。何か言おうとしてるって知ってるんだ。

「……そうだ、今日は」

今日は、了賢さんからチェスの誘いを受けてる。
勿論行くつもりだ。けど恐らく――いや、確実にコイツがついて来る。
気が狂えば良いと望む日々の中で、分かってきた事がいくつかあった。
まず、コイツはどうやっても喋れない。死んだ時そのままにナイフが刺さった喉は、身体なんてない癖にその性質に縛られているらしい。ぱくぱくと口を動かしながら半透明の血を垂れ流す姿が、一体何度視界に入った事だろう。
そして、コイツは俺から離れられず、誰にも認識されない。所謂背後霊のように、俺の手の届くほどの範囲以上には移動できない。大体背後にいる様だが、誰にも見えないらしい。こんなグロいもん、見えたら普通叫ぶよな。
つまり、俺だけを苦しめる為に存在しているんだコイツは。ああ、早く死ねば良いのに。もうとっくに死んでるけど。




「――随分と、苛立っておるようだの」
「……そんな事は。俺の事なんて良いじゃないですか了賢さん。チェス、するんでしょう?」

座布団の上に正座をして、盤に向かう。それを確認して、独房の扉ががちゃりと閉まった。
ちらり、と後ろを窺うと、やはりいる。でもその視線は、何時もと違い俺ではなく、盤の上に向けられていた。
お前は知らないんだよな。お前がチェスをやってたのは俺じゃねぇよ、この人だ。

「そうだったの。さて、続きは小僧からだったか」
「でしたね」

盤上を見つめる。
すると、そこに半透明の指が映った。

「……ッ」

思わずしてしまった舌うちに、了賢さんの膝でくつろぐクロがぴくりと反応した。了賢さんはというと、それに気付いていないのかひたすらクロを撫でている。
どうするか、と一瞬考えてから駒を動かした。――その指が指した場所に。
口頭で位置を告げれば、満足そうに頷き、次の手を考え始める。

「のう、小僧よ」

了賢さんの見えない目は盤上を見つめ、右手はクロを撫でている。
俺の事も、俺の背後の事も何一つ、関心は無いのかもしれない。それはとても嫌な事なんだと思う。

「なんですか?了賢さん」
「一応僧の身である所為か、それとも多く人を殺めた所為か……。分からない方が良い事まで理解する事が出来る、というのは面倒だと思わんかの」
「……」
「ひたりひたり、とな、聞こえてくるのよ。小僧、お主の背後から血の滴る音が」
「……!」
「それに先ほどの手、……どうも、覚えがあっての?」

にやり、と了賢さんが俺に笑いかける。

「男の身でそれが出来る者がおるとはな。勿論望んで『それ』を呼んだ訳では決してなかろうが」
「……っ、こんな奴……俺は……」
「だが、小僧よ。お主が少しでも『それ』を気にかけなければ、死者がこちらを覗けることなど有り得ぬ。そして『それ』にも、応えるだけの想いがあったのだろうて」
「はっ!俺を恨む為?……呪う為?……追い詰める為……?」

口にそう出しつつも、違うと心が叫ぶ。
俺を見る表情が、決して触れる事のない手を、俺は知っている。知りたくなかったけど。
でも、コイツは俺を苦しめるんだ。

「さぁての。拙僧には声無き『それ』の事は分からんよ」
「了賢さんの嘘吐き……」

きっと了賢さんの事だ、俺の後ろにいるのが誰なのか、どういう関係だったのか、どうして死んだのか全部全部、知ってるんだろう。

「嘘なぞ吐いてどうする。小僧、手が止まっておるが、投了か?」
「ま、まさか」

白く濁った目が、俺を見つめる。
そこには俺もアイツも何も映っていないのに、全部見透かされている様なそんな気がした。

「了賢さんとのチェスで、投了なんて出来ないよ」

半透明の指が、次を示していた。