白黒的絡繰機譚

苛めないけど聞いてはやると彼女は決めた

ED後夕神姉弟のみ。オドロキくんは出ません

「面会の度に、アンタがシャバを満喫してるのが分かって安心するわ」

アクリル板越しに投げかけられた言葉に、夕神は訝しげに片眉を持ち上げた。最も、分厚い前髪の下なので誰にも見えはしないのだが。

「おかげさんで、ムショの中より死にそうな程仕事を押し付けられてるぜェ」
「ならちゃんと言いなさいよ『ありがとうございますお姉様』って」

冗談のような本気の声色でそう宣う実の姉・かぐやへ、長い溜息を返事の代わりにする。
勿論今の多忙は彼女の文字通り捨て身の行動の上に成り立っているので、感謝の気持ちは尽きない。だが、この姉相手にそれを言っていてはきりがない。

「仕事の方の意味じゃないのよ、さっきのは。ムショの中のアンタは……もう全部酷かったわよね。わりと良かった見た目が、どんどん荒んでいくし」
「ムショにブチ込まれりゃ、誰だってそうなるだろうがァ」
「わたしちょっとだけ、アンタが坊主頭になるんじゃないかってハラハラしてたのよね。そうしたら切らないで伸ばすからそっちなんだって。それなのにシャンプーも買わないから見る度にぼさぼさパサパサになって……」
「俺の髪を刈りてェ奴なんざいなかったからな。シャンプーだなんて面倒が増えるだけだろうがァ。風呂の時間は短ェんだ、んなことしてられるかってンだ」

刑務所の入浴は、毎日ではなく時間も短い。
風呂とは足を伸ばして湯船に浸かってなんぼである、と思っている夕神は、芋洗いの如く混み合う浴場でそれを実行するために、他にかける時間をとことん切り詰めることとした。その結果が石鹸一つでの全身丸洗いである。幸い肌も髪もそこそこ強く、酷い有様にはなっていない……と本人は思っていた。が、やはり見た目に気を遣う女性目線からするとあのような評価になるらしい。
それでも検事局長の計らいによって法廷に立つようになってからは、事前にシャワーを浴びることも出来たので多少は改善していた筈だ。

「アンタって本当に……まあ今更言っても仕方がないか。でもここのところ、面会の度にマシになってきたなって思ってるの。昔どおり……とはいかないけど。アンタもアラサーだしね」
「アラフォーの姉貴に言われたかねェなァ」
「ん?何、ジン?」
「……何でもねェ」

へそ曲がりだの捻じくれてるだの、散々囁かれているし自覚もある夕神だが、どうであろうとやはり姉という生物にはどうしても多少腰が低くなってしまう。こればかりは弟として生を受けた都合上割り切っていかなければいけないのだろう。

「で、聞きたいんだけど」

かぐやがアクリル板に額をぶつけそうな程身を乗り出す。その表情は、幼少期によく見たものに近い。

「アンタ、彼女出来たんでしょ」
「……」

夕神は返事をしなかった。返事をしてもしなくても結果が変わらないことを、よく知っているからである。

「今のアンタが、今更見た目に気を遣うようになるとは思えない。なら他人から干渉が入ったって考えるべきでしょ」
「まあココネにゃ、会う度に色々言われるがねェ。毎度毎度じゃ面倒くせェから、ちぃっとばかしは聞いてやるようにしてるぜ」

とは言っても、彼女自身も自分の身で手一杯という有様なので、実際口出しの量は夕神からの方が多い。食生活などはもっとどうにかしてもらいたいものである。

「そりゃアンタはお姫サマに言われれば多少は聞くでしょうけど……こんな見て分かる程変わるわけないでしょ。お姫サマよりもっと身近に、頻繁に、実質的にやってくれる他人なんて、わたし以外なら彼女作るくらいしないとあり得ないわよ」
「テメェが他人に世話を焼く質だァ?冗談も大概にしやがれ」
「こんな献身的なお姉様に何を言うのかしらこの子は。とにかく吐きなさいよ。ほら、ほらほら。クソ真面目なアンタがこの短期間の間に口説いて付き合うなんてねえ……」
「彼女なんてェモンはいねェし、いたとしても言うわきゃねェだろォ」
「ふーん、そう。じゃあイイわ、オドロキくんに調べてもらうから」
「……なんでそこで泥の字が出てくるンでェ」
「だってアンタ以外に会いに来てくれるの、オドロキくんくらいだもの。あの子優しいし真面目だから、きっと頷いてくれるでしょ」
「なんでも事務所つっても、限度があるだろうがよォ」

夕神は本日二度目の長い溜息を吐いた。やや思案して、口を開いた。

「仕方ねえ、出所までは隠しとこうと思ってたンだが……」
「気が変わってくれて何よりね」

かぐやは心底面白そうに笑っている。刑務所での日常に彩りがないことは、夕神自身がよくよく知っていた。世間では心底どうでもいい、取るに足らない事柄でも、箸が転がるが如く話の種になるのだ。そうでもしないと、後はもう過去を想って涙を流し続けるしかない。
だからと言って、弟の色恋沙汰に首を突っ込んでほしいわけではないが。

「俺の知らねェとこで好き勝手言われたかァないンでね。……姉貴の読み通り、付き合ってる奴はいる」
「! アンタがねえ……本当に言われると違和感しかないわね」
「テメェから聞いといて酷ェ言い草だなァ、オイ。とにかく、俺の見目がどうにかなってンなら、ソイツのお陰さァ」

夕神はこれで満足だろうと言わんばかりに肩をすくめる。最も、それで引き下がる相手ではないのも十二分に承知だが。

「随分世話焼きの子を捕まえたのね?ジン」
「……そうさなァ。石鹸で洗髪してるってバレた日にゃ、ぶつくさ文句言いつつガキみてェに洗われちまったぜ」

実際、洗っていた側の感想としては『大型犬のシャンプーしてる気分』だったらしいが、それは夕神の知らぬ事実である。

「うわっ、ちょっと引くわ。というか、アンタそんな顔出来たのね」
「言わせたのは姉貴だろォが。ともかく、泥の字には聞いてやンなよ。奴さんどうにも嘘が下手だからなァ」
「……」

嫌味を言う時とは違ったニヤケ顔を引っ込めた弟になんとも言えない気持ちになりながら、かぐやは考える。

「どうしてそこでオドロキくんが嘘が下手って話になるのよ」

かぐやが弟の彼女について聞いたところで、王泥喜がつく可能性のある嘘は「知らない」と「いない」しかない筈だ。
だが、夕神の言い方から感じられるのは、もっと違う嘘についての可能性だった。今は亡き親友から心理操作を学んだ彼ならば、その言葉にかぐやが引っかかることなどお見通しのはずである。

「さあてなァ。……おっと、俺はそろそろ退散するぜ。今晩は早く帰れるって言っちまってるンでな。折角の美味ェ飯が冷えちまったらたまらねェ」
「……わたしが出所する頃には、結婚してそうな気がしてきたわ」

意思が固くて、一途な弟のことをよくよく分かっている姉は、弟と同じような溜息を吐いた。この弟のべた惚れは一生モノに決まっている。

「どうかねェ。……ああ、そうだ姉貴知ってるか?」

どう見ても自分といる場所が反対なような凶悪な笑顔を夕神が浮かべる。

「泥の字は、料理が上手ェのさ」

ああ、このバカ弟は、小姑に嫁を苛められたくなかったのだと聡明な姉は気がついた。