白黒的絡繰機譚

窒息メイト

馬乃介生存パラレル

(――殺してくれると思ったのになぁ)

チェスボードの中に、ノミを忍ばせておく。たったそれだけで美和マリーは、コイツ――内藤馬乃介を殺してくれる、筈だった。
しかし、現実は脳内妄想ほど都合良くも、簡単でもなかったらしい。重傷は負ったものの馬乃介は死なず、更には犯行が夜中であったことから、公演準備をしていた草太に容疑がかかってしまった。
その容疑はありがたい事に何故か弁護士助手となっていた天才検事によって晴れ、美和マリーは逮捕された。
馬乃介を刑務所へと送った検事が自分を救うとは、面白い事もあったものだと草太は笑う。それを知ったら、馬乃介はどんな顔をするのだろうか。

(けど、これは計算外だ。こんな奴、死んで良かったのに)

ベッドに眠る馬乃介を見つめる。「内藤馬乃介の親友」である猿代草太としては、釈放されたならば見舞わぬ訳にもいかない。
検事と一緒に行動していた、美雲という少女からも気を利かせたと言わんばかりに病室の番号メモを押しつけられた。
余計なお節介だと言って、破り捨ててやりたかった気持ちをぐっと押さえ、涙を浮かべて受け取ってやるしかなかった。そして、見舞ったという事実を作る為に今ここにいる。

(これくらい滞在しとけば、十分だろ。全く……、親友面も楽じゃないぜ)

ガタリ、と些か乱暴に椅子から立ち上がる。

「――そう、た……?」

ドアノブに手をかけた瞬間の事だった。
響くと予想していなかった掠れた声に、身体が強張る。恐る恐る振り向くと、馬乃介の目が、草太を見つめていた。

「まのすけ……」

ベッド脇に戻って、ナースコールを押す。
――本当は殺してやりたかった。今すぐもう一度目を閉じて、もう二度と開かなければ良いと思った。しかしそんな自分に疑いのかかる様な事が出来る筈も無く、ただひたすら看護師の到着を待った。





「なあ、草太……」

馬乃介が草太を呼ぶ。草太は足を止め、振り返った。
意識を取り戻した日から、数日が経った。馬乃介の回復は著しく、あと数日のうちに退院だろうという事だった。
退院しても、行く場所は刑務所なのだが。意識を取り戻すよりも早く、彼には有罪判決が下っている。

「手紙、見たか?」
「手紙?」
「ああ、もうそろそろ届いたんじゃないかと思ってな」
「僕に?馬乃介僕に手紙なんか送ったの?」
「……」

馬乃介は少し、困った様な表情をすると、草太に手招きをした。草太は何時もの表情を張りつけたまま、元の位置へと戻り椅子に座る。

「お前なんだろ?」
「何が?馬乃介、さっきから一体何を言ってるの?」
「草太……。俺は、知ってるんだ」

草太の背中を冷や汗が伝う。知っている?一体、何を。

「お前だろ?……俺と、通信チェスやってたのは」
「……!」

頭の中でやっと馬乃介の言動が繋がる。発せられた手紙の意味をようやく理解した。

「……違うよ。何で僕が馬乃介とわざわざ通信チェスをするのさ」
「さぁな。それはにも良く分かんねぇ……。でも、俺は確信してる。お前だってな」
「……」

何も答えない草太に苦笑すると、馬乃介はふらふらと身体を起こす。よろけた身体を、草太は支えてはやらなかった。

「俺は、お前を親友だと思ってる」
「僕もだよ」
「……そうだったら、良かったんだがな」
「……酷いなぁ」
「お前が持って来てくれたチェス盤、中身見たぜ……。ノミとか、意味が分かんなかったが……、この怪我をして、分かったよ。なあ、草太。俺は一体お前に何をした?お前が俺をそんな風に思ってるなんて知らなかった……」
「……僕が馬乃介を、あの所長に刺させたって言うの?酷いよ馬乃介……。僕だって、馬乃介がそんな風に考えてたなんて知らなかった」
「こんな考え、したくなかったぜ。でも、お前は良く分かねぇけど、匿名で俺と通信チェスをしてチェス盤にノミを入れた。もしかして、大統領の暗殺計画の事もお前が……」

