白黒的絡繰機譚

上だったり下だったり

「分かった! 前髪だ!」

そう叫んで希月さんが立ち上がったのは、特になんてことはない昼間のことだった。
みんなで昼飯食べて、相変わらず弁護の依頼はこないなあなんて、まだちょっと皆働く気分にはならなくて……なんて空気の中でのことだ。

「ココネさん、オドロキさんがどうかしましたか?」
「みぬきちゃん、希月さんは前髪としか言ってないじゃないか……」

オレの言葉は誰の耳にも届かなかったのか「ずっと考えてたんです!」とやや興奮気味な希月さんの方を成歩堂さんもみぬきちゃんも見ている。
はあ、とため息を吐いてとりあえず流れを伺うことにした。

「今の夕神さんって怖がられること多いじゃないですか。でも身長とか服装とかは昔と変わらないし、じゃあ一番どこが原因なんだろう……って考えてたんですよ! で、分かったんです! 前髪だって!」
「前髪? 目つきじゃなくて?」

成歩堂さんが首を傾げる。普通に考えたら、やっぱりあの眼力というかなんというか、そういうところだと思うよな。オレも今だに法廷で睨まれると一瞬怯むし。

「目つきじゃないんです。ほら、見てください」

希月さんがモニ太で展開したスクリーンに二枚の写真を並べる。うん、やっぱり昔のユガミ検事は優しそうなお兄さんって感じで、今みたいな一つ間違うと抜刀してきそうな雰囲気じゃない。

「ほら、今の夕神さんの目つきって、前髪が伸びたせいなんですよ」

二枚の写真を重ねたり透かしたりして比較すると、鋭い目だと思っていた大半は前髪で見える範囲が変わっているためなのがよく分かる。

「へー、確かにこれだけでだいぶ変わるねえ。……もしかして伸ばしっぱなしなのって、心理操作のためかい?」

成歩堂さんが顔を向けた方向に全員が振り向く。そこには、今話題の人物が扉を開けて佇んでいた。

「……さぁてねェ。俺の前髪よか、泥の字のがよっぽど印象変わるだろ。下ろすと別人だぜ」
「ちょ、ユガミ検事!!」

俺が思わず声を上げると、三人が目を見開いてオレとユガミ検事を交互に見ている。
……どうしてオレが会話に積極的に入らなかったのか、どうしてユガミ検事がオレの前髪を下ろした姿を知っているのか。そして多分、オレの一声に混じったであろう色々なもの。そこから生じるものを、この人達はみんな掴むことができる。
今だってきっと、その掴んだものが示すのは何なのかきっと、考えている。
どうすればいいのか分からないけれど、とりあえず笑いを堪えながらオレの方へやってきたユガミ検事の足は踏んどいた。








「――アンタが帰った後も、大変だったんですからね」

唇を尖らせた泥の字が言う。恨めしげにこっちを睨みつけちゃあいるが、前髪が目にかかっていてもちィっとも怖かねえ。

「へえ?」
「みぬきちゃんと希月さんがもう、何から何まで話させようとしてきて……。成歩堂さんはほどほどにね、とは言うけど止めてくれないし……」
「そりゃ、災難だったなァ。女ってのは、人の色恋沙汰になんでもかんでも首突っ込みやがる」
「発端を作ったのはアンタだろうが!……あー、もう……」

ちゃぷ、と水音が響く。
湯の中にあった泥の字の右手が、俺の額から濡れた前髪を梳き上げる。
コイツはどうも、テメェと違って普段見えねェ俺の額を風呂ン時に見るのが結構気に入っているらしい。昼間の事を愚痴りつつも、普段どおりその一端となったコレを今夜もやってくる。

「普段と変わるかィ?」
「まあ、多少は?」
「素直じゃねェなァ」

こっちも手を伸ばして泥の字の前髪を少し横に流す。
おめぇさんはやっぱり、こうして目もデコも出てたほうが似合ってるな。
それでも、まァ、

「互いしか見れねェってのが、イイ」

そうだろ?