白黒的絡繰機譚

気まぐれ

「――誰だ」

足音がしないように、衣擦れしないように。そうやってどんなに細心の注意を払っていたって、誰かが近づいてくる気配なんてのは嫌でも分かる。これはもう、身体に染み付いた習性ってやつだ。何せそれに気がつけなければ、猟師は一瞬で仕留める側から仕留められる側に変わってしまう。
起き上がってクロスボウに手をかけ、まだ入り口近くにいる人影を睨みつけた。

「ふうん、流石は猟師……といったところか?おばさんのところのアレも、そういう勘だけは鋭かった」

薄暗闇の中に白い髪とマスクの装飾、そして緑色の瞳が光っている。誰かは答えてもらわなくても分かる。医神として名高いアスクレピオス、その人だ。

「お医者様がこんな夜中にわしになんの用かね?知っての通り今のとこ怪我も病気もありゃしないんだが」
「往診に来たわけじゃない。夜這いだ」
「……んん?聞き間違いかね、もう一度言ってくれんか」

言葉の意味が分からない年齢ではない。だが、そんなものはとうの昔に無縁となった身だ。

「加齢による聴力の低下か?そこの検査は夜が明けてからだ。繰り返す必要性は感じない。それよりお前のものを使えるようにしないとな」

暗く、顔の半分はマスクの下だが、恐らく平常と変わらない顔をしているのだろう。こちらがどう反応したものかと悩んでいるうちに、あちらはシーツを捲って馬乗りになり、下半身に手を伸ばしてくる。

「待て、待て。お前さん正気か?」
「僕は健康だ」

片手で器用にマスクを外す。さすが神の息子と言うべきか、整った顔をしている。

「健康なのは結構だがね、こちとら見たとおりの親父に過ぎん」

若い身体で現界すれば、そういう欲も湧くだろう。閉じた環境で女を抱けとも言えないが、それにしたってもっと選択肢は広いはずだ。

「だからなんだ?……ああ、理由が分からないと納得出来ないというやつか。面倒な思考だ……が、まあいい」

ぐ、と顔が近づいてそのまま唇が触れる。一瞬ひやりとしたが、それ以上に燃えるように熱い。

「お前が気に入った。それ以外に何がある?」

なんとまあ、神とは気まぐれなものだろうか。