ああ、やはり死んでしまえばよかったのに。草太は思わずにはいられなかった。

「……」
「草太、お前は……」
「馬乃介」

もう、親友の仮面を被る必要性も無いのかもしれない。

「ぜーんぶ、俺がやったよ。あの女にお前を殺して欲しくて――そう言ったら、どうする?」
「草太……」
「俺を告発しちゃう?それとも……あの外城、だっけ?それみたいに殺しちゃう?」

ぺらぺらと口が滑る様に動いて、言葉を紡ぐ。18年間抱え続けてきたものが、全て溢れていく様だった。
目を丸くして自分を見つめる馬乃介は、とても滑稽だ。18年間踊り続けたピエロの男。

「お前の言う通り、親友なんて思ってないさ。18年前から一度も、ね」
「草太、俺は……」
「あの時、死ねばよかったんだ。お前なんか」

あの時が18年前なのか数日前なのか、それは言った草太にも分からない。
見ていられない、という風に馬乃介が草太から顔を逸らす。そうやって18年前の出来事から目を背けて、忘れてきた代償だと草太は思った。良い気味だ。

「……俺は、それでも」
「それでも何?『お前を親友だと思ってるんだ』とか?ハハハッ!笑えるね!」
「……」

馬乃介の手が、草太の腕を引く。草太とて全く鍛えてない訳ではないが、馬乃介には敵わない。馬乃介の肩口に顔を埋める格好で、草太はただ笑う。

「草太、お前は知らないだろ。俺がなんでこの仕事に就いたか」
「ああ、知らないね。どーでも良いから」
「守れる様になりたかったんだ、お前を」
「俺を守る?とんだ思い上がり思考だな」
「お前が施設からいなくなったあの日に、やっと知ったんだ。お前が何をされてきたか。……まあ、何でそんな事をされてたのかまでは、今でも分かんねぇけど。とにかく、俺は強くなりたいと思った。守りたかったのに、大事だったのに……守れなかったから」

ぎゅう、と馬乃介の腕に力がこもる。腕から伝わる熱を、草太は不快に感じた。こんなものは、いらない。
しかし、振り払って逃げる事が出来ない。力の差もあったが、身体が動かないのだ。何故かは分からない。ただ自由に動くのは口だけだった。
いっそ治りつつある傷口を抉って、本当に殺してしまおうか――そんな風に一瞬思いもしたが、実行なんて出来ない事は草太自身が一番よく分かっている。

「今はもう、あの頃とは違う。俺はお前を守れる」
「……ハッ、俺だってあの頃とは違うんだ。お前に守ってもらう必要性があると思うわけ?」
「それでも、守るんだ。お前はまだ、何かに怯えてる……そうだろ?」
「……」
「言っただろ、あの頃とは違う。何も知らずにお前がいなくなった事に驚いた、あの頃とは違うんだ……!」
「で?それで何?」

馬乃介の言葉に熱がこもればこもる程、草太の心は冷えていくようだった。今更何を言っているんだこの男は、もう何もかも遅いのに、と。

「草太……」
「だから何なんだよ。あの頃と違う?一緒だよ。お前は何も知らないで、勝手に迷惑な夢を追いかけてれば良いよ」
「違う。俺は……!」

抱き寄せていた草太の身体を引き剥がすようにして距離をとる。馬乃介の目に映った草太は、相変わらず笑ってはいたが、それと同時に泣きだしそうでもあった。

「……俺は、お前がこれ以上泣くのも、怯えるのも、傷つくのも何も見たくねぇんだ。だからもう、何もしないでくれ。何もしなくて良いんだ。そんな風に笑って、誰かを憎まないでくれ……!」
「……ッ!!」

