白黒的絡繰機譚

いちばんすきなひと

御剣←弓彦・信楽→信要素有

泣かないで。
そうも言ってあげられない、悪い大人がここに一人。

「――う、うあぁぁ……」
「ど、どーしたの一柳君!」

仕事も無事終わり、裁判所の法廷ロビーでちょっとくつろいでる時だった。
バタン、と大きな音を立てて開いた扉から飛び込んできたのは、青と赤のコントラストが眩しい少年検事。
ある意味何時も通り目にいっぱい涙を溜めた彼は、ボクの方を見るとそれをそれを一粒零した。

「あぁ……う、ぁ……」

一度零れたそれは止まる事なくボロボロと落ちて白い床を濡らしていく。

「一体どうしたの?裁判で何かあったの?」

聞くと首を横に振る。
ただただ辛そうに涙を零して、しゃくり上げる。それを繰り返しすばかりで何も分からない。

「じゃあどうしたんだい?オジサンでよければさ、お話聞いてあげるし何でもしてあげるよ?」
「うぅ……。し、信楽弁護士ぃ……」

広げた腕の中に入ってきた彼の頭を撫でる。
その姿はやっぱり、年よりも少しだけ幼いように感じられた。

「さっきから、泣きたくない、のに……、なんかすっげぇ、泣けてきて……。もう、訳わかんなくて……俺……」

とぎれとぎれの言葉をゆっくりと聞いて、背中を撫でる。温かいそれを抱きしめてしまいたい衝動に駆られるけれど――それはしちゃいけない。
何故か?癖にならない為、自分の為に決まっている。だから、撫でるだけ。中途半端が一番辛いのは知っているけれど、それ以外にどうしたらいいかなんて考えてもどうしようもない。

「大丈夫だ一柳君。……落ち着いて」
「……っひ、うぅ……」

段々と落ち着く呼吸を確認して、背中を撫でるのを止めた。
名残惜しく感じてしまう自分は、まだまだ信さんの様な大人の男性にはなれない様だ。

「さて、オジサンはどうしたら良いかな?キミが泣いていた理由、何も聞かない方が良いかい?」
「……」

身体を離して、目を見て聞いてみる。
自分で言っておきながら、理由は聞きたい様な、聞きたくない様な。
何となく浮かんでいる想像と、キミの理由が合致していて欲しくないと願っているだけなのだけれど。

「メーワクじゃないなら、聞いて欲しい……。俺も良く分かってないから、ちゃんと整理したいし……」
「迷惑なんかじゃないさ。じゃあ話してもらっちゃおうかな?」
「――さっきまで、御剣検事の部屋にいたんだ」
「……」

少し、帽子の角度を変える。ほんの少しだけ深くして、彼に見える事がない様にする為に。

「で、あ……、別に御剣検事に何かされた訳とかじゃなくてだな!」
「分かってるよ。レイジ君はああ見えて優しいからねぇ」

信さんの息子は優しくて真面目で、そして……とても鈍感だ。それは目の前の彼にも言える事ではあるけれど。
二人揃って、傍から見て分かる事が分かっていない。
それが微笑ましくもあり、同時に酷く不安になる。気がついたら、知ってしまったら……と。

「ただ、分かんないけど……。部屋を出て、扉を閉めたら……」

その時を思い出したからか、一柳君の目尻がまた潤む。
ボクはそれをただ、見守るだけ。彼は子供じゃない。ただあやすだけじゃ解決しない事は、本人も良く分かっているだろう。

「……オジサンの意見を言っても良いかな」
「……!あ、ああ、うん……」
「オジサンもさ、一柳君くらいの頃に同じ様に泣いた事あるよ」

「えっ……」

そう、18年前のあの頃。信さんの助手としてずっと過ごしていくんだと思っていた若くて青かった頃。
あの時抱いた想いに似た――いや、同じものを彼は抱えている。何だろうな、経験者は分かるんだ。
それも親子揃ってなんて、笑っていいのか悪いのか。

「その時はね、一柳君みたいに分かんなかったな。全然心当たりなくてさ、誰にも言えないしね」

あの時の自分には、信さんしかいなかった。信さんだけには言えない、という事しか分からなかった。
……今思えば、分からなくて良かったんだろうと思う。あの人には家族があったから。

「オジサンは一柳君が泣いた理由が分かるけど……これは教えられないかな。もうちょっと考えてみると良いよ。自分で見つけるべきだ、これは」
「う、うん……」

彼は僕とは違う。そしてレイジ君も信さんとは違う。
だから、ボクは不安になってそしてどこかで願っている。

「でもさ、オジサンはキミの話を聞いてあげられるし、ハンカチだって貸してあげられるよ。それだけは覚えといてね」
「あ、ありがとう……」
「なぁに、オジサンで良かったら何時だって胸を貸してあげるよ」

少しおどけた様に笑って、何時も通りの自分を装う。
胸を貸すその間だけはキミを独占できると知っているから、優しい言葉を吐く。分かっているけど、ずるい台詞だ。

「だから、一人で抱えて泣く必要なんてないさ」

泣かないで、とは言えなくて。だから、せめて一人で泣かないでと言う。
キミが――いつの間にかボクの一番になっていたキミが最上級の笑顔で笑えるようになって欲しいから。ただ、それだけの為に。