草太の表情が引きつる。痛々しいそれは、やはり泣きだしそうに見えた。

「俺はもう、お前にどう思われてても良いからよ……。だから」
「ッ!今更ッ!馬乃介、お前が俺にそんな事を言う資格なんてあると思ってんのか!?お前が、お前があの日俺を止めなけりゃ……!」

悲鳴の様な声だった。耳を塞いでしまいたいが、その資格を馬乃介は持っていない。

「そうだ、俺の所為だ!俺の所為なんだよっ!」

喉の傷がまた裂けて、血を吹きだしそうだった。けれど、そんな事をかまってはいられなかった。もう一度草太を抱きしめ、叫ぶ。

「!?」
「そうやって全部俺の所為にしてりゃいい!全部俺が悪い、それで良いだろ!?殺したいならそうすりゃいい。だから草太、もう……」
「……」
「俺は、草太……お前が、お前だけがずっと大事なんだ。ずっと……」
「……俺はずっと、お前が嫌いだよ。馬乃介」
「……それでも良い」
「馬鹿だね。哀れだ。ほんっとうにね」
「……」
「で、オシマイ?なら早く放せよ。俺はサーカスに戻らないといけないんでね」
「嫌だ」

力を込める。ここで放せば、取り返しがつかない様な気がしたからだった。

「放せよ」
「もう何も……何もしないでくれ。草太……」
「お前にそんな事を言う資格なんてない。そう言っただろ?」
「それでも……」

馬乃介はベッドサイドに置かれた指輪を見た。それは、警察から渡された父親の形見だった。何もかも持っていた頃の象徴の様なそれは、今は鈍い輝きしか持っていない。

「お前が大事なんだ、草太」

もうリーダーの地位も何も、自分すら要らない。だから誰でも良い、草太を止めてくれと馬乃介は願った。




********




――次に馬乃介が草太と再会したのは、全てが終わった後だった。
誰にも彼を止める事は出来ず、全てが終わった後になってやっと、あの検事は草太を捕まえた。

「また、守れなかった」

隣の独房に聞こえる様、格子に張り付いて馬乃介は呟いた。

「草太……」
「――俺の親父が、お前の親父殺したんだって。お前から全部奪ったのは俺だった。それでもお前は、まだ俺を大事だとかいう訳?」
「!!」
「……とんだピエロだ。笑いすぎて泣けてくる」

お前も笑えば?そう呟いた草太の声は、あの日と同じで笑いつつも泣きだしそうだった。

「それでも……お前が何をしようと何を思ってようと俺は、お前が大事で――好きなんだ」
「……ひゃは、ヒャハハハ!!」
「……」
「馬乃介」

視界の隅に紙を持った草太の手が映る。見覚えのあるそれは、自分が送った通信チェスだ。

「お前の親父が俺の親父を殺したから、お前が死んでも良いと思った。でも、真実はどうだ?逆だった。俺がお前を嫌いだった理由は、親父の事だった。お前自身の所為じゃない」
「……」
「馬乃介……、俺はこれからどうしたら良い?もう考えるのが嫌なんだ。何もしたくないんだ」
「草太……」
「なぁ、あの時言った通り守ってくれよ。何も考えないで済むようにしてくれよ。馬乃介、なぁ」

きっと泣いているのだろうと馬乃介は思った。草太が泣く事のない様、強くなろうと思ったというのに、彼はそんな自分の近くで泣いている。しかもそれを拭ってやる事の出来ない位置で。

「――ああ、守ってやる。今度こそ、絶対に。お前が怯えたり、憎んだりしなくて良い様にしてやる」

涙を拭う事も何も出来はしないが。それでも、彼が望むのならば。

「ありがとう……。ああ、そうだ、ずっと言い忘れてた……。ごめんな、馬乃介」
「……」

「やっと――」

――お前をちゃんと好きになれるんだろうな。
そう口にして、草太は誰にも見られずに笑った。